
西中賢治にしなか・けんじ
1978年生まれ。編集者、ライター。ルポルタージュやインタビュー記事の執筆のほか、漫画誌のグラビアなどを制作。アイドルグループ・日向坂46を追ったノンフィクション『日向坂46ストーリー』は、10万部を超えるヒットに。インディペンデント批評誌『アラザル』同人としても活動中
「なんで人は文章を書けないのか、 考えてみたんです。 そしたら、 それは思てることを 書いてないからちゃうかと」と語る町田康さん
純文学の第一線を走り続ける作家、町田 康(こう)。その大きな魅力は、古語と俗語が入り交じり、飛躍と諧謔に満ちた文体にあることは間違いない。そんな町田が、自身の手の内を明かしたエッセー『俺の文章修行』を上梓した。小説にとどまらず、陰謀論や〝男の見栄〟にまで関わるその文章論とは?
* * *
――この本は一種の文章指南書ですが、タイトルを読者に向けたものではなく、『俺の...』とした理由は?
町田 意図はあんまりないんですけど、今聞かれて考えてみるとですね、これは最初から僕の中に理屈があって書いたものじゃないんです。
僕は一年365日、一日も欠かさず文章を書いてるんですけど、どうやって書いてるかをあらためて考えてみると、ようわからん。
それをいっぺんちゃんと考えてみたという意味で、この本を書く過程は〝俺の修行〟でもあったなぁと。
――文章を書く上ではまず「変換装置」が重要だと書かれています。
町田 変換装置というのは、例えば「今日あそこに行ってこんなことがありました」っていう現実を、文章に置き換えて書くための能力です。この装置の作りが雑やと、スーッと表面上を滑ってるだけの文章になってしまう。
例えばここにある文章......(『週プレ』を開いて)「数十年ぶりの高インフレや金利上昇という事態を受けて、日本銀行の注目度が上がっている」という一文も、本当はいろんな書き方があるわけですよ。
数十年ぶりってどういうことか? 高インフレや金利上昇って、どれほどなんや? そう考えると、この書き方でええんか疑わしく思えてくる。
僕自身、雑な変換装置を使っていないかをあらためて考えるようになったので、この本を出してから、なんや書くのが遅くなりましたね(笑)。
――文章を書くということは次の言葉を選択していく一瞬の連鎖であり、人生と同じだ、というお話が印象的でした。
町田 実際、人生って起こってしまった出来事によって次の選択を迫られることの連続でしょ。文章も、今書いたことによって次の選択が変わってくるし、そこで雑な変換装置を使って選んでいると、おもろいことになっていかない。
なんていうか、コンビニで100円のお菓子を買ったら、100円のおいしさでしたね、みたいな。それやと味気ない。
ちょっと違ったもんを作ろうと思ったら、一瞬一瞬、緊張しながら言葉を選ばないとあかんのです。
例えばライブハウスで音楽をやるときでも、目の前の客の感じを受け取って変わっていかないといけないし、結婚式のスピーチなんかも、これはみんなだいたい決まりきったことを言うわけですけど、それでも人の表情を見て「ちょっと伝わってなかったから表現変えてもっかい言っとこか」とか考える。
人間そういうことを常にやってると思うんです。
――「町田節」といわれる文体も、そのようにして作られるんですね。
町田 ええ。そういった意味では、確立された文体みたいなもんはないですね。その都度の運動やその都度の感覚で文章が出来上がっていきますから。
それは年齢によっても変わりますし、時代によっても変わるかもしれません。だから「文章の型を教えてください」とか言われると、ちょっとちゃうんですよね。正しい文章とか、これやってたらOKっていうものはないんですよ。
――そもそも書こうとする動機や内容の根底にある、自分の価値観のようなものを「感慨」という言葉で表現されていますが。
町田 感慨は、理屈や決まり事の前にあるものです。すごく物事を精緻に考えていっても、根本にある感慨が「◯◯ってええなぁ」「◯◯はあかんがな」という雑なものやったら、おかしなことになるんですよ。
僕なんかでいうと「自然のものは体にええよね」「薬はなるべく飲まんほうがいい」っていう、子供の頃に植えつけられた雑な感慨がある。そこを疑っていったほうがいい。
世の中、物事を精緻に考えて、各論をめちゃくちゃ専門的に語れる、高性能コンピューターみたいな人っているやないですか。
そういう人でも、インチキな宗教とか、陰謀論にコロッとダマされたりする。それは根本のところで染みついた雑な感慨を疑ってないからです。頭が良くても幼稚なんですよ。
――本の中でも、「国民国家という物語」について言及されていますが、当たり前のものとして植えつけられた国家という物語を疑わないと、国家を信じる者同士の戦争になってしまうのかなと思いました。
町田 今、「戦争になってしまう」と言ったでしょ。戦争はあかんという前提に立っている。それがもう雑な感慨なんです。
僕は別に戦争せぇとは言ってませんよ。ただ、この80年くらいでできた「平和は尊い、戦争はあかん」という考え方を、スタート地点から一回考え直したほうがええっちゅうことです。
今、雑な感慨のええ例を出してくれました。ははは。
――己の雑さを思い知りました。以前の著作にも書かれていましたが、自分がアホであることを認識するべきだともおっしゃっていますね。
町田 はい。なんで人は文章を書けないのか、考えてみたんです。そしたら、それは思てることを書いてないからちゃうかと。
本来、人間は死ぬほどしょうもないこと考えてるんですよ。こんなこと書いたら人にアホやと思われるから、思てないことを書いて、「なんかちゃうな」と自分で思ってしまう。
男の場合、虚栄心というか、見栄があるから、よけいに難しい。僕もそうやけど、なんか意味あること言わなあかんと思うから、どうでもええ話ってなかなかできないんです。
でも、自分がアホやから、アホなこと書くのはしゃあないと思ったら、書けるんですよ。
――最後に、ずばり、文章上達のコツを教えてください。
町田 コツは「免疫力を低める」ことですね。
ええ文章を読むと、呼吸がうつって、自分の文章も変わっていくと思うんですよね。僕なんかめちゃくちゃ免疫力が低いから、すぐ人の文体がうつるんですよ。そのとき読んでるものに似てくる。
免疫力を低めるためには、自分が読んでて楽しいなって思える、好きなものを読むのが一番やと思いますね。
■町田康(まちだ・こう)
1962年生まれ、大阪府出身。作家。1981年、パンクバンドINUとして『メシ喰うな!』でデビュー。1996年『くっすん大黒』(文春文庫)で作家デビューし、Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。2000年『きれぎれ』(文春文庫)で芥川賞、2005年『告白』(中公文庫)で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』(講談社文庫)で野間文芸賞、2024年『口訳 古事記』(講談社)で舟橋聖一文学賞など数々の文学賞を受賞
■『俺の文章修行』幻冬舎 1870円(税込)
芥川賞作家・町田康はどのようなことを考えながら文章をつむいでいるのか? その文体に宿る精神と技巧を初めて明かした一冊。幼少の頃に読んだ『ちからたろう』が教えてくれた文章の原型と世界観とは? 筋道を見せる「プロレス」的文章と敵を倒すための「格闘技」的文章の違いとは? 文章を書く際に根底にある「感慨」とは?など、文章を書くすべての人にとってためになる視点が満載!
『俺の文章修行』幻冬舎 1870円(税込)
1978年生まれ。編集者、ライター。ルポルタージュやインタビュー記事の執筆のほか、漫画誌のグラビアなどを制作。アイドルグループ・日向坂46を追ったノンフィクション『日向坂46ストーリー』は、10万部を超えるヒットに。インディペンデント批評誌『アラザル』同人としても活動中