ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。脳科学者の中野信子さんをゲストに迎えた14回目です。
あなたは自分を「頭がいい」「意志が強い」「体力がある」「容姿がいい」と思いますか? 人はしばしば自分を過大評価しているそうです。現実の自分ってなかなかわからないみたいです。
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ひろゆき(以下、ひろ) 前回は「努力を続けるにはゲーミフィケーション(ゲームの要素を取り入れてモチベーションを上げること)」が有効って話でした。
中野信子(以下、中野) そうでしたね。死語になった感もあるけれど、本質的には役に立つものとして見直してもいいんじゃないかというお話でした。学校教育における例なら、日本人が何年習っても使いこなせない英語はゲームアプリの仕立てで勉強したほうが早く身につくと思います。それ以前に英語教育には問題があって、英語をまともに話せない人が、すでに使われていない表現を教えているという現実があると思うんです。
ひろ 確かに。学校で教わる表現って、実際の会話でほとんど使わないですよね。
中野 例えば「Long time no see(お久しぶりです)」なんて、今はほとんど使われませんよね。日本語で言えば「左様でございますか」みたいな古くさい表現でしょう。
ひろ ゲーミフィケーションを使えば英語とかも理解しやすくなりますが、そもそもそういう教育を必須科目として学校でやるべきか、それともやりたい人だけやればいいのか微妙じゃないですか?
中野 私は必要を感じた人がやるべきと考えています。人間の学習能力には限界があり「ニンジンが目の前にぶら下がっている状態」じゃないと、身につかないどころか、手をつけもしませんから。
ひろ 必要に迫られないと努力は続かないっすよね。
中野 本当にそう思います。人はしばしば自分を過大評価します。大半の人は自分を実際よりも「意志が強い」「頭がいい」「容姿がいい」「体力がある」と思っている。だから、現実の自分を知るとがっかりするし、それを直視しない人も多いんです。
ひろ 僕は自分のダメさかげんを理解できるようになったのは年を取ってからな気がします。若い頃は「僕はやろうと思えば時間をちゃんと守ることができる」って思ってたんですが、気がついたらいつも遅刻をしていました。だから、あるとき「僕の遅刻癖は直らない」と開き直ったんです。
中野 私も「本気を出せばなんでもできる」とずっと思っていましたが無理でした。でも、自分の苦手は誰かできる人の力を借り、得意なことは積極的に生かしていくのがいい。そうやって自分を過大評価せずに生き延びるスキルを若いうちから身につけるべきだと思います。無理に自分の苦手分野をやっても結局は「できる人の劣化コピー」にしかならないですから。
ひろ でも、自分の弱点を認めるって、心に余裕がないとできないですよね。それに早めに自分を過小評価しすぎると自信をなくしたり、鬱になったりする可能性もある。まったく自分を信じられなくなるのも問題なので、ある程度は根拠のない自信も必要だと思うんです。
中野 それに、どのみち人間はAIにどんどん負けていく時代じゃないですか。
ひろ 身もフタもないですけど、そうっすね(笑)。
中野 今「AIはまだこれができない」っていわれている作業だって、数十年後にはほぼ実装されてしまうでしょう。そうなると「人間の存在価値」って、能力では測れない方向にシフトせざるをえないんじゃないかと思います。
ひろ 人間は記憶力や判断力、情報処理能力などでAIに勝てる見込みはほとんどない。となると、最後に残る価値は「ソシオパス(反社会的人格)」にならないですか? 要するに良心をある程度押し殺せる能力。周囲を食い物にしてでも生き残るんだという気質がモノをいうと思うんです。
中野 そうですね。そもそも能力勝負になると人間はAIも含めた集団の中で比較されるわけですから、そこでの人間の価値は時間の問題で消えていくと思います。だから、比べる範囲を人間同士に狭めたとき、容姿がいいかどうかは依然として大きく扱われる要素でしょうね。あと、ソシオパスが強いかどうかは正直なんとも言えませんが、少なくとも「人をダマす能力」は大きく影響すると思います。
ひろ はいはい。
中野 知能が高くてシッポを出さずにダマせる人と、詰めが甘くてすぐにバレる人がいる。容姿だって本質的には人をダマすツールかもしれませんよね。整形だってできますし。
ひろ 確かに顔は整形でいくらでも変えられますね。じゃあ、もう身長だけが強みになるのかな。
中野 今は足を伸ばす手術もありますから、ある程度なら身長も伸ばせますね。
ひろ 結局、人類が作業を機械に奪われ、知的労働がAIに奪われていく中で、AIが生み出す成果をうまくかすめ取って自分の手柄にできる人と、それを「みんなで共有しようよ」と善意からオープンにして損しちゃう人の二極化が進む気がするんです。前者がいいポジションを独占して後者はどんどん落ちぶれていく。
中野 おっしゃるとおりだと思います。善意の人たちは、工夫しないと本当に報われにくい世の中にどんどんなっていくかもしれません。
ひろ やっぱり性格がいいから「みんなに貢献したい」と思う人は割を食っちゃうんですね。
中野 そうですね。「性格がいいと見せかけられる人」はうまくいきますけど、根っからのいい人だと損をしてしまうケースも多い。いかにいい人を演じられるかが大きいと思います。
ひろ ところで、ソシオパスやサイコパス(共感性や罪悪感を持たない人)の度合いって、教育で高めたり低めたりできるんですか。
中野 そこは議論のあるところです。サイコパシーの高さには大きく2種類あって「遺伝的に高いケース」と「環境要因でサイコパス的に振る舞うようになったり、周囲の影響で変容したりするケース」があります。でも、表面だけ見ると区別がつきづらいんです。
ひろ いわゆる「帝王学」って、実はソシオパス的な教育かもしれないですよね。だって、非情な決断を下しても嫌われない力を養うわけですから。
中野 私もそう思います。組織を維持するために無能な働き者を切る判断は必要になってくるでしょうし、それを非情に実行して、そして嫌われないという方策を身につけるのが帝王学ですよね。
ひろ 「ひどいことをやっても嫌われないスキル」って、庶民でも持っておいたほうがいい気がします。大学に行かせられるくらいの経済的な余裕がある家庭なら、帝王学をかじる機会があってもいいんじゃないかと思います。
中野 現代は小さな集団がいくつも乱立している社会ですよね。例えば、SNSなどで誰もが発信できるから、ひとりひとりがリーダーシップを発揮できる環境がある。大きな国や組織を動かすだけがリーダーじゃありません。だからこそ帝王学にひもづくスキルは、今の時代に役立つかもしれない。
ひろ ただ、それが国にとっていいことかと言われるとちょっと微妙ですよね。
中野 ええ。国としてまとまりづらくなりますから。
ひろ だから、学校では帝王学を教えないんでしょうね。
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■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■中野信子(Nobuko NAKANO)
1975年生まれ。東京都出身。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学大学院博士課程修了。フランス国立研究所ニューロスピンに勤務後、帰国。主な著書に『人は、なぜ他人を許せないのか』(アスコム)など