ここ最近では「昏睡強盗犯・声優のアイコ」の事件を通して注目された“オナベ”という存在。そこへ、彼らのアイデンティティを担保する「男性ホルモン剤」が突如、入手困難な状況になったという。

日本で男性ホルモンが不足した原因を、GID(性同一性障害)治療を行なうアーバンライフクリニック六本木の澁谷まさひこ医師が解説する。

「昨年11月に男性ホルモンの注射製剤の原薬(原料)を製造しているメキシコの工場で火災事故が起き、日本への供給がストップしてしまったのです」

一体なぜ、男性ホルモンがメキシコの工場でつくられているのか? 東京都内のGIDクリニック院長X氏がこうささやく。

「そもそも男性の場合、体内での男性ホルモンの分泌量が減少すると更年期障害や前立腺がんなどを発症する恐れがあります。また、脳下垂体の腫瘍によりホルモンが生成されなくなることもある。それらの治療薬として、日本では製薬会社3社が男性ホルモンの注射用製剤を製造しているのですが、原薬(原料)の多くはメキシコ産を使用しているのです。

メキシコでは男性ホルモン剤の原料となるワイルドヤム(メキシコヤマイモ)が豊富で、1940年代頃から原薬の量産がスタート。その後、世界的にも有数の男性ホルモン産地に成長しました。その供給源が事故に見舞われたのです」

日本の医療機関が扱う男性ホルモンの注射製剤は「エナルモンデポー」と「テスチノンデポー」の2種。このうち事故の影響で出荷が止まったのはエナルモンデポーのほうだという。

「メキシコからの原薬供給が止まり、限られた在庫を製薬会社は保険診療である更年期障害や前立腺がんの治療を行なう病院に優先的に回し、保険外診療であるGID治療は一部の大学病院にしか十分に行き渡らない状況となりました。エナルモンデポーを扱う病院では、しばらく在庫を吐き出す状況が続きましたが、すぐに品薄状態に。

すると今度は、事故の影響を受けなかったテスチノンデポーに切り替える病院が急増したことでこちらも品薄となり、製造が追いつかない状況となりました。その結果、男性ホルモンの国内供給量は通常の約7分の1に激減。今年3月頃からホルモン注射を打てなくなる病院が全国で続出したのです」(前出・X氏)

この非常事態を受け、国内のGID治療のガイドラインを策定する日本GID学会が今年4月に全国の医療機関へ「今年12月まで男性ホルモンが枯渇する状況が続く恐れがあるので、患者への投与を減量してほしい」という通達を出した。

その結果、新宿2丁目のオナベバーから悲鳴が上がったというわけだ。

男性ホルモンに依存するオナベの切実な現状

都内の病院に通院しながら、2週間に一回のペースでホルモン注射を打ち続けていたオナベのBさんがうなだれる。

「5月上旬にかかりつけの病院に行くと、入り口に“FTM(オナベ)の方へ 当院では在庫不足により、当分、男性ホルモンの投与ができません”との張り紙がありました。その後、ネットで調べて何軒も問い合わせたんですが、どの病院も『初診お断り』と言われて。今は元の病院で注射が再開されるのを待っているのですが、いつになるのか……。もう2ヵ月もホル注(ホルモン注射)してない状態で、そのせいか、性欲が減り、活力もわかず、家に引きこもることが増えました」

3年前から男性ホルモンの投与を続けていた島根県在住のCさんの場合はさらに深刻だった。

「私が通っている病院も在庫が少なく、5月頃からホル注の頻度が2週間に1回から2ヵ月に1回に減らされました。それで、もう何週間も男性ホルモンを打てない状況が続いていたある夜、寝ていたら突然、アソコから血が出てきて……。翌日、病院に行ったら『生理が再開している』と先生に告げられて目の前が真っ暗になりました。

その後は先生が海外メーカーに当たってくれて、なんとか独自のルートで男性ホルモンを仕入れられる状態になり、通常の頻度に戻してもらうことができました。おかげで今は生理が止まっていますが、そうと確信できるまでは正直、生きた心地がしなかったです」

男性ホルモンが不足したオナベの体は最終的にどうなってしまうのか? GID治療を行なうKAZUKIプライベートクリニックの清水一樹氏がこう話す。

「まず、手術(子宮・卵巣摘出)済みの方は、体内で女性ホルモンが生成されず、男性ホルモンも投与できなくなるため、20代、30代の若いオナベの方でも、いわゆる閉経後の女性のような体になってしまいます。更年期障害やうつ病、骨粗しょう症などさまざまな疾病を併発する恐れもあり、皮膚と筋肉が衰えて、しわ、たるみが目立ち始め、精神的にもうつ状態の傾向が……。

手術が済んでおらず、ホルモン注射のみを受けていたオナベの方は、今まで男性ホルモンに抑えつけられていた女性ホルモンが息を吹き返し、“女性化”が進みます。個人差はありますが、数ヵ月程度で低音だった声が高くなり、ひげ、すね毛などの発毛がストップ。生理も再開し、乳房を切除していたとしても女性ホルモンの作用で乳腺が発達してしまい、乳房が膨らみだすことも考えられます」

女性化する自分の体に「死んだほうがマシ」という人もおり、“オナベ”にとっては深刻な危機である。だが、9月初旬に福音が舞い込んだ。

「メキシコの工場が復旧し、製薬会社から9月上旬にも男性ホルモンの供給を再開すると連絡が入りました。直ちに日本全国の病院に男性ホルモンが行き渡る状態にはならないでしょうが、9月下旬時点で大半の病院が通常の供給量に戻っていると聞いています。とりあえず、危機的な状況は過ぎ去ったといっていいでしょう」

しかし、それでも安心はできないと、前出の澁谷氏が警鐘を鳴らす。

「今後も、男性ホルモンの原薬を海外に頼らざるを得ない状況は変わりません。また工場で事故が起きようものなら、たちまちにして日本の男性ホルモンは枯渇してしまいます」

オナベの危機は、完全に回避されたわけではない。

(取材/興山英雄)

週刊プレイボーイ42号「新宿2丁目大激震!メキシコ「男性ホルモン」工場爆発でオナベが絶滅寸前だった!」より