デジタル写真集を発売した落語家の三遊亭好楽師匠
国民的人気番組『笑点』の"ピンクの着物"でおなじみ、落語家の三遊亭好楽が、なぜ? どうして? デジタル写真集を発売!
そんな師匠に、息子・王楽の円楽襲名から、師匠・五代目圓楽について、さらには謎に包まれているプライベートまで、すべてを語ってもらいました! "脱力系破天荒"な師匠の知られざる全貌が明かされる!
■落語界初!? デジタル写真集!
――今回は、恐らく落語界初となるデジタル写真集『世にも幸せな落語家の毎日』発売ということで、お話を伺います。まずは写真集の話がきたとき、どう思われましたか?
三遊亭好楽(以下、好楽) いよいよオレも脱がなきゃいけないのかと思いましたね(笑)。話を聞いたらそうじゃなかったけど、声をかけてもらうというのは悪いことじゃなく、うれしかったですよ。
――実際、銭湯のシーンでは脱がされましたね。
好楽 弟子も一緒にね。汚(きたね)ぇケツがそろっちゃった(笑)。お風呂っていうのは裸の付き合いだから、本音が出ていいんですよ。
面白いもので、うちの弟子たちも自然と写真に溶け込んで笑ってたね。あとはみんなで酒飲んで、競馬して、まあ普段やってることと何も変わらない(笑)。
――写真集発売とほぼ同タイミングで、師匠の息子さん(元三遊亭王楽)が七代目三遊亭円楽を襲名されました。
好楽 それはずっと前から決まってたんですよ。3年前に亡くなった六代目(三遊亭円楽・元三遊亭楽太郎)の遺言でね。息子は「王楽」って名前で生涯過ごすつもりだったし、私たち家族も「(円楽の名前は)荷が重い」って継ぐことに大反対。
だけど、みんなが「円楽を継ぐのは王楽しかいない」って言ってくれてね。その気持ちを裏切るわけにいかないでしょう。
ただ私は、これは運命だと思うの。息子が生まれたときに「一夫」(王楽の本名)と名づけてくれたのが、私の師匠の林家正蔵。正蔵は若いとき、三代目圓楽を名乗った時期があるんです。
そして「王楽」という芸名をつけてくれたのが、五代目圓楽。そして今回、七代目を継ぐことになった。これは宿命だったのかも、と思うよね。
――好楽師匠といえば『笑点』(日本テレビ系)の大喜利でおなじみですが、最初に参加されたときは、苦労されたと聞きました。
好楽 当時のプロデューサーが若手だった三笑亭夢之助、楽太郎、そして私を気に入ってくれてね。ただ、テレビと寄席は勝手が違うから全然ウケなくて。結果、4年ほどやって降りることになりました。それは悔しかったですよ。
――当時は落語ブーム真っただ中でした。
好楽 だから寄席にもお客さんがたくさんいらっしゃった。 視聴率が高い番組に出るのもいいけど、これを機会に落語に専念しようと。
「ウサギはすぐてんぐになるけど、カメは頂上に向かってゆっくり。若い頃はウサギだったけど、今はカメを目指してます」
――好楽師匠はいつから落語が好きだったんですか?
好楽 幼い頃から近所の池袋演芸場に通ってました。当時は、銭湯で寄席のタダ券が配られてたんです。「ビラ下」って呼ぶんですけど、番台のおかあさんが「あんた好きなんでしょ?」って、いつもくれてね。
だから10日間興行に毎日通って、一番前の席で見てましたね。楽屋では「あの小僧がまたいるぞ」って話題になってたらしい。
当時人気だったのは、桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭金馬、柳家小さん。その後、古今亭志ん朝、立川談志、三遊亭圓楽と続く。それはすごい人気で、寄席には長蛇の列ができてました。
――そんな時代を経て、八代目林家正蔵師匠に弟子入りされたんですよね。
好楽 弟子入りの後、志ん朝に挨拶したら「おまえか!」と怒られたんですよ。
――なんでまた?
好楽 志ん朝は当時引っ張りだこで大忙し。だから寄席の出番でひと息つけると思ったら、いつも私が見に来てる。「おまえが毎日いるせいで、同じ噺ができなかったじゃないか!」って(笑)。
前座時代は勉強させてもらいました。こまごまとした仕事がたくさんあったけど、師匠たちの芸を袖から見ることができた。名人の落語を独り占めできる幸せを噛み締めてましたね。
――印象に残っている高座はありますか?
好楽 談志師匠が10日連続で『鼠穴(ねずみあな)』をやったのはよく覚えてます。新宿末廣亭(すえひろてい)は毎日超満員で、いつの間にか私も噺を覚えちゃった。
噺ってのは、師匠からはあんまり教わらないんですよ。尊敬してるがゆえに、似すぎてしまう。だから「違う師匠に教わりなさい」って言われる。稽古をつけてもらうとき、ほとんどの師匠は黙って聞いてる。
時には爪を切ったり、トイレから「聞こえないから大きな声でやれ」って怒鳴る人もいた(笑)。今は録音テープがあるから便利ですよね。
■大会社から町工場へ?
――好楽師匠は、若い頃やんちゃをして何度も破門されたとか。
好楽 最初の破門は、酔っぱらって師匠の大事なカバンをどっかに置いてきちゃったの(笑)。おおらかな師匠だったけど、計23回破門されました。ほとんどがお酒のしくじりで、給料が1日100円の時代に、バーで調子に乗って5万円飲んだときは、それは怒られました。
――むちゃくちゃですね。破門されたら、どうするんですか?
好楽 「破門だ!」って言われるたび、真剣な顔で涙を流して謝るの。「許してください、気をつけます!」って。破門というのは禁煙と同じで、もうしないと天に誓ってもまた繰り返す。不思議だねぇ(笑)。
――36歳で五代目三遊亭圓楽の元へ移籍されています。
好楽 1982年に師匠の林家正蔵が亡くなってね。それまでの「九蔵」から「好楽」と名前も変わりました。
――落語協会を脱退した圓楽一門は、寄席へ出演できない状況にありました。心配はありませんでしたか?
好楽 当時、「大会社から町工場に移った」と揶揄する人もいましたよ。でも私は落語協会に弟子入りしたんじゃないからね。それで寄席に出られないなら仕方ない、私は圓楽に惚れたんだから。
五代目三遊亭圓楽。談志、志ん朝、圓蔵と共に「東京落語四天王」と称された。1983~2006年の間、『笑点』の司会を務める。2009年没
六代目三遊亭円楽。三遊亭楽太郎として活躍し、2010年に円楽を襲名。『笑点』では腹黒キャラで活躍、2022年没
――五代目圓楽のどこが魅力的だったんでしょう?
好楽 あの人はとにかく大きな視点で落語界を見てるんです。インタビューで「ライバルは誰?」と聞かれたとき、「高倉健、美空ひばり、力道山、さだまさし」って答えたんだから。
普通は「談志、志ん朝」とかなんか答えるでしょ? きっと「身内だけで戦ってるようじゃだめだ」って言いたかったんでしょう。
――プライベートではどんな方だったんですか?
好楽 お酒が飲めない人だったから、酒飲みの感覚がわかんない。「おまえたちは一升瓶を1日に何本飲むんだ」「そんなに飲まないですよ」「意外と弱いんだね」だって(笑)。
あと、「私たちはお客さまの前に出て話すんだから、湿ったツラしてちゃいけない」ってよく言われました。それでも元気が出ないときは「懐に100万円持ってると思ってやんなさい」って。面白いこと言うよね。
――五代目圓楽とは『笑点』でも一緒でした。
好楽 年中怒られてましたよ。だから土曜日の番組収録に行くのが嫌でね。もちろん面白いことなんか全然言えず、すぐクビになりました。
――五代目圓楽の強い意向もあり、その約4年後に『笑点』に復帰されています。
好楽 当時は私も意地になってたから「絶対に戻らない」と言ったけど、師匠がわざわざ、あの大きな体でうちのマンションの小さな部屋に来たんです。たまたま私は不在にしてたんだけど、かみさんに「そこをなんとか頼むよ」って頭を下げられちゃあね。
――復帰されてからは順風満帆ですか?
好楽 いろいろありましたよ。みんなの前で圓楽に「面白くないからおまえやめろ!」って言われて、頭にきて飛び出したこともありました。周りのみんなも慌てちゃってね。
師匠もバツが悪くなったのか、そのまま地方の仕事に行くというんで、私も同じ電車の切符を買ってついていったんですよ。座席がないからデッキで立っててさ。そしたら最後に師匠が「ご苦労だったね」と言ってくれたから、それでもうおしまい。
でも、私が本気で怒ったこともあったな。元日の初席で、お客さんが待っているのに圓楽が来ない。それじゃあ困るから電話をしたら「気分が悪い」って言う。
「来てくれなきゃ困ります!」と言ってガチャッと電話を叩きつけたら、すぐに紋付袴で来ましたよ。「好楽に怒られちゃったよ」って照れ笑いしてたけど、うれしかったんだと思いますよ。
休むって言った手前、引っ込みがつかなかったけど、私に怒られたから来たって言い訳ができた。師匠と弟子というのは不思議ですよね。
■弟子との幸せな関係
――好楽師匠はどうやって落語を教えるんですか?
好楽 弟子に芸について細かくは言わないですね。ただ、自分ではわからなくても、人にしか見えない特徴や癖ってのがあるんです。落語ってのは奥が深いから、自分に合わないと思った噺も何かのきっかけでウケたりする。
私が最近『子別れ』や『芝浜』をやると、お客さんの目の色が変わるんですよ。「良かった」って言ってもらえるようになってね。お客さんとの呼吸が合うっていうのか、時代が変わって年齢を重ねると、自分の肌に合う時期ってのが訪れるんだね。噺ってのは生きてるんだねぇ。
その昔、志ん生が「出来がいいのは年に1回くらいだ」って言ったことがあるんですよ。あんな名人だって満足できる高座は、年に1回しかないって。そういえば昨日の寄席もダメだったね。打ち上げのことばっかり考えちゃってさ(笑)。
――好楽師匠は本当にお酒がお好きですよね。
好楽 弟子にも酒好きがいっぱいいます。飲めないコが弟子入りしてきたときは、私たちが昼間っからジョッキで酒を飲むから頭を抱えちゃって(笑)。私は酒を飲みながら、みんなの話を聞いてるのが楽しいの。
――好楽師匠とお弟子さんとの距離がすごく近いですよね。
好楽 みんな酔っぱらって私のことをいじりますから。ふざけてるよねぇ(笑)。
――好楽師匠の趣味といえば、競馬もありますね。
好楽 競馬はいいですよ。テレビで見るのもいいけど、競馬場で見る雰囲気というのは、代え難いものがありますね。競馬ってのは全頭が勝ちたいわけだから、騎手と馬主と調教師と馬丁、みんな馬に愛情を持つわけでしょ。
その愛情がいつ開花するかの勝負だから、私にとっては1番人気も16番人気も関係ない。その駆け引きが醍醐味ですよね。
――写真集撮影のときも馬券を買われましたが、当たりましたか?
好楽 外れてた(笑)。「これ絶対くるよ!」って2回言ったでしょ? 全然こなかったね(笑)。
――そのときは調子が悪かったんですか?
好楽 向こうと意見が合わなかった(笑)。仕方ないね。
――『笑点』でも、師匠のこの"脱力系キャラ"が認知されてきていますよね。
好楽 それは「怖いものがなくなったからだ」って言われるの。私が怖かったのは、林家正蔵、五代目三遊亭圓楽、そしてかみさん(笑)。一番怖いかみさんがいなくなって、「どうでもいいや」と開き直ったんでしょうね。
そしたら「それが面白い」ってみんな言うんですよ。それまでは肩の力を張ってたんですけど、どうでもよくなっちゃった。
――今の好楽師匠を五代目圓楽師匠が見たらなんと言うでしょう?
好楽 深い愛情を持って育ててくれたからね。立派になった姿を見せられなかったのは心残りだったけど、もしかしたら「一人前になったな」ってホメてくれるかもしれない。そうだったらうれしいね。でもこの写真集を見たら、破門されるかもしれないね(笑)。
●三遊亭好楽(さんゆうてい・こうらく)
1946年8月6日生まれ 東京都出身
〇1966年に八代目林家正蔵に入門。当時の高座名は林家九蔵。83年に五代目三遊亭圓楽門下へ。それに伴い、三遊亭好楽に改名。88年に『笑点』に復帰し、以降現在までレギュラー出演中
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