仮面ライダーシリーズ最新作『仮面ライダーガヴ』のオンエアを記念して、今年も『週刊プレイボーイ』のスペシャルイシューが発売! 9月17日に発売された40・41号では「歴代仮面ライダーヒロインが大集結!!」と題し、仮面ライダー女優たちが登場。水着グラビアの最新撮り下ろしやインタビューなど、今回も仮面ライダー愛がほとばしる内容となった。

その特集により歴代ヒロイン4名のインタビューを、週プレNEWSに再掲載。今回は『仮面ライダー鎧武』(20013~2014年)で高司舞役を演じた志田友美さんが登場。舞はプロのダンサーを目指しながらも、主人公の葛葉紘汰をサポートする、明るく姉御肌のヒロイン。敵との抗争に思い悩む紘汰を気にかけ、彼に寄り添うことを決意する。今回の取材では、当時の心境や役への思いなどを語ってくれた。

──志田さんは2013年10月から放送された『仮面ライダー鎧武』に高司舞役で出演。主人公・葛葉紘汰をサポートするヒロインを演じました。

志田 舞は明るく姉御肌でちょっと強めだけど、実は心配性で繊細な部分もあるというキャラクター。自分に似ているところがあるんです。なので、当初は割とそのままの自分で演じていました。

ただ、第41話以降、舞がある大きな変化をして以降は、それまでと違ってミステリアスな雰囲気を求められたので、演技のアプローチも変えました。どこか遠くを見ているような目線を意識したりして。1年間、試行錯誤しながら演じ切りました。

──オーディションのことは覚えていますか?

志田 当時は16歳で、夢みるアドレセンスというアイドルグループのメンバーとして活動している時期でした。同じ事務所の女の子と一緒に3人ぐらいでオーディションを受けたんですけど、自分は絶対に合格するわけがないと思っていたんですよ。『仮面ライダー』に出演することは憧れのまた憧れだったし、演技に自信がなくて女優は向いてないと思っている自分が受かるわけないって。

志田友美さんが演じた高司舞 ©石森プロ・東映 志田友美さんが演じた高司舞 ©石森プロ・東映

──志田さんは『仮面ライダー鎧武』出演前にもドラマに出演していましたよね。演技に自信がなかったんですか?

志田 そうなんです。私はそもそもモデルとして活動したくて芸能界に入ったので、女優にはピンときていなかったし、アイドルも最初は抵抗がありました。ただ演技をすること自体は楽しかったし、アイドルも次第に楽しく思うようになっていったんですけど。

──とはいえ『仮面ライダー』のヒロインには憧れていたということで決まった時は嬉しかったのではないですか?

志田 めちゃくちゃうれしかったです! 本当に憧れだったし、あと6歳下の弟がいるんですけど、ちょうど仮面ライダーにハマる頃だったので、お姉ちゃんが出てたら喜ぶだろうなーとも思って。弟をびっくりさせようと思って、家族に頼んで弟には出演することを内緒にしてもらっていました。第1話の放送当日にはお母さんから電話がかかってきて、『喜んでたよ!』って(笑)。

──撮影が始まってからは、どんな生活でしたか?

志田 朝から晩までの撮影が連日続くので、東映の撮影所がある大泉の近くにアパートを借りて、そこから通うことになりました。で、夢アドの活動があるときは都心に戻って、どうしても『鎧武』の撮影と被ったときは、夢アドのライブをお休みさせていただくこともありました。本当に過酷な1年間でした。

──忙しすぎて、もう逃げ出したいと思うこともありましたか?

志田 正直、ありました(笑)。でも、実家が岩手だから東京から遠いし、もしいったん帰ってしまったらもう終わりだ、戻れないという感覚があったんです。実家がもっと東京に近かったら逃げ帰っていたかもしれないけど、お母さんに電話するぐらいしかできなくて。そう考えると、実家が岩手だったから逃げ出さずに踏ん張れた部分はあると思います。

──「本当に過酷な1年間」とおっしゃっていましたが、長丁場の撮影でターニングポイントになった出来事を教えてください。

志田 後半のあるシーンの短いセリフで、監督が求める言い回しがどうしてもできなかったことがあったんです。何十カットもNGを出して、結局OKが出ずにそのシーンの撮影は翌日に持ち越し。正直、もうダメだと思いました。

共演者の方たちやスタッフさんに迷惑をかけて申し訳なさすぎるし、自分が情けなさすぎるし、撮影現場の裏で泣いて、家でお母さんに電話して泣いて、そのあとも泣いて。その日は、それまでの人生で一番泣きじゃくりました。

──それが大きな転機になった?

志田 そうです。泣くまで演技したことで、恥じらいがなくなって、120%の力を出せるようになりました。心の皮が剥けた感じがします。あと気づいたんです。自分では演技にそこまで乗り気ではないと思っていたけど、こんなに大号泣するってことは、じつはそれだけ本気だったんだって。そこから気持ちが切り替わって、よりストイックに役や作品に向き合えるようになりました。その経験をしたことで、私は自分がやりたいから演技の仕事をしているんだ、自分の意志でこの世界にいるんだと自覚できて、志田友美の芯ができあがったと思います。

──逆を言えばそれまでは芯ができあがっていなかった?

志田 自覚はなかったんですけど、恐らくそうだったんだと思います。私は小学校6年生に芸能のお仕事を始めたんです。それ以来、ありがたいことに途切れずお仕事が入っていって、それをこなしていくしかないみたいな感じだったんですね。

休みもほぼなかったから、自分が今どういう気持ちで仕事をしているのか、わからなくなっていたんです。でも、私はこの仕事が好きなんだ、芸能の世界で生きていくんだって自覚できたというか。その経験をしてから、さらに演じることが楽しくもなっていきました。

──まさしく転機だったんですね。

志田 絶対にそこで私は強くなったと思います。その後、撮影中に、岩手のおじいちゃんが亡くなった知らせを受けたんです。メイクをしているときに聞いたんですけど、もうすぐ撮影がある。大好きなおじいちゃんで、私は"じじ"って呼んでたんですよ。じじのことが大好きだったし、本当に悲しかったけど、撮影に影響があったら絶対にいけないじゃないですか。でも、その前の経験で強くなれていたからこそ、しっかり気持ちを切り替えて撮影に臨めました。天国のじじが見守ってくれているとも思ったし。

──おじいさまは、それまでの放送も見ていてくれたでしょうしね。

志田 見てくれていたと思うんですけど、めっちゃシャイで、私が帰郷しても私には興味ないみたいな態度の人だったんです(笑)。私は、じじのこと大好きだったんですけどね。でも後から聞いたら、自分の友だちに私が出てる雑誌を見せて、『これ、うちの孫だからよ』とか言って自慢してたらしくて。実はそうだったんだって、うれしかったです。これ、初めて話す話なんですけど。

──『仮面ライダー鎧武』での経験を通してどんなものを得られたと感じていますか?

志田 ちょっとやそっとじゃ折れない心ですね。何があっても、『自分は絶対できる!』という自信ができました。今までの仕事の中で、心も体も『仮面ライダー鎧武』が一番大変だったので、あれよりつらいことってないなって(笑)。

収録が終わり、2019年12月まで夢アドのメンバーとして活動していたんですけど、そのときもけっこう大変だったんですよ。岩手で個人の撮影があって、そのあとに東京に戻ってTIF(Tokyo Idol Festival)に出演して、また岩手に戻り仕事して、次の日に大阪とか(笑)。普通に考えたら心が折れそうな日程だけど、『仮面ライダー鎧武』での経験があったから大丈夫だったというか、『自分は絶対できる!』と思えて頑張れました。

今、2歳の娘の子育てをしているんですけど、やっぱり大変なことは多いです。でも、それをちゃんと乗り越えられているのは、その時の経験が活きていると思います。それ以外にもいろんな苦労がありましたけど、『仮面ライダー鎧武』時代の過酷さに比べたら全然平気(笑)。今の私が何があっても心が折れないのは、絶対に当時の経験があったからです。

──志田さんの人生において大きな財産、力になっているんですね。

志田 放送から10年以上経った今も、キャストやスタッフさんとのグループLINEが動いているんです。本当に仲が良くて、絆が深いんです。それも、私の心の支えになっています。いつになるかはわからないですけど、またみんなで集まって、『仮面ライダー鎧武』ファンの方たちに喜んでいただける企画を何か実現させられたらいいですよね!

●志田友美 Yuumi SHIDA
1997年2月11日生まれ 岩手県出身
○『Popteen』の専属モデル、アイドルグループ・夢みるアドレセンスのメンバーとして活躍し、現在はモデル、女優として活動