友人からは「『世界ナンパ紀行』が副題でいいんじゃないか」なんて言われて、と気さくに語る四方田氏

インタビューは意外なお褒(ほ)めの言葉から始まった。

「高校生ぐらいの時には読んでましたよ。これと『平凡パンチ』とあともうひとつがライバルになってましてね。…でねえ、やっぱりヌードはねえ、『プレイボーイ』が一番カゲキでしたね」。

四方田犬彦よもた・いぬひこ)。比較文学者にして映画研究家。さらにマンガ研究でも一家を成す知の巨人だ。世界中の非観光地を踏査するタフな旅行家でもあり、近著で紀行エッセイ集『土地の精霊』を上梓した。

見て、評するプロフェッショナルである氏にとってはそれが挨拶(あいさつ)代わりなのか、早速、「週刊誌論」の特別講義ともいうべきサービストークが始まった。語り口はあくまで軽やか。そしてエネルギッシュだ。先頃死去したイタリアの大作家ウンベルト・エーコの業績から日本の“オヤジ週刊誌”が抱える諸問題へと、論点はダイナミックに動く。

今日までに140冊もの著作を世に問うてきた超人的な仕事量の秘密が垣間見える、よどみない言葉と驚異の博覧。散りばめられたユーモア。そして時折、固有名詞のまわりで逡巡(しゅんじゅん)するのは、正確さへのこだわりゆえか。だが残念ながら週刊誌談義に聞き惚れている場合ではない。本題に入らないと―。

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―今度、パリに行かれるとのことですが、昨年2度にわたってテロの標的にされた都市に行くにあたって、普段より気にされていることはありますか?

四方田 今、生きている人間はみんな、どこかでテロに遭うくらいの覚悟をしていないと生きていけないんじゃないでしょうか。一見、ハデハデしい爆破テロよりも、ある意味で深刻なのは誘拐・拉致ですが、こちらはすでに日本人が何人も犠牲になっているわけですからね。

今回はパリ第七大学での学会発表とか、私の本の仏訳者との相談とか、他にも細かい用事がたくさんあるので、もう行っちゃえという感じです。

―過度に心配して自分の行動を縛るようなことはすべきではないとお考えでしょうか?

四方田 私自身はそういう風評とは関係ないところで生きてきましたから。例えば、この本(『土地の精霊』)にも少し書きましたけど2004年にはパレスチナ、イスラエルとそれからコソボにいたわけですね。すべて外務省が邦人渡航自粛というのをずっと勧告していた。行ってほしくないと言っている所です。そこに行って、セルビア人難民キャンプで日本語や日本文化を教えるわけですね。

で、あっちの領事館の人たちは露骨にいやがるわけですよ。なんかあったら自分たちがこいつの面倒を見なければいけないって。でも私は人に会いたいし。今まで行ったことのない、観光地でない場所に行くことで、新しくものを考える機会が得られるんじゃないかとそういう期待があります。

ですから危険だから行かないという発想はないですね。私の中では。もちろん、行く前にいろんな情報収集しますし、自分の目的はある程度決めてあります。それを超えて、冒険のための冒険はしません。

―コソボの場合ですと、その目的が難民キャンプでの日本語教育だったのですね?

四方田 あの時は多数派のアルバニア人が一方的にコソボの独立を宣言して、国際社会はすぐにそれを認めたという経緯がありました。そしてアメリカとNATOがセルビア人側を激しく空爆したわけですね。

だからコソボのセルビア系の人たちはアメリカとヨーロッパに対して非常に深刻な絶望と不信感を持っていました。そんな彼らの難民の大学の中では、ものすごく日本語に対する期待があるわけです。

日本は小渕(恵三)政権の時代に、ボスニアのバス会社やコソボの電力会社にお金を出しています。彼らはそういうことを知っているから、日本語を学びたがる。紛争が停戦した直後でね。そういう国で日本語やりたいという人たちの気持ちに私は応えたかったんです。

ただしね、映画研究家だからDVDプレイヤー持っていったんですが全然使えませんでした。電力もなくて、断水ですから。薄暗い夕暮れ時の黒板を前に「ブッディズム」とか「ゼン」とか書いてね(笑)。黒澤明を上映しようにも電力がないから。

インターネットのある社会から逃げ出すこと

―黒澤映画の名場面をモノマネしたりとか?(笑)

四方田 そういうことはね、なんでもやらなきゃと思います(笑)。私ははっきり言って、日本の歴史にもいろいろ問題はあると思うし、今の政府に対して批判的ですけど、日本文化に対しては誇りを持っています。ましてや日本のマンガと映画については、なんでも聞いてくださいという感じでしてね。難民キャンプの授業では「アイ・アム・ミスター・ジャパニーズ・カルチャー!」とか最初に言って、笑いをとって(笑)。

日本語を広めることが日本の国力なんだという認識を持ってほしいです。人文系の大学を削減するなんてとんでもないこと。バンバン世界中に派遣してね、そのほうが大事だと思う。

そうやって日本文化を輸出しながら、私の場合、やはり日本人として自分より前の世代の人たちの感情とか屈辱とかいろんなものに、少しでも接近したいという気持ちがあります。だから勝ったアルバニア側ではなくボコボコにされたセルビア側に身を置きたかったというわけです。

―ひとつの貴重な旅のエッセンスをお聞かせいただきましたが、最後に、これから旅行に出ようとする若い世代へのアドバイスをお願いします。少年時代から、趣味の切手を通じて世界を想像していらした四方田先生と違い、情報機器に囲まれた私たちは、簡単に世界を知った気になれます。このことが、旅行の持つ可能性を不当に貶(おとし)めているように感じられるのですが、いかがでしょう?

四方田 だからインターネットのある社会から逃げ出すこと、これを旅行の目的にすればいいんじゃないですか? 情報でつくられている世界から逃げ出し、「思いもよらない今日の展開」を楽しむことです。あとアドバイスといえば、ホテルは星2つか3つが一番安全とか、短期間でも行った先のエチケットを守るとか、そんなところですね。

旅に出るタイミングですが、この本の場合だと大体、誰か強烈な印象の人物に出会うことでエッセイが始まります。それがほとんど女の人ですよ! 女の人に道を開かれる、導かれるというのが多くて、友人からは「『世界ナンパ紀行』が副題でいいんじゃないか」なんて言われてしまいました(笑)。

(取材・文/前川仁之)

●四方田犬彦(YOMOTA INUHIKO)1953年生まれ、大阪府出身、東京大学文学部にて宗教学を、同大学院にて比較文学を修める。ソウルの建国大学校に始まり、コロンビア大学、テルアビブ大学、明治学院大学などで、教授・客員教授として教鞭を執った。言語表現と映像、音声、都市を対象に批評活動を行なう。著書は140冊を超え、斎藤緑雨賞、サントリー学芸賞、伊藤整文学賞、桑原武夫学芸賞、講談社エッセイ賞などを受賞した

■『土地の精霊』(筑摩書房 2400円+税)本書は、著者が26歳の時に日本語教師として赴任・滞在した韓国・ソウルから、一昨年のタイ・ノーンカーイまで、35年間で三大陸を周遊して見聞を収めた紀行エッセイ集。比較文学研究家の手になる、知的好奇心をくすぐる“冒険譚”だ