高木完(左)と立花ハジメ(右)
音楽家、グラフィックデザイナーとして40年以上にわたって活躍する立花ハジメが、オールタイムベストアルバム『hajimeht(ハジメ・エイチ・ティー)』をリリースした。
立花は1979年、パンク/ニューウエイブバンドの先駆け、プラスチックスのギタリストとして世界デビューし、1982年、アルファ/YENレーベルから、アルバム『H』でソロデビュー。
『hajimeht』は『H』を皮切りに90年代にテイ・トウワと共同制作した「BAMBI」、立花ハジメとLow Powers、さらに21世紀に発表された作品まで、レーベルの垣根を超えて厳選されている。
週プレNEWSでは立花と本作の総合監修を務めた高木完による対談が実現。プラスチックスで世界中をツアーした70年代から、いつの時代も先鋭的なサウンドや表現を追求し続けてきた異才・立花ハジメの活動の軌跡を辿った。
自身のバンド・Hmでサックスを演奏する立花ハジメ(2025年1月22日 東京・渋谷CLUB QUATTRO・以下同)
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――2025年1月15日に立花ハジメさんの初のオールタイムベストアルバム『hajimeht(ハジメ・エイチ・ティー)』がリリースされましたが、発売の経緯を聞かせてください。
立花 去年、アルファミュージックが創立55周年を迎えた企画の一環で、僕も所属していたYENレーベルも含めてソニーが何かできないかって話があったんです。小山田(圭吾)くんが提案してくれて、完ちゃんが総合監修でベスト盤を作ることになりました。
高木 この数年、僕と小山田くんとハジメさんとで、よくご飯食べたりしてて、そんな中で小山田くんから「いろんなアルファの音源が出てるんだから、ハジメさんの音源も出たらいいのにね」みたいな話が出たんです。そうするうちにソニーから僕の方に、「レコード会社の垣根を越えたハジメさんのベスト盤を出そうと思うのですが協力してくれませんか?」って連絡がきたんですよ。最初は、1枚が小山田くん、もう1枚が僕の選曲の2枚組ってアイディアだったんですが、僕と小山田くんそれぞれ選曲したらほとんど一緒だったので、ハジメさんに「どうします?」って話をしたんです。
立花 完ちゃんと小山田くんがまとめてくれたのを見て、僕からも「できればこれ入れたい」って話をして、それを2人がまとめてくれました。
高木 アルファだけじゃなく、ミディ、東芝EMI(現ユニバーサルミュージックジャパン)、自主レーベルとかの音源が入った、ハジメさんのほんとのベストアルバムができたなって思いますね。
――マスタリングは砂原良徳さんが手がけてますね。
高木 YMOファミリーやYENレーベルの作品もいくつかまりん(砂原良徳)がやってるし、最初からまりんがいいって決めてました。まりんは趣味でハジメさんのアルバムを自分用にマスタリングしてたらしく、「公式にマスタリングできるのがうれしい」って言ってましたよ(笑)。
立花 まりんのマスタリングはいい感じです。今回、完ちゃんと小山田くんが「MA TICARICA」をリミックスしてくれて、そのPVを作ったんですけれど、過去の映像が4Kですごくきれいになったんです。まりんがマスタリングしてくれたベスト盤の音も、まさに同じように音像が鮮明になった感じがしますね。
――あと、『hajimeht』のリリース記念ライブが、1月15日に梅田クラブクアトロ、1月22日に渋谷クラブクアトロで行われました。会場は満員、内容もまさにベスト盤が立体化したようなイメージでしたね。
高木 僕は総合プロデュースで入らせてもらったんですけど、この数年ハジメさんはHm(ハーマイナー)とLow Powersのライブをずっとやってて、サックスもギターも歌もやってるんです。今回特別なものにしたくて、ヤン(富田)さん、まりん、小山田くんとかゲストを入れた形でやりました。
小山田圭吾、hina、立花ハジメ、砂原良徳、momo(左から)
立花 いいメンバーだったね。僕とトミやん(ヤン富田)のコーナーでは、トミやんが(スティール)パン叩いてくれて、あと彼のギターで僕が歌ったんです。今回Low Powersは、hinaとmomoに加えてeriと大野由美子(Buffalo Daughter)が入る初期の編成でやりました。あと小山田くんとまりんと3人でやったコーナーは、あそこだけ音像がガラッと変わった感じがして面白かったです。
――ニューウェイヴ的なサウンドの中で、3人のはディープな4つ打ちのオルタナティブテクノのようでした。音がうねりまくってましたね。
立花 あれは僕も自分でもびっくりした。で、最後は「BEAUTY」やって、「PEACE」をやって、アンコールはみんなで「Sleeper」をやってね。
――立花さんのソロ初期曲、プラスチックスの名曲、高木完さん曲のカバーとじつにバラエティ豊かでした。
高木 僕も最後に歌わせてもらいました。でも、ハジメさんは長丁場ずっと出ずっぱりなのに、ほんとタフなんですよ。すごくいいライブでしたね。
eri、高木完、立花ハジメ、hina(左から)
――さて、立花さんは70年代にプラスチックスのギタリストとしてデビューしてから長きに渡って活動しています。これまでのキャリアを振り返りながら、常に革新的で先鋭的なアーティストであり続ける立花さんの魅力を探っていけたらと思います。まずは、70年代のプラスチックス時代について聞かせてください。
立花 僕はもともとデザインの仕事をしたいと思っていたので、人前でギターを弾いたり歌ったりするとは思ってなかったんです。WORKSHOP MU!!というデザイン集団に師事して見習いというか使い走りをやってたんですけど、その前の73年に僕はロンドンに行ったんです。そのときにすごく刺激を受けましたね。
――学生時代の1年間のロンドン留学で、どんなことに一番刺激を受けたんですか。
立花 ロンドンの若い子って、僕なんかと違って全然生活意識が違う。そこら辺ですね。
高木 生活意識がどう違ったんですか?
立花 イギリスって階級社会じゃないですか。生まれたときから「あなたは自動車工場で働く人です」とか大体決まっちゃってる。だけども「そんな運命には負けないよ」ってみんながんばってて、偉いなと思ったし、影響されました。
高木 なるほど、ミュージシャンやサッカー選手とかそうですもんね。
――そこで立花さんも、自分も何かやってやろうって気持ちが芽生えたんですか。
立花 ハイ、ほんとそういう感じでした。
高木 へー、その話は初めて聞いた。
――プラスチックスは1976年に結成されて、1980年の日本デビューより先に、1979年にイギリスのラフトレード・レコードからデビューしました。
立花 最初プラスチックスは、普通のバンド形態でパンクやロックをやってる感じだったんです。でも77年にロスのウィスキー・ア・ゴーゴーにライブを見に行ったときに、まだ全然有名じゃなかったディーヴォを見て衝撃を受けたんです。そのとき以来、マーク(・マザーズボウ、ディーヴォの中心メンバー)とは仲よくさせてもらってます。
高木 ディーヴォのニューウェイヴな音に刺激されて、ロスから帰ってきてプラスチックスが変わったんですよね。
立花 そう。ディーヴォもだし、ロスで買ったいろんな7インチシングルをメンバーで聴いてね。普通のバンド形態でやっていても世界では通用しないなって考えていく中で、中西(俊夫)と(佐藤)チカがボーカルで僕がギターで、まーちゃん(佐久間正英)がキーボード、しまちゃん(島武実)がリズムボックスって編成にしたんです。これなら海外でもなんとかなるかなと思って、そのあとロンドンとかニューヨークとかでライブをやっていったという感じです。
――当時の日本のバンドで、ドラム無しのリズムボックスって編成はかなり珍しかったと思いますが。
高木 そうなんですけど、たまたまヒカシューもリズムボックスを使ってたっていう(笑)。
立花 そうそう。でも、それは偶然。
立花ハジメ
高木 ただ、プラスチックスは他とは全然違う感じでしたよ。まず、ファッションとか見た目が全然違った。プラスチックスがまだパンクバンドのときからラジオの『スネークマンショー』(桑原茂一、小林克也、伊武雅刀による音楽番組)で曲が流れてて、僕も気になってました。
それで、リズムボックスの編成になってから初めてライブを見に行ったんです。まだテクノポップって言葉がない時代でした。78年に遠藤賢司のワルツ(シンガーソングライターの遠藤賢司が70年代に渋谷でやっていた紅茶とカレーの店)で見ました。かっこよかったな~。
――音楽キャリアの最初から、海外を視野に入れて他とは違うことやろうという感覚を持たれてたんですね。そうした立花さんの発想や嗅覚は、どのように研ぎ澄まされていったんですか。
立花 そういう部分で言えば、プラスチックスでニューヨークのイベントに行ったときに、サンフランシスコ、メキシコ、カナダとかからいろんなバンドが来ていたんです。シスコから来てたPink Sectionってバンドがいて、全然触れたことのない音楽に刺激をもらったっていうのはあります。
そう、Pink SectionのMatt Heckertは、前衛集団Survival Research Laboratories(SRL)のメンバーでもあったんです。なので、シスコに行ったときはSRLのところに泊めてもらったりしてました。
高木 SRLは、ほんとにヤバい前衛集団なんですよ。僕も周りのみんなも、数年前までハジメさんがSRLとつながってるのを知らなかったんです。
立花 ソロアルバムの『テッキー君とキップルちゃん』(1984年)のジャケットで火炎放射器やってるけど、あれSRLの作品なんですよ。中のインナーに、火炎放射器の設計図みたいなのが描いてあってSRLのことも書いてあるよ。
高木 でも、小さくて誰も見えてなかった(笑)。SRLが20年くらい前に代々木公園でヤバいライブ(1999年12月、国立代々木競技場、屋外特設会場)をやったときも、あれが『テッキー君とキップルちゃん』のジャケとつながるとは思わなかった(笑)。だから、ハジメさんはなんでも早過ぎるんですよ。
――着眼点の鋭さが、立花さんの先鋭的って印象につながってるのかもしれないですね。
立花 どうなんですかね(笑)。でもやっぱり何か新しいものの方がいいので、いまだに変わったものとかにはすぐに目が行きますね。
高木 ハジメさんは、新しかったり驚くようなアイディアをいつも出してくるんです。今回のジャケットにしたって、ベスト盤だからタイポグラフィーとか使ってやるのかな?と思ってたら、「ドバイに写真撮りに行く」って言って、みんな「えー!」ってなりましたもん(笑)。
――常に普通に収まらないと。
立花 それはいつも言ってるけど、前へ前へという気持ちがあるからですね。タイポグラフィーは散々やってるしね。で、僕は冬はスノボーをやってて、夏はスキューバ始めたんですよ、最近。
――最近スキューバを始められたんですか(笑)。
立花 ハイ。僕、ほとんど毎日のようにジムに行って1時間泳いで1時間筋トレしてるんです。それぐらいやってないと。スノボーとかもすごいハードなスポーツなんです。
高木 だから2時間半のライブも平気っていう。タフすぎなんです(笑)。
高木完
――確かにサックス吹くとき、やけに体がガッチリしてるから何事かと思いました(笑)。
高木 二の腕がバッチバチでね(笑)。
立花 まあまあ、そんな感じです(笑)。
――(笑)。話逸れちゃいましたが、『hajimeht』のジャケット写真のエピソードの続きを聞かせてもらえますか。なぜドバイだったんですか?
立花 ドバイって、何かにつけて世界一ってつけるのが好きな国なんです。そしたらドバイに、世界一深いプールがあるっていうので行ってみたくて。それで、深さ60mのプールに潜って、僕を上から下から撮ってくれてできたのがベスト盤の完全生産限定盤のジャケット。通常盤の方は、アブダビの砂漠で撮った写真なんです。
高木 海と砂漠ですよ。顔はよく見えないですけど(笑)。でもハジメさんは、音楽でもデザインでも自分の中のやりたいことをバンって出すから、言葉で説明する以上にビジュアルが訴えてる感じがしますね。
――立花さんの中で物事を創作するとき、先に絵が浮かんでそこに付随する音が鳴ったり、言葉が生まれたりするって感じですか?
立花 うん、そうですね。うまく言葉で説明できないんで、それを音楽にする。音楽をデザインするってことなんですけどね。
高木 ハジメさんにとっては音とデザインが一緒なんですよ。同時にやりたいことがある。だから音源を出すときは、いつも必ず何かしらデザインはやりますよね。
立花 うん、今回もジャケット以外にもTシャツとかフーディとか作ったし。
高木 息を吐くようにデザインするみたいな人ですよ(笑)。
――音もデザインも、立花さんにとってすべて呼吸であると。
高木 そうそう。ハジメさんはプラスチックスのときからグラフィックデザイナーって肩書きだったけど、当時はかなり珍しかった。今はグラフィックデザイナーがバンドをやるって普通だし、世界的に見てもハジメさんはマルチにやるアーティストの先駆けなんですよね。しかも、ハジメさん今もずっとやってる。もしかしたらギネス級に長いのかも(笑)。
立花 あー、そうかもね。
高木 ギネス申請する?(笑)。
●立花ハジメ
1951年生まれ 東京都出身◯音楽家、グラフィックデザイナー。1976年、中西俊夫、佐藤チカらとプラスチックスを結成。1979年にイギリスのインディーズレーベル、ラフトレード・レコードからシングル「Copy/Robot」を発表。1980年にアルバム「WELCOME PLASTICS」で日本デビュー。82年に『H』でソロデビューを果たし、以降もさまざまなバンドやユニットで活動する。グラフィックデザイナーとして、1991年にADC賞最高賞を受賞。マルチな活躍を続けている。
●高木完
1961年生まれ 神奈川県出身◯FLESHや東京ブラボーなどのバンドでの活動を経て、1984年にDJ活動を開始。1985年、藤原ヒロシとタイニー・パンクスを結成。1988年に日本初のクラブミュージックレーベル・MAJOR FORCEを設立。1990年代以降はソロとして活動。NIGOと音楽レーベル・APESOUNDSを立ち上げ、「UNDERCOVER」をはじめさまざまなカルチャーシーンとコラボレーションをしている。
■初のオールタイム・ベスト盤!発売中
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2CD+17㎝シングルサイズ紙ジャケット
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■YENレーベル時代の名盤『H』『Hm』を砂原良徳のリマスターでLP/CD再発! 4月16日発売