『金魂巻(キンコンカン)』や『恨ミシュラン』などの作品で知られる名コラムニスト、神足裕司氏が重度のくも膜下出血で倒れたのは2011年9月のこと。
そのコータリ氏の記念すべき復帰第一作となる『一度、死んでみましたが』は文字どおり「スーパー闘病エッセイ!」と呼ぶにふさわしい一冊だ。
一時は生死の境をさまよい、奇跡的に生還した後も左半身のマヒと高次脳機能障害という重い後遺症を負ったコータリ氏が、家族の愛情に支えられて再び「書く」という行為で人生を取り戻していく。その過程が柔らかな文体で、軽やかに、明るく、読み手の胸にスーッと染み込んでくる……。
明子夫人に付き添われて、ご自宅でインタビューに応じてくれた神足さんは筆談で質問に答えてくれた。
―病気の後、「もう一度書いてみよう」と思われた日のことを覚えていますか?
「覚えていないというか、自分の中ではずっと仕事をしていたように思う。(意識がないときも)夢なのか、ボクはずっと仕事をしていて、ずっと書いているつもりだったので、自然にその流れの中で、書いているつもり。
こんなに体が変わってしまったが、それを嘆いてもしょうがない。ボクには唯一、文章を書くという機能を神様が残してくれて、書くことが生きていてよいと唯一、言ってくれている気がするから、ボクはどうしても書かなくてはならなかった」
―五体満足で、ただ漫然と日々を過ごしている人も「生きている」し、自分の体が思うようにならない状況でも、こうして文章を書くことで「生きている」ことをかみしめている人もいます。病気の前と後で神足さんにとって「生きること」の意味は変わったのでしょうか?
「今が今だ」(……とだけ書いて鉛筆を置くと沈黙。ただ、静かにこちらを見る目が何かを訴えているのはわかる)
―本書の後半、広島に帰郷され、故郷で大切な何かを取り戻されてゆくお話が大好きです。こうして意識が戻り、言葉や家族との生活を取り戻し、「書くこと」を取り戻し……。神足さんはこれからも、その喜びを言葉につづられてゆくのだと思いますが。この次は何ができるようになりたいですか?
「秋、広島に帰ったことはよく覚えている。それくらい自分としては特別な所です。今は、次の仕事をもっと自分らしくやりたい。病気の自分、思うように考えられない自分、動かない自分……。今の自分とは何か? いつも考えている」
―神足さんが病気で倒れられてから2年半の間に、日本は大きく揺れ動いています。病床から見つめるこの国は神足さんの目にはどのように映っていますか?
「日本も捨てたものではないと思うこともあるけれど、今は、いろいろなニュースや事件を聞いていると悲しくなる。ひとつひとつのニュースを聞いていると、もっと人をいたわることができないのかと悲しくなる」(病気の後、以前よりも感受性が強くなり、「悲しいニュースを聞きながら涙を流していることがある」と明子夫人)
―奥さまをはじめ、ご家族への愛情と感謝が強く伝わってきます。
「昔から、自分が唯一、守らなくてはならないと思っていたのが家族。今は自分でどうすることもできないのが悔しい。幸せになってほしい」
―最後に、神足さんが審査員だったら2013年の流行語大賞は何を選びましたか?
「お・も・て・な・し」
(取材・文/川喜田 研 撮影/有高唯之)
●神足裕司(こうたり・ゆうじ) 1957年生まれ、広島県広島市出身。コラムニスト。84年に発表した渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』はベストセラーに。その後、テレビ、ラジオ、映画など幅広い分野で活躍。2011年、くも膜下出血に倒れ、現在、リハビリ中
■『一度、死んでみましたが』 集英社 1260円 名コラムニストを突如襲ったくも膜下出血……。その後、重篤な状態からの奇跡の生還、高次脳機能障害と左半身のマヒと向き合いながらのリハビリ、それを支える家族、自分に残された「書くということ」などについて、ありのままを自らつづった闘病エッセイ