明知真理子あけち・まりこ
洋楽ロック雑誌出身のエディトリアルライター。ビジネスからカルチャーまで幅広く取材・執筆に携わる。旅と本とルチャリブレ好き。バイクのスタントもこなす。
X(旧Twitter)【@marippejapan】
ホタテ水着の踊り子、鞭を振るSM嬢、お尻で割り箸割り! リアル秘宝館を思わせる驚愕のライブと昭和感漂う、レベル歌謡ミュージックでいま大注目のバンド、柳家睦とラットボーンズ! 長い三つ編みヘアにクラシックなスーツをまとい、怪しげな雰囲気を全身から漂わせる、リーダーである柳家睦さんへのインタビュー後編。
前回はそのバンドやライブについて熱く語ってもらったが、今回は柳家さんの幼少期、気になるバンドのビジョンについて語ってもらった!
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――温泉地で育った柳家さんの幼少期って、どんなものだったんですか?
柳家 俺のお袋の姉が芸者置屋をやっていたんですけど、もともとは新橋で芸者衆をやっていたんです。で、そこから体悪くなったりするとみんな熱海に流れるわけですよ。
当時の熱海は人口5万人に対して、観光客が毎日20万人、芸者衆も全盛期で3000人ぐらいいて、サラリーマンのいない街。全部が上り調子でバブルなんですよ。
お袋の姉の団体はすごく有名で、俺なんかちっちゃい頃でも、天皇陛下が泊まるような宿でワーワー騒いだり、三日三晩麻雀やったり。まあ潤ってるのは一部の人間で、あとは流れ者とか日雇いの街だったけど、芸者衆はほんと羽振りが良くて。昔はネオンが明るすぎて、夜もキャッチボールできましたよ。
柳家 いや、変な話、子供は大人の遊びは見ちゃいけないから。MCに限っては、俺の義理のオヤジかな。スナックに行けば歌が始まるまで、急に司会に入るようなお調子者でした。
――柳家さんの音楽には宴会みたいな明るさだけでなく、哀しさや切なさもありますよね。小さい頃の原体験は、今の音楽活動につながっているのでしょうか。
柳家 すごく面白いこともあれば、その分悲しいこともいっぱいあったからね。なんせ特殊な世界だから好奇の目で見られるとか。俺のお袋も職人だらけの街に20過ぎの芸者の未亡人で来て、散々いろんなことを言われて。そういう悲しみみたいなのも原体験にはあるんだけど、でも当時のあの人たちって、悲しいとか言ってるヒマないからね。どんなときも笑いに変えるしたたかさはありましたよ。
――そういう笑いへのこだわりもそうですが、柳家さんの音楽・生き方には、悲しみがあっても明るいものを求めようという強さ、たくましさを感じます。
柳家 自分で言うのもアレだけどそれはあります。どうせだったら真面目になったほうがいいじゃん。悪いことはやらない方がいい。"番長"だったから昔は無茶もしたけど、いまはすっかり。人生やり直すってそういうことだから。
でも面白いおじさんになったら、今度は「昔あの店ですごい暴れてた」とか「やたらジョッキで殴られる」とか、尾ひれがすごいついちゃって(笑)。真面目になるほうが、昔のワル自慢するよりむしろ面白いことになるなというのが最近かな。
――もう少しだけ音楽の話を。最初に音楽を好きになったきっかけは何だったんですか。ある記事にキャロルが好きだったと聞きましたけど。
柳家 いや、原宿にクリームソーダってショップがあって、小学生の時に行ってものすごい衝撃を受けたんですよ。そこはヤシの木なんかのトロピカルムードの店内に、フィフティーズのグッズをメインに置いていたんだけど、いつもフィフティーズのロックンロールやロカビリーがかかっていたんです。そこらですね。とにかくリーゼントとフィフティーズ、そしてヤシの木なんかのトロピカルのカルチャーは、子供ながらに斬新で。
まぁヤシの木は熱海の港にもあるんだけどね。ただ、ところてんとイカ焼きの匂いがするから違うんだけど(笑)。
――カルチャーも含めて音楽に興味を持っていったんですね。
柳家 そうそう。あと原宿にあるクールスの佐藤秀光さんのお店「チョッパー」に行ったりとか。原宿の店にも行く一方で、80年代のティーン文化ってヤンキー、ツッパリ、ローラー族などのカルチャーもあるじゃないですか。10代は暴走族やってる時もあったし、ロカビリーのレコードを集めながらディスコにも行くし、ひととおり全部やったんじゃないかな。
柳家 いや、消去法ですね。本音を言うと俺は表参道のイメージで行きたかったわけですよ。仕事だって、それこそ裏原で服屋もやってたけど、どれもうまくいかなかった。長続きしたのがバンドだったから、それに紐づけて稼ぎを考えなきゃいけなかっただけで。
音楽的にどんなルーツでこういうバンドになったっていうより、あるもの全部出してかないと。球数ですよ! 当たったものでいこうっていう。
――これからも総動員で! では最後に、今後の活動の展望を聞かせてください。
柳家 あんまりね、今時のロックの価値観の武道館とか渋谷公会堂だとか野音だとか、ライブのキャパみたいなところは重要だと思ってなくて。まあやれるんだったらやりたいけど(笑)。それは目標ではないんですよね。
これは音楽に限った話ではないんだけど、コンプラゼロでも人間味がある、そんな社会とか世界を目指してる。だから「柳家睦とラットボーンズ」はバンドではあるんだけど、屈折した愛の総合デパートとか愛の縁日とか、そういうものになりたいなと。
――ライブに行けば、そんな世界を体験できるような非日常空間を目指すと!
柳家 そう。もっと言えば、もし自分でなれなかったら、"三代目柳家睦"とかがやればいいと思ってる(笑)。そういう世襲とか歌舞伎とかジャニーズとか、日本のグレーな部分をミックスしたような世界を提供できるバンドになれれば。令和じゃぜったいダメなものをハイブリッドにさせて提供してけたらなと思っています!
●柳家睦(やなぎや・むつみ)
"レベル歌謡ミュージック"の第一人者としてたった一人で業界を牽引する唯一無二の存在。サイコビリーバンド「バトル・オブ・ニンジャマンズ」のボーカリストを経て、現在は「柳家睦とラットボーンズ」として精力的に活動中。
柳家睦とラットボーンズ billboard LIVE YOKOHAMA 6月21日(金)18:00~/21:00~
ほか、LIVE情報は公式サイトにて【https://www.yanagiya-ratbones.com/】
公式X【@ninjamanztokyo】
洋楽ロック雑誌出身のエディトリアルライター。ビジネスからカルチャーまで幅広く取材・執筆に携わる。旅と本とルチャリブレ好き。バイクのスタントもこなす。
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