ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。脳科学者の中野信子さんをゲストに迎えた5回目のテーマは、「脳科学とは何か?」、そして「記憶力とコミュニケーション能力」について。記憶力がいいと困ることもあるみたいです。脳科学って、意外と面白いですよね。
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ひろゆき(以下、ひろ) 今回は中野さんが専門にされている脳科学について教えていただけますか?
中野信子(以下、中野) はい。脳科学という言葉は20世紀には聞かなかったと思います。この言葉が登場したのは、1990年代に〝脳の機能を見られるMRI〟である「fMRI」が開発されてからなんです(MRIは強い磁石と電波によって体内の状態を断面画像にして映し出す検査のこと)。
ひろ それまでは、どんな研究方法だったんですか?
中野 健康な人の脳を直接調べることが難しかったので、主に亡くなった方や病気の患者さんの脳を調べる方法が中心でした。例えば、脳卒中や脳梗塞、脳出血などで脳に障害が起きた患者さんを研究していました。
ひろ 頭皮に電極を張って脳波を調べるみたいな研究はしなかったんですか?
中野 やっていましたが、脳波測定には限界があるんですよ。特に信号源の正確な推定が難しい。反応のタイムコース(時間の経過による変化)を見るにはいいんですが、マッピングとしては恣意的になってしまう可能性がありました。ところが、fMRIが登場したことで一変します。「脳のここの部分が活性化しています」ということがわかるようになりました。
ひろ つまりfMRIで、リアルタイムに電磁気が発生している場所がわかるようになったということですか?
中野 その理解はおおむね正しいですが、少し補足が必要です。fMRIで見ているのは直接的な電気活動ではなく脳の血流なんです。
ひろ 血流ですか?
中野 はい。少し複雑ですが説明しますね。私たちの血液には酸素を運ぶタンパク質のヘモグロビンが含まれていますが、酸素を運んでいるヘモグロビンと酸素を放出した後のヘモグロビンでは、磁気的性質が少し異なるんです。fMRIはこの違いを利用して、脳のどの部分で酸素が多く使われているか。つまり、どの部分が活動しているかを推測します。この血流の変化と実際の神経活動の相関については、まだ議論の余地がありますが、現在の脳科学はこの研究を基盤として進められています。
ひろ ちなみに、脳は寝ているときもカロリーを消費し続けていると思いますが、例えば冬眠する動物はどうなんですか?
中野 冬眠について私は専門外ですが、完全に活動を停止しているわけではないはずです。活動レベルは大幅に低下しますが、生命活動を維持するために最低限の代謝は行なっているでしょう。人間などの生物は、代謝を完全に停止すると細胞の分解が始まりますから。
ひろ 死んじゃいますよね。
中野 はい。例えば人間はオレンジジュースを飲むと体内にオレンジジュースの成分が入ります。で、オレンジジュースの成分は、代謝されて尿や汗になって出ていきます。この代謝によって生命活動に必要な機能を維持しているんです。
ひろ ちょっと質問していいですか? 老化って代謝の衰えと関係しているといわれるじゃないですか。でも、ある程度年を取っても脳の機能は、それほど老化しないと聞いたことがあるんですけど、どうなんですか。
中野 いえ、脳も確実に老化しています。ただ、老化の影響は脳の機能によって差があり、運動機能は比較的早く衰える傾向にあります。筋肉の衰えもそうですが、運動機能は新しい動きを覚える際に古い動きを忘れる必要があるんですよ。
ひろ ああ。例えば、テニスをしていた人がゴルフを始めると、似ている動作が干渉して、正しいゴルフのスイングを身につけるのが難しくなりますよね。
中野 私たちが新しい動作やスキルを学ぶとき、脳内ではその動作に関連する新しい神経回路が形成されます。ただ、脳は効率を重視するため、よく使っていた動きを優先する傾向がある。そのため古い動きを忘れないといけない。でも、この忘れるという過程が加齢によって難しくなるんです。
ひろ つまり、古い情報を壊すことができなくなる?
中野 そのとおりです。私はあまりこの言葉が好きではないのですが、いわゆる老害と呼ばれる現象にもこれが関係しています。過去の成功体験に縛られて新しい学習ができなくなっているんです。
ひろ ちなみに、子供の頃に神童とか呼ばれるような天才的に記憶力がいい人も、大人になったら普通になるみたいな話もありますよね。
中野 多くの人は、成長過程で記憶の仕方が変化するんです。例えば、視覚的な映像記憶は小学校低学年の約4分の1の子供が持っていますが、思春期までに消失する人がほとんどです。私の場合は20代半ばまで残っていましたが、これはかなりまれなケースです。
ひろ 記憶力が良すぎることで生まれる支障ってあります? というのも、これは僕の体感なんですが、忘れっぽい人のほうがコミュニケーション能力が高い気がするんですよ。
中野 それはかなり鋭い洞察ですね(笑)。これに関連して興味深い研究があります。旧ユーゴスラビアのコソボ紛争の際に行なわれた実験があります。民族間紛争が絶えない中で各陣営から同じ階層、同じ職業の人をひとりずつ選んで対話させ、融和が図れるかを観察したんです。その結果、一番仲良くなれなかったのが歴史学者たちでした。
ひろ あ、納得です(笑)。歴史学者の人は過去の出来事を細かく覚えているから、「昔こんなひどいことがあった」とか「あっちが先に攻めてきた」とか、そういうことをどうしても思い出してしまうんですね。
中野 そのとおりです。ここで重要なのは「水に流す」ということの大切さです。
ひろ 確かに。多くの人と仲良くなるには、細かいことを覚えていないほうがいいかもしれませんね。
中野 ですから記憶力が良すぎるとコミュニケーションの阻害要因になる可能性があります。忘れる力を磨いたほうが、人間関係は良好になると思います。つまり、根に持たないほうがいいんです。
ひろ コミュ力が高い人は友達が多く、ひとりひとりと向き合う時間が少ない。すると、細かい部分を気にしなくなるという法則はありそうですね。人間は長い時間一緒にいると誰でも相手の嫌な部分を見てしまうじゃないですか。それを気にせず忘れていけるほうが、良好な関係を続けやすそうです。
中野 実は夫婦関係の悩み相談でも似たような話を聞きます。子育てや仕事で忙しい時期はそれほど衝突しなかったのに、熟年になって時間ができたとたんに問題が出てくるというケースが多いんです。
ひろ 定年後に家で一日中一緒に過ごしたら、嫌な部分が目についちゃいますよね。友達や知り合いが少ない人ほど濃密な関係をつくりがちで、相手の嫌な面もより鮮明に覚えてしまうということですね。
中野 ひとりの人と深く関わりすぎるとかえって問題が生じる可能性があります。適度な距離感を保つことが良好な人間関係の鍵かもしれません。
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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■中野信子(Nobuko NAKANO)
1975年生まれ。東京都出身。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学大学院博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピンに勤務後、帰国。主な著書に『人は、なぜ他人を許せないのか』(アスコム)など