スマブラシリーズに武器として登場して、実は若い世代にも認知度が高いスーパースコープ

スーファミことスーパーファミコンが世に誕生して今年で四半世紀ーー。

ファミコンに比べ圧倒的なグラフィックス力を持って画面が大回転、キレイなドット絵など当時、少年だったおっさん世代には革新すぎだったガジェット。

しかし、革命的なのはグラフィックだけじゃない! スーファミチルドレンがこの夢のマシンのスゴさとヤバさを徹底解説です!

家庭用ゲーム機の歴史に精通するライターのさやわかさんにスーファミのサイドストーリーを聞いたぞ!

―さやわかさんはHORIの「ファイティングスティック」を使い込んでいたとか?

さやわか アーケードから移植された『ストII』用にと即買いしたんですが、HORIのおはこだけあって操作性も満足度も高かった。逆に微妙だったのがアスキーの「片手コントローラー」。連射が難しく手に疲労もたまり、長時間プレイに難ありでしたね(笑)。

―実際、周辺機器の売れ行きはどうだったんでしょう?

さやわか 大半は売れていません(笑)。でも、バズーカ砲のような「スーパースコープ」は触っているだけでワクワクしましたし、当時まだ一般的ではなかったマウスをゲーム機器として取り入れるなど試みは斬新。任天堂はテレビゲームの遊びにとどまらず、アミューズメント施設のアトラクションのような感覚を味わわせたかったんでしょう。

―続いてライバル機についてですが、やはりスーファミの普及率は圧倒的でしたよね?

さやわか そうですね。ただ、「PCエンジン」の発売直前の87年、任天堂は当時の社長がまだほとんど開発も始まっていなかっただろう「スーパーファミコン」の名前だけ出して牽制していたので、かなり意識はしていたはず。

―そして、16ビットの高スペックを引っ提げて、88年に「メガドライブ」も発売!

さやわか 任天堂は相当焦ったでしょうね。圧倒的に高性能な「メガドライブ」の登場によって、開発途中でスペックの上方修正を余儀なくされましたから。そのおかげで発売が90年まで延びに延びましたし、延期したのにスペック面ではだいぶ劣っていました。

―こうした開発経緯にもかかわらず、ファミコンからうまく世代交代を成し得た。

さやわか これはゲーム史的にすごく重要な出来事。ゲームファンたちはより高度なゲームを求めていること、それによりゲーム機の世代交代が可能なこと、これらを証明したことになりましたからね。

 

●さやライター、物語評論家として『ユリイカ』などで執筆。著書『僕たちのゲーム史』(星海社)は家庭用、アーケード、携帯ゲームなど過去別々に扱われていたジャンルを総括して解説

(昌谷大介 牛嶋 健 武松佑季 千葉雄樹 東 賢志(A4studio)撮影/下城英悟)