「『弱音』を吐き合える男友達を見つけましょう。そうすれば『非モテ』の苦しみは多少、和らぐはずです」と語る杉田俊介氏

いきなりだが、筆者(本誌編集・ヤノアツ、32歳)は生粋の「非モテ」である。

幼少期から毛深さとブサイクにコンプレックスを抱え、消極的な性格も相まって学生時代は彼女ナシ。童貞喪失は25歳。バーで知り合った女性と酔った勢いでヤッて、1ヵ月後にこっぴどくフラれた。

以降、素人とはノーセックス。いまだ「学生のような恋愛」への憧れを捨てきれず、「非モテ」意識を持て余しながら「いずれ、いい人が現れて、この苦しみから解放してくれる」と、“白馬の王女様”の到来を期待して日々を浪費している。 そんなある日、出会ったのが『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』だ。そこには非モテの楽観を粉々に打ち壊す内容が書かれてあった。居ても立ってもいられず、著者の杉田俊介氏に取材を申し込んだ――。

* * *

―本書の一節には、杉田さん自身の経験から恋人ができても、結婚しても「非モテ」の苦しみは消えない、と書かれてあります。ちょっと衝撃でした。

杉田 僕も年齢を重ねれば落ち着くと思っていました。でも、いまだ消えない。むしろ30代後半から、強くなっていくのを感じたんです。

―ただ、杉田さんは30代前半に結婚して、今は子供もいる。その後に「非モテ」に苦しむなんて、本当なんですか?

杉田 そもそも僕の考える「非モテ」は、ただ“異性にモテない”人ではありません。「自分は他者(同性を含む)から好かれない」と思い込み、こじらせてしまった人のことです。

つまり「非モテ」とは自意識の問題であって、客観的な基準はありません。童貞でもそういう自意識と無縁なら非モテではないし、逆に円満な夫婦関係を築いている男性でも非モテはいる。

「非モテ」には独特の面倒くささがある

―本書では「非モテ」を3つに分類しています(*下表参照)。僕は「非モテ3」だと思いますが、杉田さんも?

杉田 10代の頃からそういう感覚がありました。特にフリーターで恋人がいない20代後半はキツかった。とにかく寂しくて、何をしてもむなしい。女性に声をかけまくったりしたけど「誰でもいい」ことが見透かされて、失敗ばかり。でも、そのたびに「モテたい願望」は強くなっていくんです。

一方で、「女性への恐怖心」も抱えていた。若い頃に軽い性被害を受けたことがあるんです。「酒に酔ったバイトの同僚女性にホテルへ連れ込まれてオーラルセックスされた」だけなんですけど、とても“イヤな感じ”が残っていて。

そのことを知人男性に話しても、「ラッキーじゃん」で片づけられる。そのときは僕も「そうなのかな」と流した。「これもやっぱり性被害なんだ」と実感できたのは、それからずっと後のことです。

僕の場合、このふたつの経験が合流して、非モテ3をこじらせてしまったと思います。

*【3つの「非モテ」】(1)いろんな女性からちやほやされたい、いろんな女性とセックスしたい、という願望が叶えられない

(2)自分が好きな(愛する)ひとりの女から、好かれない(愛されない)

(3)「性愛的挫折(恋愛をしたことがない、失恋など)」がトラウマになって、あたかも人格の一部のように「モテない」意識に苦しめられ続ける 例:「誰とも付き合わず30歳になってしまった。もう恋愛やセックスなんて一生ムリだ」

―「モテたい願望」と「女性嫌悪」のコラボ。

杉田 ……突然ですが、僕、女子アナを見ると何か複雑な気持ちになるんです。

―なぜ?

杉田 僕個人のイメージですが、女子アナは“中年男性の理想的な女性”ですよね。美人で、いつもニコニコしていて、多少セクハラしても許してくれる。そんな女性をテレビ局が選別したわけです。まずそこに軽い嫌悪感がある。

でも、一方で彼女たちを「かわいいな」とも思う。そしてすぐに“自己ツッコミ”が入るんです。「あれは作られた媚(こ)びなんだぞ」って。で、その次には「女子アナは、僕みたいな男は絶対に好きにならない」とか、そんな劣等感も湧き上がってくる。

―面倒くさい!

杉田 僕に限らず「非モテ」にはそんな独特の面倒くささがあると思います。

「非モテ」を緩和させるヒントとは?

―女性に「そんな俺を理解して!」と求めても無理ですよね。

杉田 男でも理解できないという人はいますよ。「『非モテ』がイヤなら、コミュニケーション能力を磨けよ」と言われる。でも、「努力したけど、モテない」人は絶対いるんです。もっと言えば「一生、非モテ」の人も。ヤノアツさんだって、そうかもしれません。

―え!? ヤダ……。

杉田 「非モテ」は、青春期に刻まれたもので、完治は難しいと思います。ならば、苦しみを多少でも緩和させる方向で考える必要がある。そのヒントも試行錯誤していかなくては。

―それは?

杉田 例えば僕の知人は、友達の子供を預かるボランティアを続けているうちに、男女の恋愛とは別の形の情愛が目覚めてきて、性愛の欲求が少しずつ薄まったそうです。もし、性愛とは別の領域で“空洞感”を埋められるなら、「非モテ」の苦しみも弱まっていくかもしれません。

ほかにも、「非モテ」を個人の問題ではなく、社会の問題として考えてみれば、「非モテ」が抱きがちな過剰な自己嫌悪を和らげてくれます。非正規雇用の広まりや、女性の社会進出は「非モテ」の問題と無関係ではありません。

あと、もうひとつ。「非モテの弱音」を吐き合える男友達をつくること。できればネットではなく、リアルで。

―それは、無理。こんな話を友達に面と向かってするなんて、恥ずかしすぎる。

杉田  難しいですよね。僕もそうです(笑)。

僕はこの本で「男の弱さとは“自分の弱さ”を認められない、というややこしい弱さだ」と書きました。いまだ「男は強くあれ、弱音は吐くな」という保守的な価値観が根強いなか、男性が自分の弱さを認めるの難しいことです。

でも、ここまで話してきた不能感や満たされない感情を男同士で語り合う文化ができれば、非モテに限らず、男性が自身の弱さと向き合うキッカケになるし、そのツラさも少しは薄らぐと思うんです。

●杉田俊介(すぎた・しゅんすけ)1975年生まれ、神奈川県出身。批評家。20代後半より障害者ヘルパーに従事しながら執筆活動を行なう。雇用問題、サブカルチャー、男性学など幅広いテーマの論考を文芸誌、思想誌で発表。著書に『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)、『長渕剛論-歌え、歌い殺される明日まで-』(毎日新聞出版)など

■『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』 集英社新書 760円+税「愛されない」「仕事がつらい」「男らしくなれない」……昨今、クローズアップされている“男の生きづらさ”の根底にあるものは何か? 非モテを自称する著者が自身のモテない経験を赤裸々に語りながら、その正体を探る。誰からも認められず愛されなくても、幸せに優しく生きていく方法を思索した、新しい男性論だ

(撮影/下城英悟)