現在、全国各地で急増している空き家。東京五輪の開かれる2020年には約1千万戸に達する勢いだという。
そんな空き家活用の最先端を走り、入居希望者が殺到しているというのが大林宣彦監督の映画でも知られる広島県尾道市。今回、街ぐるみで推進する空き家再生プロジェクトの取り組みに迫った。
格安家賃どころか、タダで一戸建てを譲り受けたツワモノもいた!
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今年2月、「空き家対策特別措置法」(特措法)が施行された。年間を通して使用されていないと「空き家」と判断され、更地に比べて優遇されていた固定資産税が現在の6倍(負担調整措置があり、実質4.2倍)になることが決まった。「特定空家等」に指定されると自治体が立ち入り検査を行ない、強制代執行で撤去されることもあるという。
総務省の「平成25年住宅・土地統計調査」によると、全国の住宅総数は約6063万戸で空き家は約820万戸あり、その件数は年々増えている。別荘など41万戸を除いた空き家率は12.8%。これは世界でも断トツに高く、ドイツでは1%、イギリスで3%、広大なアメリカでさえ10%だというから日本はまさに“空き家大国”といってもいい。
しかも、空き家のうち約60%が一戸建て。築40年、50年と経って、親が亡くなったなどの理由で誰も住まなくなった場合でも、更地にすると固定資産税の負担が増加することから相続人がそのまま放置するケースが多い。
特措法によって、これから空き家を処分する人が増えることが予想される。けれども、放置したままの室内を整理したり、傷んだ家屋を修繕する手間もかかる。場合によっては建物を取り壊さないと土地が売れないケースもあるため、家賃はタダでもいいから現状のまま(家財道具は自由に処分してもらい)誰かに住んでほしいと考える持ち主もいるようだ。
東京都在住だったマンガ家のつるけんたろうさん(37歳)は、2008年に広島県尾道(おのみち)市に移住。昨年8月には『0円で空き家をもらって東京脱出!』を出版し、タダで民家を手に入れてリフォームする様子や、その後の暮らしや地元の人たちとのリアルな交流を描き、話題を呼んでいる。
「国立(くにたち)市で家賃4万円少しのアパートで暮らし、書店でのバイトで生計を立てながら細々とマンガを描いていました。年収は200万円以下で、このままでいいのかと思っていた頃、尾道に移住した旧友から連絡があり、一戸建てが1、2万円で借りられると聞いたんです」
坂の町として知られる尾道独特の景観は映画やCMの舞台になり、年間600万人以上の観光客が訪れる。ところが、JR尾道駅から2㎞圏内の昔ながらの地区には500軒以上の空き家があるという。
「観光がてら友人に案内してもらったら、確かに空き家だらけ。急坂が続き、車が入らない地域ということもあり、建て直すこともできないようでした」
その後、移住を決めて家探しのために再訪。NPO法人「尾道空き家再生プロジェクト」(通称“空きP”)を始めた豊田雅子さん(40歳)と出会い、アドバイスをもらって、坂の地区をひたすら歩いて空き家を探して回った。
そして気に入った物件の大家さんに連絡を取ることになった。
「そしたら、売るとか貸すとかではなく無料で譲渡したいと言われたんです。驚きましたね。『もしかして、ワケあり物件?』と思ってしまいました(笑)」
駅から徒歩10分圏内に0円の家がたくさん
つるさんが手に入れた家は尾道駅から徒歩5分、尾道の町や海が見渡せる高台にある。譲渡時の登記費用などに20数万円かかったが、家と土地代はゼロ。傷んでいた外観の修繕などは市の「まちなみ形成事業」で費用の3分の2を助成してもらえた。
元の持ち主が放置していた荷物は現地で蚤(のみ)の市を開いて、捨てる手間を省き、リユースできるものは有効活用。空きPのメンバーや移住仲間が手伝い、畳を交換したり壁を塗ったり、30万円ほどかけて内装を手直しした。
「尾道に移住してきた当初は、都落ちのような気持ちでした。マンガ家をやめて妻とひっそり暮らすのかなと思っていたんですが、空きPの人たちと出会って気持ちが前向きになりましたね」
移住後、つるさんは空きPの一員として再生プロジェクトに参加。商店街にある、うなぎの寝床のような物件をゲストハウスに改築する計画ではデザインを任され、完成後は初代店長になった。
「学ぶ場があり、仲間がいて、想像力を膨らませながら作業をすることが何よりも楽しいんです。しかも、駅から徒歩10分圏内に0円の家がたくさんある。山奥じゃなくても空き家がたくさんあることを知ってほしいし、そういう場をつくる面白さも追求していきたいですね」
空き家をなんとかしたいという情熱を持った人たちと移住者たちの協力ネットワークが連携して、尾道はどんどん魅力的な町になり、今では地域おこしの成功事例として注目を集めている。「尾道空き家再生プロジェクト」の中心人物・豊田雅子さんは尾道出身で、関西の大学を卒業した後は旅行会社の添乗員として海外を飛び回っていたという。
「ヨーロッパでは何百年前から変わらない古い町並みが残っていました。自然と調和し、現代の生活が快適に営まれているのに、尾道に戻ってみると子供の頃の原風景が失われ、斜面地や路地裏の空き家が増えているというニュースが耳に入って寂しくなりました」
豊田さんは、まず自分で空き家を買い取って再生しようと坂の町を歩いて空き家の持ち主を調べ始めた。そして6年後に通称“尾道ガウディハウス”と呼ばれる魅力的な外観の物件に出会う。
そして07年春、ガウディハウスの修繕を始めて「尾道の空き家、再生します。」というブログを書き始めた。すると、尾道への移住希望者、さらに移住はしないが空き家を再生させたいという熱意のあるボランティアの若者たちから年間100件を超える問い合わせがあった。
「その勢いで『尾道空き家再生プロジェクト』を立ち上げました。約1年後にはNPO法人化し、その翌年には市の『空き家バンク』とも連携し、これまでに70軒近い空き家に明かりをともすことができました」
“自分の居場所”は全国どこにでもある
現在、約700人が空き家バンクに登録している。120軒ある物件のうち8割は契約済みで移住希望者に対して空き家が足りないのが現状だという。家賃は月平均2、3万円で、固定資産税のみの負担や無償譲渡の物件もある。
「まず尾道に来て、坂の町を歩いてもらった後で空き家バンクの登録をお願いしています。実際に暮らしてみるとラクではないですが、コミュニティに入って地域を支えてほしいですね」(豊田さん)
車が入らず、道幅が狭いこともあり、見知らぬ人同士でもすれ違うときには挨拶(あいさつ)をする。歩いていると必ず知り合いに会う。そんなスケールの小ささも尾道の魅力のひとつのようだ。
今年に入って空きPは、文化庁の「登録有形文化財(建造物)」にも登録された大正時代の別荘建築「みはらし亭」を再生する合宿を実施。空きPが手がけるふたつ目のゲストハウスにする計画で、多くの若者がボランティアとして修繕を手伝った。
作業は数チームに分かれ、経験者がリーダーになっていた。前出のつるさんもリーダーとして参加者との交流を深めていた。彼自身、タダ同然で手に入れた家で暮らし、そこで思いついたことはとりあえず自分で試してきた。失敗を恐れずに、まず実行してみることが大事だと言う。
「空き家は余っていて、全国よりどりみどり。“自分の居場所”はどこにでもあるんですよ。都会でモヤモヤしている人にはそれを知ってほしいですね」(つるさん)
どこに住むか以前に、自分の暮らしをどうつくっていくのか、地域の仲間たちとどうつながっていくのか、それを考えることが幸せな暮らしの第一歩なのかもしれない。
(取材・文・撮影/新井由己)