漫画家の猿渡哲也氏と俳優のかたせ梨乃氏
漢を描き続ける猿渡哲也が 〝永遠の姐御たち〟を直撃!! 女豹のような鋭さ、心を揺さぶる演技力。ここ数年はテレビでおちゃめな一面も見せるかたせ梨乃は魅力満載の至宝的存在だ。
ショーケン(萩原健一)に寅さん(渥美清)、五社英雄まで。さまざまな名優や監督と向き合い、現在も次々と話題作に出演し続けている〝不滅のマドンナ〟の素顔に迫る。
* * *
■〝飢えて痩せろ!〟 五社監督の非情命令
猿渡 かたせさんが出演された作品で僕が大好きなのは、『肉体の門』(1988年・東映)なんです。終戦直後の東京に生きる街娼のリーダー・浅田せんを熱演されて。監督は五社英雄さん、脚本は『仁義なき戦い』の笠原和夫さんと、製作陣も素晴らしかったです。
かたせ ありがとうございます。初めて単独主演を務めさせていただいた作品でしたので、思い入れは深いですね。ロケセットは琵琶湖畔だったんですけど、実は前年に同じく五社監督の『吉原炎上』(87年・東映)で建てたセットを一部再利用しているんですよ。
猿渡 え! そうなんですか。『吉原炎上』では、かたせさんは花魁から〝長屋女郎〟に堕ちてゆく菊川を好演されていましたよね。
かたせ はい、『吉原炎上』で建てた遊郭・中梅楼のセットを11年(明治44年)に発生する吉原大火の設定で燃やしたんですけど、その一部は、せんたちの住む廃墟の街並みの再現に使われました。
両作品とも、美術を担当なさったのは大映ご出身のベテラン西岡善信さんでしたので、それは見事な造りをしていましたね。
猿渡 なるほど、実際に燃え落ちた建物の一部を使っているんだから、どうりでリアルなわけですよね。
かたせ 五社監督は、とにかくリアリズムを徹底的に追求される方でして。まず、『肉体の門』に入るにあたり衝撃的だったのは私たち女優陣全員に〝飢えて痩せろ命令〟が下されたことでした。
つまり、47年(昭和22年)頃は食糧難の時代、その中で生きるのに必死な女を描くわけだから、へたにトレーニングでキレイな痩せ方をしないでくれと。
猿渡 飲まず食わずで痩せろと。痩せ細って、やつれた姿を監督は求められたんですね。
かたせ そうなんです。ですから、私たち街娼を演じた女優はみな1ヵ月ほどひもじい思いをしてましたね(笑)。
『吉原炎上』のときと同じく、撮影時期は真冬の12~2月。腰襦袢一枚もきつかったけど、今度もまたシュミーズ一枚とかで。そういう痩せ方をしていると、寒さがよけいにこたえるんです。倍のエネルギーを使って芝居をしていましたね。
猿渡 かたせさんは、この『肉体の門』で渡瀬恒彦さんと共演されています。僕は『仁義なき戦い 代理戦争』(73年・東映)でのチンピラ倉元猛役とか、めっちゃ好きでして。実際はどんな方でしたか?
かたせ 私、最初にご一緒させていただいたのが、NHK銀河テレビ小説『ふたりでひとり』(81年)で、渡瀬さん演じるトラック運転手の愛人役だったんです。当時、私はまだ20代でしたが、すっかり大ファンになってしまいまして。
ですから、『肉体の門』の企画を担当されていたプロデューサーの日下部五朗さんには、事あるごとに「渡瀬さん、渡瀬さん」とお名前を出して懇願しました(笑)。その願いが通じたのか、決まったときはもう大喜び。
何しろ、渡瀬さんはたばこの吸い方と、声をかけられて「ん?」って答えるあの声が最高でしたね。
猿渡 独特の渋い声ですよね。
かたせ ええ。もう好きすぎて、役作りの必要なんか全然なかったです(笑)。
猿渡 せんが渡瀬さん演じる〝コルトの新〟に対する思いは素のままだったわけですか。
かたせ そうですね。とにかく優しい方でした。私が単独主演で気負っていたこともあり、ご自身の出番がないときでも遠くから見守ってくださって。
それと私たちが〝飢餓状態〟にあったから、ある日ごはんに連れていってくださったんです。「明日からまたダイエットだけど、今日はみんな食べていいからな」って。本当にうれしかったですね。
猿渡 カッコいいなぁ。
かたせ 私ね、思ったんですけど、渡瀬さんの魅力ってお芝居ももちろんですが、横顔にあると思って。正面の顔ってつくれるけど、横顔って、その人の本質がにじみ出る。そういう意味で渡瀬さんは横顔がものすごく〝鋭い〟方でした。
■実は超勉強家のショーケン&寅さん
猿渡 渡瀬さんもそうですが、かたせさんは実に数多くの名優と共演されています。『極道の妻たち 三代目姐』(89年・東映)では萩原健一さんとも組まれましたね。
かたせ 萩原さんはいざ本番を迎えるまで、どういう演技をしてくるかまったく予想がつかないんです。ですから、私としては何が起こっても大丈夫という状態で臨んでいました。
猿渡 やっぱり一筋縄ではいかない感じだったんですね。
かたせ でも、勢いやそのときの気分で自由気ままに芝居をするわけじゃないんです。とても繊細な方だから、事前に綿密な演技プランをいくつも立てて、その中でご自身のそのときのパッションと合致したものをぶつけてくるんです。
猿渡 感覚的にアドリブをぶつけてくるわけじゃないと。
かたせ ええ。ものすごい計算の上に成り立った本能的な演技でした。萩原さんの主演作で『誘拐報道』(82年・東映)がありましたけど、海辺での公衆電話の場面、すさまじかったじゃないですか。私、鳥肌立ってしまいましたもの。
猿渡 いい映画でしたよね。娘役の高橋かおりさんがラストで「うち、お父ちゃんが好きや!」と報道陣に訴える場面も泣けました。
かたせ 黒土三男監督の『渋滞』(91年・アルゴプロジェクト)でもご一緒させていただきましたが、逆にこちらがどんなアドリブをしようが、萩原さんはすべて受けてくださいました。事前にお伺いを立てなくとも、なんでもこいよって感じで。楽しかったですね。
猿渡 一方では、『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』(94年・松竹)で47代目のマドンナの宮典子役を務められました。松竹の現場は東映とは全然違いました?
かたせ はい。しかも、松竹さんの中で山田洋次監督の〝山田組〟は歴史のある特別なチームですしね。
猿渡 山田組の場合は、いろいろしきたりがあって、理論的に製作を進めるようなイメージがあるんですけど。
かたせ 家族的でしたね。基本、夕食は出演者、スタッフみんなでそろって食べるんです。
猿渡 映画そのまんまですね。渥美(清)さんはどんな方でしたか。
かたせ ものすごい勉強家でしたね。映画から演劇まで、あらゆる作品をご覧になっていて。琵琶湖畔のロケ現場へ向かう際、車移動でご一緒させていただいたんです。
湖沿いを走る車中で、渥美さんが「典子さん(役名)、この前亡くなったのは海でしたね。でも、ここは湖ですね」と、おっしゃって。
その瞬間、ドキッとしましてね。私、本名も典子っていうんですけど、何よりも私の映画をちゃんと見てくださっていたんだなと。『東雲楼 女の乱』(94年・東映)で私が演じた主人公の鶴は海で入水自殺するんですが、それを指していたんです。
猿渡 独特の言い回しで「見たよ」っていうことをさらっと伝えてきたわけですね。
かたせ ええ。渥美さんは鉛筆一本を売る啖呵売の場面とかもそうですけど、声がまたいいんですよ。(手を小刻みにパンパンと叩きながら)カスタネットみたいな高い音で。
猿渡 カスタネット(笑)。もしかして声フェチですか?
かたせ そうかもしれない(笑)。とにかく、渥美さんの声をそばで聞かせていただいたのは、貴重な財産ですね。
■〝姉〟岩下志麻との出会いと失敗談
猿渡 かたせさんといえば、『極妻(極道の妻)』シリーズも印象的です。僕としては岩下志麻さんとのコンビがやっぱり一番しっくりくるんですよね。
かたせ 志麻さんは本当に大好きで尊敬してやまない大切な〝お姉さん〟。日本映画ならではの様式美を演じられる最後の女優さんだと思います。
最初にお目にかかったのは、NHK大河ドラマ『草燃える』(79年)でした。志麻さんが主人公の北条政子、私は女盗賊の小観音役。大河ドラマデビューで右も左もわからない20歳そこそこの私にとって、志麻さんは雲の上の存在でした。
それから月日を経て、29歳のときに『極道の妻たち』(86年・東映)で再びご一緒させていただきました。
猿渡 やはり、緊張しましたか? 僕はこの連載で岩下さんと初めてお会いしたときに、すごく緊張してしまいました。
かたせ いやもう、それは。志麻さん演じる姉の環に妹の真琴を演じる私が指輪を買ってもらう場面は震えが止まらなくて。スタッフがあの手この手で対処してくれるんですけど、やればやるほど、手が震えちゃって(笑)。最後は台の上に腕を置いて固定して撮影。
でも、志麻さんは嫌な顔ひとつせずにずっと付き合ってくださって。後輩に対してまったく上から目線ということはなく、本当にすてきな方です。
『新・極道の妻たち 覚悟しいや』(93年)の製作発表会見にて、姉と慕う岩下志麻(左)と。まさに黄金コンビであった
猿渡 この前、岩下さんが笑福亭鶴瓶さんの番組に出演されたときに幻となった『極妻』シリーズの総集編企画についても語られていて。
かたせ 見ました! お姉ちゃん(岩下志麻)から〝梨乃ちゃん、出演するから見てね〟とご連絡をいただいて。岡田裕介さん(東映・元社長)が温めていた企画だったとか。
猿渡 もし、この先、『極妻』シリーズが新たに立ち上がるとしたら......。
かたせ どうなんでしょう、当時は錆色をした演歌調のような世界観でしたけど、今ならアメリカ映画のような、もっとメタリックな感じになるんじゃないかしら。
猿渡 メタリック!?
かたせ そう、もっとトーンがスチールっぽいというか、テクノっぽい感じですね。
猿渡 もしオファーを受けたとしたら、どんな役を?
かたせ 志麻さんはずっと一貫して姐さんじゃないですか。私は作品ごとに違う設定の役を演じさせていただいたので、もしお引き受けするとしたら、今まで演じたことのないキャラクターを演ってみたいです。
■感性を保つには若い人と遊ばなきゃ
猿渡 かたせさんは途切れることなく、ずっと第一線で活躍されていますよね。最初に見たのは、確か革のつなぎっぽいコスチュームで登場されたCMでした。
かたせ ヤマハの『V1ライン』(77年)というオーディオシステムのCMですね。
猿渡 日本人離れした、見事な体形ですよね。僕らは同世代ですが、身長168㎝の女性というのがまず少ない。
かたせ 今の女性たちは170㎝以上なんて普通ですけどね。70年代当時のCMモデルは、アグネス・ラムさんとかハーフのコが全盛で、私みたいな日本人は少なかったんですよ。
猿渡 CMモデルから女優へ進み、数多くの名作に出演、賞もたくさん獲得。そうなると、新しいところにいく考えはあまり浮かばないと思うんですよ。けど、最近でも『孤狼の血 LEVEL2』(21年・東映)に出られたりして、フットワークが軽いなぁって。
かたせ 私たちが子供の頃、初めて出会って感動したものがあったように、今の人たちも彼らなりの感動があるわけですよ。だから100%理解できないにしても、そういう感性もあると知るには、やっぱり若い人たちと遊ばないとダメよね、あはは(笑)。
猿渡 年を重ねてくると、変わることや新しいことをするのがすごく怖いんです。僕は保守的なのかなぁ(笑)。
かたせ 〝石橋を叩いて渡る〟ということわざがありますよね。私は〝石橋を渡ってから叩く〟タイプ。まずは渡ってみる。結果オーライならば、それでいいじゃないですか!
●かたせ梨乃
1957年生まれ、東京都出身。大学時代よりCMモデルとして活動。79年、『大江戸捜査網』で女優デビュー以降、映画『極道の妻たち』シリーズや『肉体の門』『孤狼の血 LEVEL2』、テレビドラマ『名探偵キャサリン』シリーズなど、長きにわたり活躍。また2025年NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』出演も決定。
●猿渡哲也(さるわたり・てつや)
昭和33年(1958年)生まれ、福岡県出身。『海の戦士』(週刊少年ジャンプ)でデビュー。格闘漫画『高校鉄拳伝タフ』『TOUGH』『TOUGH 龍を継ぐ男』のシリーズは累計1000万部超を記録している。