野球アニメの後は兄と野球盤対決した思い出を語ってくれた水野雄仁氏

野球盤を開発・販売するため、1958年に創業したエポック社が今年で60周年! 累計1400万台以上売り上げた野球盤は、球界のスターにも影響を与えていた? 

元読売ジャイアンツで野球解説者の水野雄仁(かつひと)氏に野球盤の思い出を聞いた。

* * *

―水野雄仁さんの少年時代は、野球盤が全盛でしたよね?

水野 うん。7、8歳の頃によく遊んだのが“消える魔球”が初めて搭載されたモデルだったかな。当時は野球やってて野球盤を持ってないコはいなかったよ。みんな誕生日とかにプレゼントしてもらっていたからね。

―野球盤は避けては通れない道だったんですね。

水野 俺も3つ上の兄貴がいたから家でよくやってた。まぁ、やっぱり向こうのほうがうまくて連戦連敗だったけどね。昼は外で野球やって、家に帰ってきたら『侍ジャイアンツ』とか野球アニメを見て、終わったら野球盤…小学生のときはそんな生活(笑)。

―野球漬けの1日じゃないですか(笑)。野球盤から学んだことはありますか?

水野 どんなにいい当たりでも運が悪ければアウトになっちゃうっていうのは野球盤で学んだ。打者として打っても、投手として打たれても、結果がすべてだと。

それと執念かな。少年野球をやってても年上のチームには基本勝てない。でも俺は毎日、兄貴に野球盤でコテンパンにされてるから、精神的にタフになってるというか、全然諦めないんだよね。

―投手向きの性格になれたのは野球盤のおかげと。

水野 かもね(笑)。それに今のゲームはひとりでも遊べるけど、野球盤は兄弟か友達がいないと遊べないでしょ。人のありがたみというか、コミュニケーションの大事さも野球盤が教えてくれたよね。

企画で池田対PLを再現しようって…

―自分で投げて打っても盛り上がらないですもんね。大人になってからも野球盤をやることは?

水野 何年か前にPL(学園)のOBと俺で対戦して、(83年夏の甲子園の)池田対PLを再現しようってTVの企画に参加したよ。お遊びだから結果は覚えてないんだけど。

―そうだったんですね!? ちなみにこちらが最新版の野球盤になります!

水野 へ~。盤面は昔ながらのレトロな感じを残してくれてるのがうれしいね。エポック社の野球盤に対する心意気を感じるよ。

―せっかくなので対戦しませんか? ガチ勝負で。

水野 お、やってみるか?。

―童心に帰りますね。では、いざ勝負! 水野さんが打者で一球勝負です。いきます!

水野 来い!!

―くらえ、「攻めダルマ」も驚く剛速球!!

水野 よっ!(カキンッ)

(フェンス直撃二塁打)

―げっ!! あっさり打ち返された…。さすが「やまびこ打線」、恐るべし…。

投球の“3D化”が実現され、投げたボールが空を切ってバッターの元へ放物線を描くことができる。ダイナミックなホームランやカラー電光掲示板、実況音声など集大成的モデル! 「野球盤 3Dエース オーロラビジョン」(2017年/7980円)

★『週刊プレイボーイ』8号(2月5日発売)「エポック社&野球盤60周年ヒストリー」では、野球盤の歴史を歴代モデルとともにふり返りつつ、“魔球”開発の秘話などにも迫る!

●水野雄仁(みずの・かつひと)1965年生まれ、徳島県出身。池田高校時代はエースで「やまびこ打線」の中軸を担い、甲子園夏春連覇に貢献。83年にドラフト1位で巨人に入団。引退後は野球解説者を務める

(取材・文/昌谷大介、増田理穂子[A4studio]、武松佑季 撮影/下城英悟)