小山田裕哉おやまだ・ゆうや
1984年生まれ、岩手県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映画業界、イベント業などを経て、フリーランスのライターとして執筆活動を始める。ビジネス・カルチャー・広告・書籍構成など、さまざまな媒体で執筆・編集活動を行っている。著書に「売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密」(集英社)。季刊誌「tattva」(BOOTLEG)編集部員。
挫折や葛藤を抱えた女性のセカンドチャンスを応援するABEMAのアイドルオーディション番組『Dark Idol(ダークアイドル)』。格闘家の朝倉未来が発起人となり、今年6月から始まった同番組がついに最終審査を終えた。厳しい審査を乗り越え、アイドルとしてデビューするのは6人。今回、彼女たち全員のインタビューをお届けしたい。
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ひとり目は橋本萌花さん(26歳)。週プレ本誌でもグラビア出演の経験がある、元「バーレスク東京」のセンターだ。
――『Dark Idol』の出演前から、週プレにはたびたび登場されていました。
橋本 お世話になっています。そもそも初めてのグラビアが週プレさんだったんですよ。
――もともと芸能事務所で活躍されていたのに、今回のオーディションに参加したわけですが、それだけアイドルに憧れがあった?
橋本 そうですね。歌とダンスを4歳からやっていて、いつかは自分もアイドルに、とは思っていたんですけど、グループでデビューするっていうのが難しくて。年齢も重ねてしまい、ほとんどあきらめていました。そんなときに、この企画を知って、最後のチャンスだと思って応募しました。
――グラビア活動以外では、「バーレスク東京」のステージでも活動されていました。見事に合格できたのは、そうしたステージ経験の多さも影響した?
橋本 毎日歌って踊っていたので、ほかのコよりもステージ慣れしていたとは思います。審査は緊張しましたけど、お客さんをどう盛り上げるかっていうのをずっと学んできたので、バーレスク東京の経験はすごくためになりました。
――経験の豊富さもあって、番組中ではグループ審査のときにリーダー的なポジションを任されていましたよね。
橋本 いや、ほんとはイヤでしたよ(笑)。
――そうだったんですか?
橋本 自分としてはリーダーに向いていないと思っているんです。でも、集団では自発的に言葉を発するタイプだから、わりとそういう立場をやらされがちで。
――じゃあ、このメンバーでもリーダーになるのは避けたい?
橋本 そこは同年代の杏香ちゃんに任せたいですね(笑)。
――オーディション過程で特に印象に残っていることは?
橋本 やっぱり合宿が大変でした。
――K-POPの有名トレーナーたちが指導した合宿審査ですね。厳しいトレーニングに涙するコも多数出ていました。
橋本 正直、それまでの審査はけっこう緩かったんですよ。これじゃデビューしても売れないと思っていたくらいだったので、厳しい指導は歓迎していたほうだったんですけど、いざ始まったら自分がいちばん締め上げられちゃって。メンタル崩壊するくらいキツかったですね。
――それでも最後まで残り、デビューまでたどり着きました。番組の日々を振り返っていかがですか?
橋本 あれだけ必死になることは20歳を超えてからなかったし、すごく生きている実感がありました。子供の頃からオーディションを受けては落ちまくってきたんですけど、そのたびに「絶対に負けないぞ」って気持ちで立ち向かってきたハングリー精神を思い出せました。
――これからどういうアイドルを目指していきたい?
橋本 私はこれに落ちたら芸能界を引退しようと思っていたんです。それはやっぱり、今の年齢ではアイドルになるっていう目標が現実的じゃなかったからです。でも、こうしてデビューの機会をもらえて。ダークアイドルっていうくらいだから、正統派としてやっていくわけではないので、みんなの個性を突き詰めて、年齢なんて関係ないっていうくらいオリジナリティある存在になっていきたいですね。
●橋本萌花(はしもと・もか)
1998年7月28日生まれ、兵庫県出身。173cmの高身長と美しいスタイルを活かしてモデル、グラビアアイドルとして活動する中、『Dark Idol』に応募。念願のグループアイドルとしてデビューを果たした。
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ふたり目は舞台俳優としても活動する前垣さらさん(23歳)だ。
――前垣さんは番組の当初から一貫して上位をキープしていました。それだけに合格は確実だろうと思っていたのでは?
前垣 そんなことはなくて、デビューが決まったときも驚きのほうが大きかったです。こうやって取材していただいたり、お祝いしていただいたりして、ようやく実感が湧いてきたくらいで。
――ふたつのアイドルグループに所属されたあと、舞台俳優として活動されていました。あらためてアイドルを目指そうと思われたのは?
前垣 舞台に出演する中で、俳優をやりながらアイドルとしても活動されている方が何人かいらっしゃったんですよ。そういう方々を見て、自分もアイドルとしてやりきったとは言えないのだから、もう一度挑戦したいと思って、この企画に応募しました。
――それだけアイドルに憧れがある?
前垣 アイドルっていうより、もともと歌とダンスが好きで、常に音楽に触れる生活をしてきたんです。自分が音楽に支えられて生きてきたから、そういう思いを人に与えられる存在になりたいと思っていて。
――だから番組中でも、「苦しんでいる人を支えられるようなアイドルになりたい」と言っていたんですね。
前垣 そうですね。
――これも番組でお話していましたが、身内の方が自殺してしまった際の第一発見者になった過去が影響しているとか。
前垣 自分がそういうツラい経験を音楽に触れることで乗り越えてきたから、同じように苦しい思いをしている人の支えになりたいと思っています。
――番組で印象的だったのが、アイドルフェスの出演直前に声が出なくなってしまったことで。もともと歌唱力が高く評価されていただけに、あのときはもうダメかもしれないと思ったそうですね。
前垣 本当に絶望しました。なんとか本番には間に合ったんですけど、思うようには声は出せなくて。「でも、少しでも声を出さないと来た意味がないぞ」っていうので、ずっと頭がいっぱいでした。
――オーディションを勝ち抜けた理由は、自分では何が大きかったと?
前垣 私はダンスにも歌にも特化しているわけではないので、とにかく自分を信じて、努力を惜しまずにがんばり続けることだけを考えていました。その姿勢のまま最後までやり抜けたことが大きかったかもしれません。
――振り返って、このオーディション期間はどんな日々でした?
前垣 波乱万丈でした。本当にいろんな感情が生まれて。喜怒哀楽以上のものを得た日々だったと思います。
――どんなグループにしていきたい?
前垣 みんな過去にいろんな経験をしてきた人が集まっているから、他人のこともすごく思いやれる人たちだと思うんです。だから、誰かの支えになる、メッセージ性を持った存在になっていきたいですね。
●前垣さら(まえがき・さら)
2001年1月29日生まれ、長野県出身。アイドルグループで活動した後、俳優に転身。舞台を中心に活動するが、最後のチャンスと『Dark Idol』に応募。アイドルグループでの再デビューの座をつかんだ。
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3人目は石川侑依さん(23歳)。芸能経験ゼロでデビューを果たした本オーディションのシンデレラガールだ。
――石川さんは、最終合格者の中では唯一の芸能経験ゼロからのデビューとなりました。
石川 そうなんですよ。いまだに信じられないです。
――今の率直な気持ちは?
石川 新しい学年でクラス替えしたばかりのときみたいな、落ち着かない感じがあります。まったく新しい環境に来たんだっていう気持ちです。
――自分が合格する可能性はどのくらいあると思っていました?
石川 まったく思ってませんでした。
――では、発表の瞬間まで無理だろうと?
石川 とにかく不安でした。あまりに不安だから、考えないようにしていたくらいで。
――石川さんもグループ審査では落選して、そこから視聴者投票で復活しました。
石川 あの投票期間がいちばんツラかったです。メンタルがいっぱいいっぱいで。投票を呼びかけるために路上ライブをしたり、SNSを頑張ったりしましたけど、それも本当に努力の方向として合っているのかわからなくて。
――いわば、あれが初めての芸能活動ですよね。
石川 だから、SNSもイチから勉強しました。フォロワーを増やす方法とか本をいっぱい読んで勉強して。足りない部分は座学で埋めようって。おすすめに表示されやすくなる裏ワザとか必死に研究しました。
――今回の企画には、もともと決まっていた内定を蹴って応募されたんですよね。なぜ、そこまでアイドルになりたかった?
石川 事前番組で朝倉未来さんが来てくださったときにも話したんですけど、漠然と人生がつまらないと感じていて。モヤモヤした感情が強烈にあったんです。
――このままでいいんだろうかっていう。
石川 そういうモヤッとしたやつです。このまま普通に就職して生きていくのかって。特に何かあったわけじゃないんですけど、なぜかずっと病んでいました。
――では、この番組が何かのきっかけになれば、と?
石川 そうです。この企画は友達に紹介してもらったんですけど、ここで応募しないと絶対に後悔するよってすごく背中を押してもらって。その友達には最後まで支えてもらいましたね。
――どうしてもアイドルになりたいっていうよりも、自分を変えたかった。
石川 それが大きかったですね。
――こうして実際にアイドルになったわけですが、今の目標は?
石川 番組を通して自分の課題がいっぱい見つかったんですよ。歌もダンスもやってみると、こんなに難しかったのかと思って。しかも、それぞれをこなしながら、自分の感情を表現しないといけないんだなって。まだそんな段階だから、まずはみんなの足を引っ張らないように頑張らないといけないですよね。そのうえで自分らしい表現ができるアイドルになりたいって思います。
――経験がないからこそ、ここから成長する過程を見てほしい?
石川 はい! 自分は伸びしろで受かったところがあると思うので、成長していく姿を皆さんに見せていきたいです。
●石川侑依(いしかわ・ゆい)
2001年5月21日生まれ、福岡県出身。今年3月まで慶應大学に通う普通の大学生だったが、『Dark Idol』には就職の内定を辞退して応募。合格者では唯一の芸能経験ゼロからのデビューとなった。
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4人目は一条カオリさん(26歳)。かつてのあだ名は「ゴリラ」。そんな彼女がアイドルの道を歩む。
――合格の可能性はどのくらいあると思っていましたか?
一条 グループ審査までは正直、けっこう自信があったんですよ。朝倉未来さんからもいい評価をいただけていましたし。でも、結果的にはグループ審査で落ちてしまって。あまりにあっけなさすぎて呆然としていたんですけど、そこから視聴者投票で復活できるとなって、また頑張ろうと思いました。
――しかし、合宿では最終審査まで脱落ラインでした。
一条 これは本当にやばいと思いました。心が折れそうになったんですけど、中間審査で少し順位が上がって。そこからはもう必死でやるしかないと切り替えました。
――最後の最後で逆転しましたね。
一条 最終審査までに何とか仕上げないとって、あらゆるスキマ時間を使って練習した甲斐がありました。
――アイドルを目指した理由が、子どもの頃から身長が高くて、「ゴリラ」と呼んでいた人たちを見返したかったからだとか。
一条 そうなんですよ。バスケをずっとやっていたんですけど、坊主にしていて、すごくボーイッシュだったんです。
――何がきっかけでアイドルに興味を?
一条 実はもともと興味はなかったんです。友だちに誘われてアイドルグループに入ったんですけど、やってみたらステージでパフォーマンスするのが楽しくて。アイドルっていう職業が素敵だなと思うようになったのは、そこからですね。
――アイドルにあこがれたというよりは、やってみて好きになった。
一条 歌って踊って、みんなが応援してくれるっていう空間がめちゃくちゃ好きになりました。こうしてアイドルをやることができるのは、そのときに私を見つけてくださったファンの皆さんのおかげなんです。
――今も応援してくれている方も?
一条 ありがたいことにいらっしゃいますね。
――ずっと見守ってくれているわけですね。
一条 だから、その方々に恩返ししたいっていう気持ちがすごくあります。自分がステージに立つことで、いろんな人に希望を与えたいですね。
――あらためて、これからどんなアイドルになりたいですか?
一条 スターですね。ずっと言っているんですけど、日本のアイドルといえば私たちっていう存在になりたいです。日本のトップになって、さらに世界でも活躍できるようなグループを目指したいと思っています。
●一条カオリ(いちじょう・かおり)
1998年7月16日生まれ、埼玉県出身。今年3月までアイドルグループで活動したのち、『Dark Idol』に応募。小・中・高とバスケットに励み、県大会ベスト8の強豪校に在籍していた過去がある。
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5人目は〝元超人気キャバ嬢〟という異例の経歴を持つ星野ティナさん(23歳)だ。
――星野さんは18歳までアイドルグループで活動されたあと、売上1億円の売れっ子キャバ嬢として活躍されていました。それだけに〝普通ではないアイドル〟をプロデュースする番組コンセプトを最も象徴する存在という印象がありました。
星野 ほんとですか。自分では全然意識してなかったです。
――でも実際、グループ審査の敗者復活となった視聴者投票では、2位に5000票近い差をつけた1万8272票を集めて1位通過を果たしました。それだけ応援する方々の熱量が大きかっただけに、審査も自信があったのでは?
星野 最初のタイマンバトルはめちゃくちゃ自信あったんですよ。次のグループ審査で落ちてしまったときも、あまりにもあっさりと終わったから、悔しいっていうより、どうしようって感じで。そこから視聴者投票で復活できたんですけど、合宿の評価がいきなり厳しくて。
――最初の順位発表から脱落ラインで。
星野 いよいよメンタルがもたなくなって、あそこで一気に自信をなくしました。
――そうだったんですね。番組を観ている分にはわからなかったです。
星野 すごく焦ってました。私は性格上、「常に強くいないと」っていうタイプなんです。それで合宿では素を出せてなかったんだと思います。
――じゃあ、実は強がっていた?
星野 はい。ほんとは泣きたかったです(苦笑)。
――それは意外でした。タイマンバトルのときも、「勝つのは実力よりも華があるかどうかでしょ」と番組の意図を見透かしたようなコメントをしていて。
星野 そこは実際、今の実力だけではなく、将来性も含めて見られているんだろうなとは思っていました。
――でも今のお話だと、内心では必死だった、と。
星野 負けず嫌いですし、順位が低い結果になったときは、本当に悔しかったんです。
――合宿で最初が13位と発表されたとき、「自分にがっかりした」と言っていましたね。
星野 そうですね。だから、あれは本音です。
――キャバ嬢として実績があり、『小悪魔ageha』ではモデルとしても活躍していたのに、なぜ今回のオーディションに応募を?
星野 18歳までアイドルをやっていたんですけど、終わり方が雑で。
――プロデューサーが逮捕されて解散したんですよね。
星野 それで心残りがあって。ステージで歌って踊る仕事はすごく楽しかったんです。それをまたできるなら挑戦したいと思ったんです。
――そうまでしてやりたいアイドルとは、星野さんにとってどういう存在なんでしょう?
星野 私はひとりで有名になりたいわけじゃなくて、チームとしてひとつの目標を成し遂げたいタイプなんです。だから、アイドルグループは本当に生き甲斐だったんです。
――そこまでアイドルに強い思い入れがあったんですね。
星野 一応ね、ありますよ(笑)。
――どういうアイドルになりたいですか?
星野 幸せを届ける王道のアイドルというよりは、リアルな思いを発信することで、共感してもらえるような存在になりたいですね。ダークな過去があっても、ここまで成り上がれるんだよって見せていきたいです。
――グループとしての目標は?
星野 Mステ(ミュージックステーション)に出たいな。
――まさに成り上がりですね。
星野 はい。夢を叶えてみせます。
●星野ティナ(ほしの・てぃな)
2001年5月8日生まれ、東京都出身。18歳までアイドルグループで活動するも、担当プロデューサーの不祥事により活動停止。その後は売れっ子キャバ嬢として月に1億を稼ぐなど大活躍するも、夢を追うために『Dark Idol』へ応募。視聴者投票1位の実績を引っ提げ、再びアイドルに挑む。
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6人目は谷屋杏香さん(26歳)。日本と韓国の大型合同オーディション『Nizi Project』の参加経験を持つ実力派だ。
――実は橋本萌花さんにインタビューした際、「リーダーは杏香ちゃんに任せたい」とおっしゃっていて。
谷屋 いや~、グループで動くときにいつも最初に声を上げてくれるのが萌花ちゃんなので、私は萌花ちゃんがいいと思います(笑)。
――でも番組中では、谷屋さんもグループの中心になっていた印象があります。
谷屋 確かにリーダーを任せてもらうことは多いんですけど、個人的にはリーダーを支える立場のほうが得意な気がしていて。そっちのほうが周りがよく見えるんですよね。
――自分としてはサポート側のタイプだ、と。谷屋さんはグループ審査で落選したのち、視聴者投票で1万3905票を集めて2位通過されましたね。
谷屋 私はこれが最後のチャンスだと決めてオーディションに臨んだんですけど、グループ審査は連帯責任ということもあり、自分だけの力じゃどうしようもないところがありました。それでも落ちたときは「まさか」とすごくショックだったんですけど、そこから投票で復活させてもらって。投票してくださった方々には本当に感謝しています。
――でも、それ以降の個人審査では常に高い順位を保っていました。それは過去に『Nizi Project』の東京合宿に参加したという経験が大きかった?
谷屋 本当にそのとおりです。この番組も過酷で大変なことばかりだったんですけど、オーディション期間はずっと楽しかったんです。それはまさに『Nizi Project』の経験があったからで、あのときの挫折を乗り越えたから、今回は楽しむことができたのかなって思います。
――「Nizi Project」では残念ながらデビューに至りませんでした。あの頃と今では何が違う?
谷屋 『Nizi Project』に落ちてから、自分は何がダメだったのかずっと考えていました。特に強烈だったのが、J.Y.Park(K-POPプロデューサー)さんの「ナチュラルさがない」ってコメントで。
――『Nizi Project』の審査でのコメントですね。
谷屋 どういう意味なんだろうって。落選してから自分に向き合うことでわかったんですけど、当時の私は自分自身を愛せてなかったんです。歌やダンスに必死だったのも、誰かに見せるためではなく、自分に自信をつけるためだった。だから、自分に余裕がなくて、自分らしい表現ができてなかったんじゃないかなって。
――なるほど。当時は歌やダンスの技術はあっても、谷屋さんの人間としての魅力までは出せてなかった。
谷屋 そこに気が付いたことで、今は自分に余裕が生まれたし、自然と肩の荷が降りて、周りのことも見られるようになりました。その結果、自分らしいパフォーマンスにたどり着けたのかなって思います。
――今後はどういうアイドルを目指していきたいですか?
谷屋 私たちが他のアイドルグループさんと違うところって、年齢の高さだと思うんです。ただ、年齢って重ねてきた分、経験値があるっていうことだと思うから、そこは強みにもなる。だから、私たちは若さに頼ることができない分、それぞれの経験から生まれるメッセージ性あるパフォーマンスで勝負していきたいと思っています。
――ありがとうございます。すごくリーダーっぽい、しっかりしたコメントでした!
谷屋 リーダーは萌花ちゃんに譲りたいんですけどね。困ったな(笑)。
●谷屋杏香(たにや・きょうか)
1998年8月27日生まれ、静岡県出身。NiziUを輩出した『Nizi Project』の参加者であり、『Dark Idol』には最後のチャンスとして応募。長年培ったダンス技術も高く評価され、見事デビューを果たした。
1984年生まれ、岩手県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映画業界、イベント業などを経て、フリーランスのライターとして執筆活動を始める。ビジネス・カルチャー・広告・書籍構成など、さまざまな媒体で執筆・編集活動を行っている。著書に「売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密」(集英社)。季刊誌「tattva」(BOOTLEG)編集部員。