「私自身、何度か、命を絶とうとしたことがありました。それが10代の頃から続いているので、死への衝動とは果たしてなんなのだろうか、とずっと考えていたんです」と語る田中慎弥氏 「私自身、何度か、命を絶とうとしたことがありました。それが10代の頃から続いているので、死への衝動とは果たしてなんなのだろうか、とずっと考えていたんです」と語る田中慎弥氏
死神を題材にした漫画や映画は数多くあるが、「家族」や「死」について死神と人間がかくも深く語り合う小説はあっただろうか。ある日、自分の死に関係する「死神」が見えるようになった、中学2年生の「私」。担当した人間の死を見届ける役割だという死神と「私」はやがて対話を繰り返すようになる。成長し、作家となった「私」は果たして死を選ぶのか? 芥川賞作家・田中慎弥が圧倒的な面白さで描く、「死神小説」の登場だ。

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――そもそもどうして死神が登場する小説を書こうと思ったのですか?

田中 あちこちで話してきたことなのですが、私自身、何度か、命を絶とうとしたことがありました。それが10代の頃から続いているので、死への衝動とは果たしてなんなのだろうか、とずっと考えていたんです。

といっても何か決定的な出来事があったわけではありません。それでも人は死への衝動を抱えるし、今でもそれは続いています。

そこへ連載の依頼が来て、トータルで400字詰め原稿用紙で単行本にしやすい300枚くらいと最初に決めて、その長さならば、自分の良からぬ経験について書くのにちょうどいいかな、と思いました。編集者からもいわゆる純文学ではなく、エンタメに寄ったものにしてはどうか、という提案もあったので。

そこで自分の中にある死の衝動を引きずり出して、確かめるために死神という存在を設定してみたんです。いわば自分を主人公と死神の二手に分けて書いたんですね。

――死神を登場させるにあたって、具体的に思い浮かべた作品はありましたか? 死神とのやりとりを読んで、漫画の『DEATH NOTE』を連想したんですが。

田中 『DEATH NOTE』は読んだことがないです。映画は見たかもしれないな。

私はいつも明確なテーマを持たずに書いているので、意識した作品は特にないですね。強いて言えば落語の『死神』のことは考えたかもしれない。あれはグリム童話が基になっていますよね。

死神は万国共通の存在で、宗教や神話と関係なく、何か決定的なものをつかさどる存在として考えました。

――主人公の父親は強権的で家族に暴力も振るいます。従順だった母親の選択や父親の変化がとてもリアルでした。

田中 私自身が男として自分の性に違和感なく生きているし、どうやっても男の立場でしか女性のことを描けないんですが、書いている女性の境遇を想像すると「こうせざるをえないんじゃないかな」と考えるんですよね。そこで母親が家族にとっては劇的な選択をすることになりました。

父親については、男がどうやって衰えていくのかを書きたかったんです。

この父親自身は会社員で、おそらく自殺について考えたことはないまま、肩書と出世で生きて、家庭では思うままに振る舞っていた。それがちょっとしたことで崩れて、病気になって、それでも生きている。

「生きるとは、こんなにしょぼくれても死なないことだ」と書きたかったのかもしれない。

――10代の生きづらさについて書いたものは多いですが、『死神』には子供にとって檻(おり)のように感じる家族というものも変化することが書かれています。

田中 セカンドキャリアというのは仕事だけでなく、私生活においてもありうると思います。結婚してもしなくてもいいし、ひとりの人とずっといなくてもいい。

私が生き方を勧めるわけではないし、小説をどう読むのかは読者の自由なので、「この人はこう生きた」ということを小説として書いただけです。

結果的に、ベストではないかもしれませんが。

――今回『死神』で、自分の中にある死への衝動を書いてみて、何か変わりましたか?

田中 自分は小説を書く以外の職業を知らないので、書くことで確かめるしかないんです。「死ぬ/死なない」って、本人以外にとっては実はシリアスな問題ではないんですよね。だからこそ怖いといいますか。

私の祖父は戦争から帰って、93歳まで生きました。一方、私の父は平和な世の中で早くに亡くなった。危険なはずの戦争から生きて戻る人もいれば、平和の中で死ぬなんて「世の中は信用できないな」と、子供心に思ったんですよ。

話が複雑になってしまいましたが、死のほうへ行ってはいけない、と意識している時点では、ギリギリ生きていられるというか。「死について考えることで生きているのだろう」と思うのは、私が無宗教だからかもしれません。

――全体を通して、あらためて田中さんの文体の魅力を感じました。作品の前半、主人公が中学生の頃は、短いストロークの文章が詩的なイメージと共に書かれ、夢か現かはっきりとしない空間で死神に出会う。

怖い場面であるはずなのに、心地よく読みました。一方、ぐっと展開が早くなる場面もあって、緩急のバランスが絶妙で良かったです。

田中 技術的な話になりますが、情景描写や内面の心理描写を長く入れることはやめました。うまくできたかわかりませんが、迷ったら粘るのではなく次へと展開することでスピード感を出しました。

なので全体は長期間にわたる話なのですが、特に後半はギュッと密度を上げています。長さとスピード感については、割と考えました。

――具体的には言えませんが、小説の最後には驚きました。

田中 死神と主人公の対話はいくらでも続けられるんですよ。「やっぱり死にたくないよね」という気持ちと死神との関係をどう決着させるのか、いろいろ考えました。

――最後には怖いはずの死神が懐かしいというか、離れ難い気持ちになってきたんですよ。

田中 10代の頃は割と多くの人が「自殺は良くないというけれど、誰でもいつかは死ぬんじゃないか」といったことを考えますよね。『死神』の主人公はそうした考えを懐かしむというか、中二病のように甘ったるく遊んでいるのかもしれない。

『死神』は少年時代から始まりますが、軸となるのは現在の主人公がどうするかという話です。

死への衝動は自分の中にあるものなのか、時間的な過去にあるのか――今思えば確かに「時間」というものについて、この小説の中で書いたのかもしれません。

田中慎弥(たなか・しんや)

1972年生まれ。山口県出身。山口県立下関中央工業高校卒業。2005年『冷たい水の羊』で第37回新潮新人賞を受賞し作家デビュー。08年『蛹』で第34回川端康成文学賞受賞。同年『蛹』を収録した作品集『切れた鎖』(新潮文庫)で第21回三島由紀夫賞、12年『共喰い』(集英社文庫)で第146回芥川龍之介賞、19年『ひよこ太陽』(新潮社)で第47回泉鏡花文学賞を受賞。著書に『宰相A』(新潮文庫)、『完全犯罪の恋』(講談社文庫)、『流れる島と海の怪物』(集英社)など多数

『死神』
朝日新聞出版 1870円(税込)

作家である主人公・私の人生の折々に現れる死神。死神と初めて出会った中学2年生の頃から、死について対話を重ねるうちに、私の人生はどう動いていくのか。暴力を振るう父とそれに耐える母との間で死への願望はどう変化していくのか? 生きるとは? 自死とは? 死神とは? 芥川賞作家が「死」と「家族」を題材に、ユーモラスかつ深層まで鋭く描いたエンターテインメントの新境地

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矢内裕子

矢内裕子やない・ゆうこ

ライター&エディター。出版社で人文書を中心に、書籍編集に携わる。文庫の立ち上げ編集長を経て、独立。現在は人物インタビュー、美術、工芸、文芸、古典芸能を中心に執筆活動をしている。著書に『落語家と楽しむ男着物』(河出書房新社)、萩尾望都氏との共著に『私の少女マンガ講義』(新潮文庫)がある。

写真/©吉原重治

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