アオキユウあおき・ゆう
ライター・動画編集者。1991年、新潟県出身。2014年にライターとして活動を始め、現在はアイドルを中心にインタビューや動画制作を行なう。
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昨年12月、今年4月の「グラビア全部 乃木坂46!」号に続いて、8月19日(月)発売『週刊プレイボーイ36号』でも五期生4人のエピソードを書き下ろし。乃木坂46に出会う前、そして、間もなく六期生を迎える今。彼女たちは何を思うのか。
* * *
「世界は、ほんの一歩で変わる」――。
そんなフレーズとともに今年、乃木坂46が3年ぶりとなる六期生オーディションを開催した。前回、応募総数8万7852人の中から選ばれたたった11人の五期生たちも、いよいよ「先輩」となる。
昨年12月、そして今年4月と、本誌ではこれまでに7人の五期生が、幼少期からどのように乃木坂46にたどり着いたのか、その道程を聞いてきた。今回は残りの4人である、池田瑛紗(てれさ)、井上和(なぎ)、川﨑桜、菅原咲月(さつき)が登場。4人にはこれまでの彼女たち自身の話のほかに、先輩となる近い未来についても語ってもらった。
昨年、現役の乃木坂46メンバーながら東京藝術大学に進学。グループでの活動と藝大生としての生活を両立する、池田瑛紗。
物心がつく頃には、絵を描くこと、粘土で工作をすることが好きだった。それは両親や友人、誰かに完成品を見せることを目指すわけではなく、自分で頭に浮かべたものを形に残すためだった。
「なので、小さい頃から友達もそんなに多くなかったし、全然外にも遊びに行きませんでした。人見知りなのもあったけど、自分ひとりの時間が好きだったんだと思います」
小学校に上がっても、休み時間は基本的に自分の席で過ごした。
「好きなマンガが一緒の友達がいて、自分の席でその話をちらほらするくらい。あとは『獣の奏者』(上橋菜穂子著)というファンタジー小説を読んで、自分がその世界に入り込んだらどうなるんだろうって想像したり。何かを作るのが好きだったり、ひとりが好きだったりするのは、当時から今まで変わらないかもしれないです」
そんな物静かで内向的な彼女だが、中学では意外にもバスケットボール部に入部。小学校の担任から言われた言葉が彼女を冒険させた。
「先生は『得意なことばかりやっていちゃダメだ』と常々言っていて、漠然と、中学ではそれまでの自分と関わりがなかったことをしようって。『今、自分が美術部に入ったら、たぶん一生その道からそれないだろうな』とも感じていたんですかね」
結果、バスケは高校3年まで6年間続けることになる。同時期に友人に誘われ、乃木坂46の握手会にも行ってみた。
「部活を引退して、受験一色になる前のほんのわずかな期間に握手会があって。興味本位で行ったら、遠藤さくら(四期生)さんが想像以上にかわいくて......呆然(ぼうぜん)としたまま帰ってきたのを覚えています(笑)。それから乃木坂46が好きになって、友達と『受験が終わったらまた行こうね』と話していました。結局、そのままコロナ禍になって、機会自体がなくなっちゃったんですけど」
現役時代の藝大受験は不合格。予備校に通いながら、行き帰りに乃木坂46の楽曲に勇気をもらっていた。
1浪目の夏。友達に勧められるがまま五期生オーディションに応募した。あくまで当時の目標は藝大合格で、応募したときは「軽い気持ち」だった。
「冗談半分に近い気持ちで応募したけど、審査が進むにつれて、頭のどこかでオーディションのことを常に考えるようになっていました。時々『浪人中に何やってるんだ』とわれに返りながら......合格するまでは『本気にしちゃダメだ。私は浪人生なんだ』と思うようにしていました」
晴れてオーディションで内定した後も、藝大受験を続けた。オーディション中、スタッフとの面談で、一度は「受験をやめる」と宣言したこともあった。
「でも、スタッフさんは『あなたが挑戦していることは、この先あなたにとって絶対にプラスになる。だから受験はやめなくて大丈夫です』と言ってくださったんです。それはすごく大きくて。その場でやめましょうと言われていたら、きっと受験はやめていただろうし......自分が小さい頃に決めたものから『逃げた』という感覚になって、頑張れない人間になっていたんじゃないかなと思います。
正直、乃木坂46として活動しながらの2浪目はかなり苦しかったです。でも、そう言ってもらえたということは、つまり『2年目も受けさせてもらっている』ということ。投げ出すなんて考えられなかったですね」
試験がバースデーライブ期間やリハーサルと重なることもあった。それでも彼女は、強い責任感を持ちながら見事、藝大合格を果たした。
「変な表現になっちゃうんですけど、私はお仕事だと思ったら頑張れるタイプ。乃木坂46として、それまでの自分とは違う人生だと思ったからやりきれた気がするんです」
7月まで募集が行なわれていた六期生オーディション。池田は応募者へのメッセージとして、「乃木坂46がくれたもの=もうひとつの武器、もうひとつの人生」と語った。
企画展や番組のビジュアル制作など、これまでの経験や経歴を生かした仕事も行なう彼女は今、まさに自分だけの武器を持ち、想像できなかった人生を歩んでいる。
『乃木坂工事中』(テレビ東京系)や、今年初めてシーズンレギュラーを務めた朝のバラエティ番組『ラヴィット!』(TBS系)など、テレビに映る印象は「明るく元気」な、菅原咲月。ただ、幼少期は池田と同じように「静かに過ごしていた」という。
「暗くはないんですけど、人にすぐには心を開かないタイプでした。小学校の頃も、まず物静かな性格の友達と仲良くなったら、そこからはあまり友達をつくらなくて。ずっとその子とふたりで教室の隅っこにいた覚えがあります。今思えば、割と誰かの影響を受けやすい子供で、その友達に合わせた静かなトーンで過ごしていたのかもしれないです」
そんな「周りに影響されやすい」彼女が今の性格になったのは、10代半ばに差し掛かった頃。
「高校1年生のとき、〝超絶陽キャ〟な子と急に仲良くなったんです。たぶん、授業の合間に話しかけられたのが出会いだったと思うんですけど、第一印象がまず『すごいうるさい子!』だったくらい、グイグイ来る子で。その子と過ごす時間が増えて、今の私になった気がします。ある意味、性格は高校デビューなんです(笑)」
それまでは人前に出ることが苦手だった彼女だが、その友人の誘いで、高校のオープンスクールで中学生に向けた学校のPR活動にも参加した。はつらつとした性格になり、大勢の前で話すことも臆することがなくなった。
そんな菅原は、五期生オーディションの前にもアイドルへの門を叩こうとしたことがある。乃木坂46、欅坂46(現・櫻坂46)、けやき坂46(現・日向坂46)が2018年に行なった「坂道合同オーディション」。彼女が中学1年生の頃だった。
「小学校からアイドルが好きで、合同オーディションの募集を見て、一度は『私も......』と思いました。自撮りをして、応募フォームに入力して......。でも、最後に送信ボタンが押せなかったんです。応募条件ギリギリの12歳で、『幼すぎて受かるわけがない』と思っちゃったんですよね」
しかしその後、彼女はある衝撃を受けることになる。合同オーディションには同い年の山﨑(やまさき)天(櫻坂46)が参加しており、視聴者として楽しんでいたSHOWROOM審査でも、山﨑はキラキラと輝いていた。
「悔しさはまったくなかったけど、『同い年でもここまで進んだ子がいるんだ!』と驚いた覚えがあります。そんな思いがあっての五期生オーディションだったので、募集を知って迷わず応募しました。今回は受けなきゃ、絶対に後悔するって」
とはいえ、「受かるわけがない」という気持ちは拭えず、リモートで行なわれた面談や歌唱審査は、車の鍵をそっと持ち出し、親には内緒で車の中で受けた。合格を告げたとき、母は跳び上がって驚いていたという。
そんな菅原は今、彼女の性格を変えてくれた〝超絶陽キャ〟の友人に感謝している。
「ライブだけでなく、リアルミート&グリートにまで遊びに来てくれたり、私が載ってる雑誌を集めたりしてくれてる子で。『あなたのおかげで今の私になって、乃木坂46になりました。ありがとう』って思ってます。......今でも仲良しなので、恥ずかしくて絶対に面と向かっては言えないんですけどね(笑)」
先の六期生オーディション応募者へのメッセージで、「乃木坂46がくれたもの=同じ目標に向かって戦ってくれる同志」と文字に残した、川﨑桜。
友達は少なくないが、乃木坂46に入るまでの彼女は孤独に闘っていた。
「小学1年生の終わり際、フィギュアスケートを始めたんです。家族でスケートリンクに遊びに行ったときに、自分よりちょっと年上のお姉さんが、マイシューズとマイウエア姿でカッコよく回っているのを見て憧れました。当時活躍されていた浅田真央さんの存在も大きかったです」
通い始めたスケート教室で、すぐに日々の練習にのめり込んだ。「バッジテスト」と呼ばれる昇級試験に合格していくと、もっと上のクラスに入ることができる。それをゲームのように楽しんでいた。
その後、小学4年でクラブチームに入団。毎朝4時起きで朝練を行ない、放課後もリンクに戻って練習に没頭する。そんなスケート一色の生活は、大学進学を目指して受験勉強を始めるまでの約10年間続いた。
ただ、ずっとスケート教室のように楽しんでいられたわけではない。中学校に上がると、彼女のスケート人生には苦難が続くようになる。
「自分で言うのもなんですけど、スポーツは全般的に得意なほうだったんです。でも、スケートだけは全然うまくいかなくて。周りの子たちが上達していく中、自分ひとりだけ結果を残せない期間が続きました」
国体への参加資格となる5級のバッジテストには、1年以上受からなかった。同じ試験を12回受け続け、不合格のたびに「もう無理だ」と涙を流した。
「友達とも遊べないし、結果は出ないし。毎月のように『もう投げ出したい』と思ってました。でも、本当にやめるって選択肢は考えられなくて......両親や先生にも喜んでほしかった。プロになろうという気はなかったけれど、やめるにしても『苦しくて逃げ出した』という思い出じゃなくて、『楽しかった。やりきった』という思い出にしてからやめたかったんです」
くじけることなく、ひとりでリンクに立ち向かい続けた彼女は、13回目のテストで5級に合格。フィギュアスケートをポジティブな思い出として終わらせ、大学受験へと進むことができた。
当時、目標にしていたのは「子供が心を開いてくれるような先生になりたい」と、小児科の医師。しかし、苦手な数学Ⅲが克服できず、医者になるためには避けられない理系を断念し、文系を選んだ。
「フィギュアスケートを終えた後、小児科医を目指すのも難しくて。いろいろと迷っていたその頃、ちょうど五期生オーディションの募集CMを目にしたんです。その中では、遠藤さんの加入前と現在が描かれていて。アイドルのことは全然詳しくなかったんですけど、私も遠藤さんみたいに変われるのかなって思ったらワクワクして。ひとつの選択肢として考え始めました」
〈しゃべるのが好きじゃなかった。友達も少なかった。気持ちを人前で出せなかった。でも、全然違う場所があることは知っていた。どこかに「泣き顔を見せてもいい」と思える人たちがいるんじゃないかと思っていた〉
〈私はいま、ここに立っています〉(2021年公開のオーディション告知ムービーより)
くしくも同じ「さくら」という名前の先輩の言葉が胸に刺さった。孤独に闘い続けてきた彼女は、1日延長された募集締め切りの当日まで悩み、乃木坂46を目指すことを決意した。
加入してからの約2年半で最も成長したこととして、彼女は「堂々とパフォーマンスできるようになった」と語る。
人前に立つことが苦手で、フィギュアのテストもそれで苦しんだ部分も大きかった。今でもそこまで得意ではないけど、乃木坂46の一員として、東京ドームのような大きいステージに立たせていただいて。気持ちはかなり強くなった気がします」
加えて、他人と接する面白さも知ったという。
「毎日のように違う方と違うお仕事をさせていただくグループなので、いろんな方に出会えて、刺激をいただいています。
でも、そんな毎日だからこそ、この活動は穴をあけてはいけないと思っていて。昨年、骨折で全国ツアーの明治神宮球場での公演に出られなくなってしまったときが一番悔しかったです。今年はその気持ちを晴らせるように、先輩方や同期といいパフォーマンスを見せたいです」
幼少期の井上和は、両親から「危なっかしい」と言われる子供だった。
「とにかく心配をかけていたと言われます。スーパーとかで、直感的に『この人についていったら面白そう』と思った知らない人についていったり、ひとりでかくれんぼを始めたり。今でもそうですけど、よく言えば好奇心旺盛で。いろんなものに突っ走っちゃう子供でした」
そんなおてんばな性格だった井上だが、小学校、中学校と学年が上がるにつれ、次第に消極的な子へと変わっていった。授業で手を挙げることに恥ずかしさを覚え、校内クラブの所属を決めるホームルームでも、やりたかったものがあるにもかかわらず、「余ったものでいいや」と受け身になっていた。
「年齢的な変化でもあると思うんです。でも、私の中で『もしかして、これがきっかけ?』と思う出来事があって。小学校高学年の頃、友達とファストフードによく通ってたんですけど、そこで友達に、私が描いたイラストを見せたんです。顔の割に目が大きい、アニメチックな、小学生がよく描くイラストで。今思えば上手ではないけど(苦笑)、当時の自分としてはたぶん、それなりに自信があったものだったんですよね」
それを見た友人は、井上にこんな言葉を言い放った。
〝あんまり絵のことはわからないけど、それは上手なの? アニメっぽくて、ちょっとダサいよ〟。
「びっくりした出来事でした。自分が好きだ、正しいと思っていても、ほかの人も同じように思ってくれるとは限らないんだって。そのとき、自分のことがすごく恥ずかしくなって......それからですかね。人がどう見てるか、すごく気にするようになりました」
母と一緒に洋服を買いに行っても、「私はこれが欲しいけど、お母さんはかわいくないって思うかもしれない」と悩んで言い出さない。友人のひと言は、井上の性格を大きく変えてしまった。
そんな彼女は、高校生活の中で本来の積極性を自ら取り戻すことになる。
「2020年4月に高校1年生になった、コロナ禍の影響を一番受けた世代だと思うんです。高校生ってすごくキラキラしたイメージで、仲良しグループでお弁当を中庭で食べたり、放課後は一緒に遊びに行ったりするものだと思っていたら、最初の頃は通学すらできないし、お昼ごはんもそろって黒板のほうを見て黙食......。
そんな高校1年生だったので、『いつかやれる』と思っていても、その〝いつか〟が来なくなることがすごく怖くなったんです。だから『恥ずかしいかも』と思ったことでも、チャンスだと思ったら全部やってみようと思いました」
翌年には体育祭が再開し、チアにも挑戦。建築士になる夢も持っていたため、美術学校にも通い始めた。ちょうどその頃、中学3年生で好きになった乃木坂46が、五期生を募集することを知った。
「オーディションを受けることは母に反対されました。母に受けたい思いを一生懸命に話しているうちに......高校生って『一生懸命は恥ずかしい』って思ってしまう時期でもあると思うんですけど、私はその恥ずかしさも心地よくて。『今、一番本気でやりたいことが乃木坂46なんだ』と自分で気づきました」
こうして井上は、五期生オーディションに合格。初の五期生楽曲『絶望の一秒前』、昨夏のシングル『おひとりさま天国』、そして今夏の『チートデイ』と、楽曲だけをとっても重要なタイミングでセンターを担ってきた。
間違いなく五期生、そして乃木坂46の中心を任されつつある彼女だが、やはりそこには悩みがあるという。
「昨年の夏からは特に、目の前にいただいたことを必死にやり抜いて、とにかくグループに還元することが第一で。『自分がやりたいこと』は考えられなかったし、今も『何に挑戦したいんだろう』って悩んでいます。
でも、昨年末に番組で期別の忘年会企画をやったときに、同期が『来年の夏は楽しもうね』って言ってくれて。その約束が、昨年の夏とは全然違う自分にしてくれた気がします。自分がやりたいことより、任せていただいたことを背負って〝楽しむ〟んだって」
今も乃木坂46の活動の目玉のひとつである、「真夏の全国ツアー」の真っ最中。井上は昨年に続き、今年も〝座長〟を務める。
「メンバーが私をどう感じているのかはわからないですけど、2年連続で座長のポジションに立たせていただく意味を考えながら、いい夏だったと振り返れるようにしたいです」
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こうして、それぞれが異なる道から乃木坂46にたどり着いた4人の五期生。次世代と呼ばれてきた彼女たちも先輩となり、グループも確実に形を変えていく。
4人には最後に、五期生の近い未来を想像してもらった。
川﨑桜。
「昨年、今年と、先輩方がたくさんご卒業されていって。今度は私たちが先輩方のように、グループの外でも『乃木坂46の子』と認知されなきゃいけないと思っています。
私だったら、もともと好きなファッション関係だったり、『乃木坂46〝5期生〟版 ミュージカル美少女戦士セーラームーン』で初めて楽しいと思えたお芝居だったり。いろんなことに挑戦して、外の現場で新しく乃木坂46のファンになってもらうことを目指していきたいです」
池田瑛紗。
「私たちも加入して3年目で、今まで〝乃木坂46〟の力に助けてもらっていた分、今度は自分たちがその力にならないと、と思っています。
どういう先輩になれるのか、具体的にどう頑張るのかは想像できないけど、私は先輩方を尊敬しているから、六期生から尊敬される先輩でありたいです。自分に嘘偽りなく、真摯(しんし)にこれからも活動していくつもりです」
菅原咲月。
「昨年、卒業された秋元真夏さん(一期生、前キャプテン)と対談させていただいたとき、真夏さんから『五期生は新しさと、昔の乃木坂を融合させようとしてくれている』『咲月ちゃんはたぶん、みんなを支えられるような人になるよ』と言っていただけたんです。それからの1年半、真夏さんの言葉をずっと心の支えにして活動してきました。
昨年、キャプテンになった梅澤(美波、三期生)さんからも、活動に向かう姿勢を背中や言葉で教えていただいています。
きっとこれから入ってくる六期生からすると、三、四期生の先輩方は離れた期なので、話しかけづらいと思うんです。だからこそ、真夏さんや梅澤さんから学んだことは、私が少しずつ六期生の子たちに伝えたいですし、伝えていける先輩になりたいと思います」
井上和。
「こんなことを言える立場なのか、わからないですけど、私は六期生にとって『希望』でありたいなと思っています。
新しく乃木坂46になってくれる子たちに、この先の未来を『すごく明るくて、キラキラしたものなんだ』と思ってもらいたくて。私は今......ものすごく勝手に背負っているんですけど、そんな役割を持たせていただいているんじゃないかなって。
後輩といっても、まだ会ったこともない子たちですけど(笑)、一緒に乃木坂46として過ごしていくために、支えになってあげられる先輩でありたいと思います」
間もなく、乃木坂46の物語は、新たな章を迎える。
2年半前、ここに集まった11人も、これまでの先輩たちと同じように、坂道の途中で新たな世代を心待ちにしているはずだ。
●池田瑛紗(Teresa IKEDA)
2002年5月12日生まれ 東京都出身
●菅原咲月(Satsuki SUGAWARA)
2005年10月31日生まれ 千葉県出身
●川﨑 桜(Sakura KAWASAKI)
2003年4月17日生まれ 神奈川県出身
●井上 和(Nagi INOUE)
2005年2月17日生まれ 神奈川県出身
ライター・動画編集者。1991年、新潟県出身。2014年にライターとして活動を始め、現在はアイドルを中心にインタビューや動画制作を行なう。
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