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「若い頃に東京に来てたら溺れてました。立方体の水槽の真ん中に置かれているようなもので、どっちに行っても頂点があるから、目指すべき方向を見失ってたと思う」と話すガクテンソク・奥田修二さん
2024年の『THE SECOND』で優勝後、バラエティ番組でも活躍が目立つガクテンソクの奥田修二さん。"四十路独身上京漫才師"としての日々を綴った初エッセー集『何者かになりたくて』は遅咲きゆえのユーモアにあふれた一冊だ。
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――新刊、すごく面白かったです! 特に学生時代から東京ダイナマイトが大好きだったという話が印象的でした。
奥田 『笑いの金メダル』(ABCテレビ/テレビ朝日)で初めて見て、衝撃だったんですよ。関西出身者からすると、「面白いことを大声で言わへん」っていう(ハチミツ)二郎さんのツッコミがありえなかったし、逆にボケの松田(大輔)さんは声デカいし(笑)。そのコントラストが絶妙でしたよね。
2004年の『M-1』決勝に初出場したときも強烈でした。登場前のVTRのキャッチフレーズが「"ビート"の遺伝子」。当時、ダイナマイトさんは「オフィス北野」所属で、(ビート)たけしさんのスピリットを継ぐコンビって紹介のされ方にまずしびれて。
その後、おふたりがマラボーストールに白と赤のド派手な衣装で現れるわけですよ。しかも、なぜか松田さんが日本刀を持ってきてひとくだりやって、床に置いてから漫才が始まる(笑)。その"殴り込み感"がカッコ良かった。
その年は二郎さんだけでなく、優勝したアンタッチャブル・柴田(英嗣)さん、準優勝の南海キャンディーズ・山里(亮太)さんとかツッコミが目立った大会。僕がツッコミを担当するきっかけにもなりました。
――奥田さんは、2010年までの第1期、2015年からの第2期と、両方の『M-1』に出場。違いは感じましたか?
奥田 たぶん第1期は、芸人だけじゃなく吉本興業の社員さんも殺伐としてました。どことなく「『M-1』準決勝も行ってないやつが口利いてくんな」みたいな空気がありましたから。
ただ、2010年に『M-1』がいったん終了して、翌年から2014年まで『THE MANZAI』が開催された時期に、若手でいえばゆりやんレトリィバァ、尼神インター、ミキ、8.6秒バズーカーとかがブレイクしていって。
あと『アメトーーク!』(テレビ朝日系)とかのバラエティ番組で売れていく先輩たちも現れて、社員さんも「『M-1』の成績に関係なく売れるやつもいるから皆を大事にせな」って優しくなっていった気がします(笑)。
(島田)紳助師匠が芸能界を引退し、『THE MANZAI』の審査員に松本(人志)さんもいない。ライバルなはずの認定漫才師50組は夏頃から大会とは別の特番にも出演するから、少しずつ距離が近づいていって。いつの間にか殺伐とした雰囲気はなくなってましたね。
その流れで2015年にトレンディエンジェルが『M-1』王者になったのもあり、「『M-1』って明るくてもいいんだ!」と皆が確信したんだと思います。
――『THE MANZAI』では決勝進出。その時期に『M-1』があれば、という思いは?
奥田 ありましたよ。「自分たちの4分はこれだ!」というネタが仕上がった時期やったし、『M-1』が復活したときは周りからも散々言われました。でも、それを経て今があるのも実感してます。
漫才って陸上競技にたとえると、3分のネタは100m走、4分は200m走って感じなので、無酸素でいける人はいけるんですよ。ただ、5分以上、800m走とかの中距離走になると絶対に息継ぎが必要になるんです。そうなると、走り方が全然違ってくる。
僕らは『THE MANZAI』に出てた2014年まで毎日4分ネタしかやってなかったんですけど、その後に寄席で5分や10分のネタをやるようになって、ちょっとずつ中距離走の体に変わっていったんです。
それでも短距離と中距離のどっちも走れるようにやってたら、ついに2017年頃に4分ネタのアイデアが浮かばなくなったんです。
寄席をやってるから大衆ウケするような5分や10分用のテーマは思いつくけど、もっと的を絞った、人の目を引くような賞レース用のネタが全然作れなくなって。
最終的にラストイヤーの2020年も『M-1』決勝には行けず、2023年に始まった『THE SECOND』で6分ネタの戦いに臨むことになった。そうしたら、第1回大会で、台本じゃないところの人間味で笑わせるマシンガンズさんの漫才に圧倒されて。
優勝するためにはその要素も必要だと感じ、それ以降はネタの中に"何をしゃべってもいい空白"をあえて入れました。2回目の大会で優勝できたのは、そういう分析と積み重ねが大きいと思います。
――そんな奥田さんが、昨年『M-1』連覇を果たした令和ロマンに感じることは?
奥田 神の子でしょ、あれは。2023年の『M-1』はネタ4本用意してたけど、去年は2本しかなかったらしいですよね。あの1本目のネタ、僕めっちゃ好きなんですけど、もし2番手以降だったら、どの組の後でもちょっと弱く感じたかもしれない。
(髙比良)くるまの異常な演技力と(松井)ケムリの絶妙なリアクションで見過ごされがちだけど、「学校あるある」って営業とか寄席でやってもウケるネタである一方、わかりやすすぎて『M-1』向きではないと思うんです。でも手持ちのネタは2本しかない。
そんな中、2年連続トップバッターを引いたことで、わかりやすさがプラスに働いた上にフェスティバル感を生みましたよね。ネタと出順、この激アツな組み合わせ抽選に当たったという意味でも、令和ロマンは神がかってました。
僕自身はあのふたりみたいに若手時代にチャンスをつかめなかったけど、自分のフォームが決まった40代に注目を浴びてよかったなと思ってます。
若い頃にいろんな仕事がある東京に来てたら絶対に溺れてましたよ。大阪はわかりやすいピラミッド形で、ただ上を目指せばよかったけど、東京って立方体の水槽の真ん中に置かれてるようなもので、どっちに行っても頂点があるから目指すべき方向を見失ってたと思う。
あと、若いととがってやらないことも、中年なら恥ずかしがらず笑顔でやれますしね(笑)。ある程度上が見えてる年齢だからこそ、まだやってない横の幅を楽しめるはず。
今回の本にも、僕なりの中年の生き方について書いてるので、同世代の応援歌になってくれたらうれしいですね。
■奥田修二(おくだ・しゅうじ)
1982年生まれ、兵庫県出身。2005年、よじょうとお笑いコンビ「学天即」を結成し、同年の『M-1グランプリ』でアマチュアながら準決勝進出を果たす。13年のNHK新人演芸大賞演芸部門大賞、14年の第49回上方漫才大賞新人賞、15年の第4回ytv漫才新人賞優勝、第50回上方漫才大賞奨励賞など、受賞歴多数。21年、コンビ名を「ガクテンソク」に改名。24年には、『THE SECOND~漫才トーナメント~』で優勝を果たす。趣味はゴルフ、雑学、アイドル、クレーンゲームなど
■『何者かになりたくて』 ヨシモトブックス 1650円(税込)
学生時代の同級生・よじょうと「学天即」を結成したら、アマチュアながら『M-1グランプリ』で準決勝進出を果たし、奥田の芸人人生は幕を開ける。憧れの漫才師とのエピソードや『M-1グランプリ』に挑戦する中で直面した挫折、41歳での上京、その年に始まった『THE SECOND』で受けた衝撃のほか、家族や結婚観、ゴルフやアイドルといった趣味の話に至るまで赤裸々に告白。"四十路独身上京漫才師"が考える、等身大の生き方とは
『何者かになりたくて』 ヨシモトブックス 1650円(税込)
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