お笑い芸人、絵本作家、映像監督、俳優など、ジャンルを飛び越えて唯一無二の存在感を放つ天竺鼠の川原克己(かわはら・かつみ)さんが、各界のアーティストとお互いの創作活動について言葉を交わす新企画。前回に引き続き、クリープハイプの尾崎世界観(おざき・せかいかん)さんをゲストにお迎えします。
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■相反する〝他人への思い〟
川原 「ファンはこう感じるんじゃないか」っていうのを踏まえながら曲を作ることはあるの?
尾崎 これは本当に読めないんです。なんとなくこういう感じかなと思って作っても、まったく反応が違ったりするので。だからもう、最初からズレるだろうと、ある程度予測しています。
でも、そのズレた感想を見るのも大事だと思っていて。誰にも聴いてもらえない時代が長かったので、何かしらの反応があるのはやっぱりうれしいし、幸せなことです。
川原 その反応が作品に影響するってことは?
尾崎 それで変えることはないです。でも、「影響を受けない」というのもある種の影響ですよね、きっと。
川原 そうねぇ。「執着しないようにしよう」っていうのは執着だもんね。だから最近俺は、世の中のみんなをラマだと思うようにしてるのよ。ラマに何言っても意味ないし、ラマにツバかけられて、「なんでツバかけんねん」って腹立ってもしゃあないし。
尾崎 でも、ラマだと思おうとしている時点で人間だと思ってますよね?
川原 (笑)。いや、俺からしたらラマなんよ。ラマにどう思われてるか考える時間がもったいないから、嫌われようとはしないんだけど、好かれようとも思ってない感覚。ラマはラマで生きてるって思えばいいかなって。
尾崎 なるほど(笑)。自分はやっぱり腹を立ててしまうし、なかなかそういうふうには思えなくて。川原さんが作品作りをする上での〝怒り〟は、どういった存在ですか?
川原 うーん、〝怒り〟よりも〝おもしろい〟と思ってしまうよね。でも、お笑いで「なんやねん、おまえ!」ってツッコミが入るようにするのって、怒りともいえるのか。そう考えると、〝腹立つ〟をテーマにすることはあんねんな。世界観くんは?
尾崎 自分ではよく使うんですよね。だからこそ、けっこう人の意見も気にします。「どうせネガティブな感情にさせられるのなら、ちょっと表現に組み込んで利用してやろう」という気持ちもあります。単純に、音楽は大きい音を出すので、怒りの感情と相性がいいのかもしれません。
川原 そこがエネルギーにもなってるんやね。でも、年を取ってくると怒ることも少なくなってくるやろ?
尾崎 そうですね。怒るのも疲れるんですよね。最近は怒ることに対して、「よし、怒るぞ」と一度スイッチを入れているような気がします。川原さんはラマに怒らせてもらっていますか?
川原 (笑)。ラマは怒らそうとしてないからね。ただ生きてるだけだから。
■芸人にあって、ミュージシャンにないもの
尾崎 ミュージシャンとの違いを考えた時、芸人さんのほうが圧倒的に優しいと感じますね。すごく気を遣ってくれるし、接しやすいです。
川原 空気を読んだら自分がこのフレーズを残せるとか、誰かがこんなことをしてるからこれをやろうとか、売れるためには周りをよく見なあかんとされてるよね。だから、人としての距離感が上手な人も多いし、優しいんやろうね。
尾崎 テレビでもライブでも、芸人さんのほうが皆で一緒になる機会が多そうですよね。ミュージシャンは基本的に同じステージでやることがないので、それもあるのかもしれません。
川原 確かにそうね。誰かとしゃべらなくても成立して盛り上がるから、そのへんで違いは出てくるのかもね。
でも、俺はそっち側のような気もする。舞台でネタやって、はい終わり、みたいな。ライブのコーナーとかでも、空気を崩すとかではないけど、空気関係なく、「これをこのタイミングでやりたい」を優先させることが多いんよな。
例えば、昔、千鳥さんがトップだった頃の劇場で、ボス的な存在の大悟さんが俺に話を振ってくれた時、俺はまだ無名やったけど、「誰が誰に振ってんねん!」って大悟さんの頭叩いてみたんよ。舞台上はピリッとなったんやけど、俺の中で「あの人を叩いたらおもろいやろな......」が勝ったんよね。
尾崎 そのあとどうなったんですか?
川原 「うわ......」って雰囲気のあと、大悟さんもノブさんもおもしろがってお笑いに変えてくれて、たぶん、もう一回叩いたと思う。
尾崎 芸人さんの場合は「おもしろいかどうか」という明確なゴールがあるように思いますが、ミュージシャンはそこが曖昧なので難しいところがあります。本当は、涙を流している人よりも、無表情の人のほうが感動しているかもしれない。
■ふたりが思う理想の表現
川原 それで言うと......ひとつ試してほしいことがあるんやけど、例えば、「パンツ」という言葉だけでバラードを作ってみてほしいのよね。パンツがどうのこうのってストーリーじゃなくて、歌詞がパンツだけの曲。
これで泣いてる人とかがいたりしたら、それこそ世界観くんの「どう思わせたらいいんだろう」っていう曖昧な部分がより深くなるかもしれないけど。周りが「どう思ったらいいんだろう」ってなる曲を作ってもらいたいなぁ。
尾崎 実は最近、「歌詞の意味をわざとなくす」というのをやり始めてるんです。言葉じゃない何かをサビで使ったりしていて。今までずっとこだわって歌詞を書いてきたので、そういう人があえて〝書かない〟のは意味があると思ったんです。
川原 うわぁ~、いいなあ。そういうの好きだわぁ、すごい。そこに行き着くってことは、やっぱりなんか......〝ちゃんと変〟なのよ。自分が何を目指してるかわかってる人だから。
尾崎 やっぱり飽きてくるんですよね。限られた言葉しか使えないというか、自由ではあるけれど、音楽になるというのを考えると、だいたいの型が決まってきてしまう。そういうところから離れるというか、言葉を捨てていくというか。
川原 確かにね。まさになんやけど、俺は今度撮る映画で、この世にない言葉でシビアなシーンを撮ろうかなと思ってたんよ。緊迫した感じの中で「......そじな」みたいな。言葉って枠はどうしてもあるけど、意味のわからない言葉で何が伝わるかって。
尾崎 伝わらないのはもちろんすごく悔しいし、もどかしいんですけど、〝伝わっちゃう〟ということにもその感情があります。うれしいんだけど、ちょっと伝わりすぎたなって。
これはすごくわがままなことなんですが。自分が作ったときの苦労と、それが伝わるまでの速度にズレを感じる。でも、それも言葉があるからこそなんですよね。
川原 そうなのよね。俺は、「この世にまだジャンルがないもので笑かす」っていうのが一番の理想なんよね。
今はまだ漫才、お笑い、それこそ言葉も、ジャンルの中でできることしかないんやけど、「もうそれジャンル、何!?」っていうのを探したい。そのために、今は世の中にあるジャンルの中で遊んでいって、何を思いつくか。
ちょっと訳あってなくなったんだけど、実は「無観客無配信ライブ」の後に、「観客あり配信あり演者なしライブ」をやろうと思ってたのよ。ちゃんと自分の中でおもしろいものを作って、それを舞台上に流す......って、ここまではたぶん〝わかる〟のよ。
でも、俺はさらに、当日舞台からなるべく遠い国とかにいたいわけよ。「日本では俺の単独をお客さんが見てるのに、俺は遠い国でゆっくりしてる」っていう、既存のジャンルで言えないようなことをしたい。これはもう、誰がおもしろいとかではないんやけど。
尾崎 それは勇気がいることですよね。やっぱりどうしても、みんな理解されたくて表現をしていると思うので。そういう衝動だったり、あえて裏切って逆のことをしてみようと思いついたとしても、その先まで行くというのは。
川原 もっと先よね。枠の中の遊びを突き詰めていったら、究極、俺は誰とも会わずに無農薬の野菜とか育てて、ひとりでニヤニヤしてるかもしれない。
尾崎 自分の場合は、新しいことをやるというより、今あるものを長く続けたいという感覚なので、そこは真逆かもしれないです。昔、急に音楽性が変わって、好きなバンドがどんどんダメになっていったのがすごく悲しかったので、なるべく変わらずにいたいんです。
川原 なるほど。変わらずに居続けることも難しいことやもんね。
尾崎 周りの状況が変わっていく中で、そこだけが変わらないのは、ある意味でめちゃくちゃ〝変なこと〟なので、これからもそれをやっていきたいですね。
川原 おもしろいよね。......やっぱり思ったとおり、〝ちゃんと変なもの〟が開いてる。
●川原克己(かわはら・かつみ)
1980年1月21日生まれ、鹿児島県出身。お笑いコンビ「天竺鼠」のボケ担当。芸人以外にも映像監督、俳優、絵本作家、音楽活動など多岐にわたって活動中。
●尾崎世界観(おざき・せかいかん)
1984年11月9日生まれ、東京都出身。ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。12月4日にニューアルバムを発売予定。執筆活動も行ない、『母影(おもかげ)』『転の声』が芥川賞候補に。