三菱自動車工業(三菱自工)の「ランエボ」ことランサーエボリューションが、現行モデルを最後に生産終了となる。かつては新型が出るたびにメディアの話題となり、同社の顔のひとつでもあった名車の歴史に、終止符が打たれることとなったのだ。

ランエボは、小型セダンであるランサー(現ギャランフォルティス)のスペシャルバージョンとして、1992年に初代モデルがデビュー。高出力のターボエンジンや四輪駆動システムを採用していたのは、世界ラリー選手権(WRC)出場用のベース車両として開発されたためだ。

WRCでのランエボは、96年、97年シーズンにドライバー王者を獲得し、続く98年シーズンにはドライバーとマニュファクチャラー(製造者)の2冠に輝く。同じく日本から参戦し、ライバル的存在だったスバルのインプレッサWRXとともに、90年代後半のラリー界で圧倒的な強さを見せつけていたのである。

そうした輝かしい戦績のPR効果もあり、ランエボは日本のみならず海外でも熱狂的な信者を生んだ。結果、同車はこれまで世界累計15万4000台の販売実績を残している。ところが昨年の国内販売台数は、わずか621台。ピーク時の15分の1にも満たない寂しい数字なのだ。それでは生産終了も仕方のないところだが、かつて日本の高性能車の代名詞でもあったランエボの売り上げが、なぜここまで極端に落ち込んでしまったのだろう?

モータージャーナリストの佐野弘宗氏に聞いた。

「2000年に発覚したリコール隠しで深刻な経営不振に陥った三菱自工は、三菱グループの支援を受けることになり、グループ内の他業種から経営陣が送り込まれました。そうした車に対する知識や愛情のない人たちからすれば、開発に金と人を取られる割に、ファミリーカーほど大量に売れるわけでないランエボなんて、ただのムダにしか映らなかったのです」

数年前からランエボは“死に体”になっていた

しかも、WRCでは97年からレギュレーションが変更され、ベース車からの大幅変更が認められるようになった。つまり、高性能な市販モデルを開発する必要がなくなっていたのである。そこへ加えて、08年のリーマン・ショックによる世界不況が追い打ちをかけた。

「三菱自工としては経営再建のため、ランエボをはじめとする不採算車の新規開発やモータースポーツ活動そのものを打ち切り、EVやSUVやコンパクトカーや軽といった、儲(もう)けになる車種に経営資源を集中することにしたのです。以降、ランエボは性能がほとんど進化せず、ろくに宣伝もされないという日陰の存在になってしまいました」(佐野氏)

つまり、数年前からランエボはすでに“死に体”になっていたというわけだ。

だが、対照的に、かつてのライバルだったインプレッサWRX(現在は単独車種「WRX」として独立)は今も進化を続け、スバルのイメージリーダーとしての存在感を保ち続けている。この差はいったいなんなのか?

「スバルもリーマン・ショックの影響で、08年をもってWRCから撤退したのですが、同社の筆頭株主であるトヨタは三菱自工の場合とは逆に、自分たちにない個性を持ったスバルの車作りを認め、支持しています。そして、スバル自体、もともと車への情熱やロマンにあふれた会社。だから、WRCからの撤退以降、スバルはWRXを高性能で上質なロードカーとして再定義し、それに合わせた開発や販促活動へと舵(かじ)を切ったため、依然健在なのです」(佐野氏)

会社の財布のひもを握っている親分に“クルマ愛”があったかどうかが、ランエボとWRXの命運を分けてしまったようだ。