
西村まさゆきにしむら・まさゆき
鳥取県出身、東京都在住。めずらしい乗り物に乗ったり、地図の気になる場所に行ったり、辞書を集めたりしている。著書に『ぬる絵地図』(エムディエヌコーポレーション)、『押す図鑑 ボタン』(小学館)、『ふしぎな県境』(中公新書)、『そうだったのか!国の名前由来ずかん』(ほるぷ出版)など。
昨年11月、壁にダクトテープでバナナを貼りつけただけの「現代美術」がで落札されて話題になった。いったい何がどうなったらそんなことに!? 美術家として活動しながらアート解説マンガで人気を博すパピヨン本田先生に現代アートの謎を解説してもらった!
* * *
――まずは、バナナを壁に貼りつけたマウリツィオ・カテランの「コメディアン」(①左)。「なんだこれ?」という感想しかないんですが......。
パピヨン本田(以下、本田) このカテランという人は超売れっ子なんですよ。
――え、バナナで知りました!
本田 カテランは超絶技巧の彫刻作品を作りつつ、画商をダクトテープで壁に磔にした「ア・パーフェクト・デイ」(①右)などのイタズラっぽい作品も多くて、どんな作品を発表しても注目されます。美術家はそれまでの実績が新作の価値に反映される面もあるんですよね。
――カテランの過去の実績込みで9億6000万円の価値があると。
本田 まあ、この値段に関しては買い手が話題性を狙ったところもあるとは思いますが......でも、バナナは現代アートの世界ではよく使われるモチーフなんです。
アンディ・ウォーホルの「バナナ」が有名ですが、バナナは男性器のイメージや貧困の象徴、はたまた日本人を揶揄するモチーフとして使い倒されてきていて、むしろダサくなっていた面があります。
――バナナを使った表現が食傷気味になってしまっていた。
本田 はい。そんなバナナを磔刑に処し、トドメを刺したのがカテランなんですね。カッコいいです。
――なるほど......でも、食べ物を使うのはアリなんですか?
本田 食べ物系はオノ・ヨーコが先駆者ですよ。「これはただのリンゴ」(②)という、リンゴをそのまま展示した作品があります。1966年当時、客として展示会に来たジョン・レノンが台座に置かれたリンゴを食べて、初対面だったオノ・ヨーコはムカついたらしいです。
――そういえば、カテランのバナナも買い手が食べちゃったって話がありましたけど。
本田 「コメディアン」のバナナは取り替え可能なので、食べても問題ありません。
――となると、壁に貼られたバナナを9億円で買った人は、いったい何を手に入れたんでしょうか?
本田 現代アートは、「歴史的価値を今つくっちゃおうとしている」んです。作家は「今までいろんな作品がありましたが、今私が作った作品はこういう点で最新です」と提示します。買い手はその歴史的価値に値段をつけるんです。
お金は価値の指標で、値段さえついてしまえばそういう価値があると、いわば事後的に認められるわけです。
よく「現代アートなんて〝大喜利〟じゃねえか!」とか言われますけど、過去の美術の歴史などの「お題」に、作品で「回答」しているとも言えますね。名回答であれば、その分いい値がつく。
――美術作品って、昔は神話や聖書の一場面とか、風景や人物とかを描いてきたと思うんですけど、なぜそれが大喜利みたいに変わったんでしょう?
本田 現代美術の始まりといわれる作品が、マルセル・デュシャンの「泉」(③右)です。
――便器ですよね、これ。
本田 そうです。男性用小便器を横倒しにしてサインしただけ。この作品が発表された1917年頃は、第1次世界大戦後の混乱した社会情勢の中から「ダダイズム」という美術運動が出てきます。わかりやすく言うと「それまでの美術を全否定する」運動です。
このお題に対して、あえて既製品を使ったり、意味のないもの、変なものが回答としてたくさん作られるんですが、この「泉」はそのひとつの到達点ですね。
――便器に美術的価値を見いだすこと自体が、美術ってこと?
本田 はい。「よく見れば便器も白くてツルツルしてて美しいし、工業製品も美術品だ!」という。あと、デュシャンの作品はどれもエロいんですよね。
――エロい? 便器が?
本田 デュシャンより少し前の作品、グスターブ・クールベの「世界の起源」(③左)を見てください。
――おお......。
本田 私はこの作品も「泉」のお題のひとつと思っています。「世界の起源」と「泉」を並べてみると、似てませんか......?
――あ、確かに! 横倒しの便器と、横たわった女性の......。
本田 男性用小便器は男性が性器を出して使うわけですから、便器が性行為のメタファーにも見えてきませんか......?
――訳わからん作品がドスケベに見えてきました......!
本田 さらに面白いのは、よく「現代アートなんてゴミじゃん」みたいなこと言う人いますけど、実際に「泉」はゴミと間違われて捨てられています。だから、今残ってるのはレプリカ。
――え! 現代アートの元祖、捨てられたんですか!(笑)
――ほかの有名どころでいうと、ジャクソン・ポロック(④右)も意味がわかりません。
本田 彼は1930年頃から活動していたアメリカの作家ですね。当時の芸術の中心地はフランス・パリですが、経済的にはアメリカがだんだん豊かになる。世界で最も豊かな国には、世界で最も豊かな文化があってしかるべきですから、アメリカはフランスにはない新しい美術作家を生み出さなきゃいけなかった。そこでポロック登場です。
この頃は「シュルレアリスム」という芸術運動が注目されていて、人間の無意識の中に美を見つけようとしていました。ポロックは、人間の無意識を表現するために絵の具をただ画面に落とす「ドリッピング」という手法を考え出します。画面にただ滴り落ちた絵の具は、究極の無意識を表すのだと。
――はあ~なるほど。でも、絵の具をぶちまける人が出てきた後になんか新しいもの作れって大喜利、難しすぎですね。
本田 これに答えたのがアラン・カプローの「庭」(④左)です。ポロックの作品はサイズが巨大で、鑑賞者はまるで絵の中に入ったような気持ちになります。そこでカプローは実際に中に入れる作品を作っちゃいます。
部屋中にタイヤを積んで、中に入って作品を〝体験〟してもらう。今でこそよく聞く「インスタレーション」です。カプローはその草分け的存在です。
――インスタレーションってこの頃にできたんですね! でも、作品の中に入るところまでいったら、いよいよ大喜利の回答も出尽くした感ありますね。
本田 いえいえ、ここからいろんな回答が出てくるんですけど、ヨーゼフ・ボイスという人は樫の木をめっちゃ植え出します。タイトルはそのまま「7000本の樫の木」(⑤)。
ボイスは「作品に入り込んで体験するとかじゃなく、美術にはもっと力があるんじゃね?」と考え、美術で社会を直接変える「社会彫刻」という概念をぶち立てます。そして、選挙に出馬します。
――出馬!(笑)
本田 世の中を一番変えるのは政治ですからね。
――これまでは絵画でもインスタレーションでも〝物〟がありましたが、社会彫刻ってもう〝概念〟ですよね......。
本田 そうですね。そこからもさらにいろんなお題と回答が出てきて、あらゆるところで大喜利をやっているという状況です。「コメディアン」もそのひとつの到達点です。こういった文脈を少し知っていると、壁に貼られたバナナも面白く見ることができるかもしれませんね。
――確かにそうかも......。
本田 外国の作家ばかり紹介してきましたが、最後に岡本太郎の「太陽の塔」(⑥)の話をさせてください。これは大喜利の傑作と言えると思います。
――「太陽の塔」がですか?
本田 そうです。岡本太郎は1970年の大阪万博のテーマ館のプロデュースを依頼されるわけですが、当時の多くの美術家や芸術家は万博に反対でした。会場周辺の自然破壊とか、いろんな問題があったんですよ。
でも、岡本太郎はなぜか引き受けます。そして、万博のテーマである「人類の進歩と調和」というお題に対して、「そんなものはねぇ!」と回答するわけです。
――ええー!(笑)
本田 会場には「人類の進歩と調和」というお題に真面目に答えた近未来的で進歩的な建物が並びます。でも、その中に埴輪や土偶を思わせる、進歩的というよりむしろ原始的な「太陽の塔」をテーマ館として建てた。
でも、万博後に進歩的な建物は全部取り壊され、原始的な「太陽の塔」だけが残った。唯一普遍性のある作品だったんですね。まさに名回答、日本現代美術の最高傑作だと思います。
――なんか、この大喜利、とても崇高なものに思えてきました。
本田 お笑いの大喜利だって、IPPONグランプリ優勝したらすごいですよね? それと同じで、現代アートにもたくさんの名回答があるんです。
* * *
摩訶不思議な現代アートの世界は、お題と回答が飛び交う壮大な大喜利の戦場でもあった。しかも、その回答には時に何億円もの値がつくことも。
磔にされたバナナや絵の具をぶちまけた絵画を見て、うっかり「自分にもできそう」と思ってしまったそこのあなた! 現代アートで一獲千金の名回答を狙ってみては......?
●パピヨン本田
美術家、マンガ家。美術作品制作と並行して、2021年5月からTwitter(現X)に美術にまつわるマンガをアップし始め、瞬く間に人気を得る。ウェブメディア・CINRAで『美術のトラちゃん』、UOMOで『コンセプチャル・ガール』を連載中。著書に『美術のトラちゃん』(イースト・プレス)、『常識やぶりの天才たちが作った 美術道』(KADOKAWA)がある
鳥取県出身、東京都在住。めずらしい乗り物に乗ったり、地図の気になる場所に行ったり、辞書を集めたりしている。著書に『ぬる絵地図』(エムディエヌコーポレーション)、『押す図鑑 ボタン』(小学館)、『ふしぎな県境』(中公新書)、『そうだったのか!国の名前由来ずかん』(ほるぷ出版)など。