『ガンより怖い薬剤耐性』の共著者であるふたりの専門家、三瀬勝利氏(右)、山内一也氏(左)

近代医学は、人間を苦しめる様々な感染症の原因が「細菌」と「ウイルス」だという事実を突き止め、対抗手段として強力な殺菌薬や抗ウイルス薬を開発してきた。当初、それらの新薬はめざましい治癒力を発揮し、抗菌薬の代表格「ペニシリン」などは“魔法の弾丸とも賞賛された。

ところが、病原性微生物たちも負けてはおらず、薬の効果を打ち消す「薬剤耐性」を獲得して生き延びるようになった。そして、1970年代に現れた「エイズ=ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」、どこにでもいる細菌が強毒性に変異した「メチシリン耐性黄色ブドウ球菌」や「O157(腸管出血性大腸菌)」など、数多くの新型感染症が世界中へ広がり続けている。

こうした情勢下にあって近年、病原菌とウイルスの耐性に打ち勝つ新薬開発が難しくなり、人類は感染症で多くの人が亡くなる危険性も出てきた。この深刻な事態を招いた原因は何か? 有効な打開策はあるのか? その点に警鐘を鳴らす『ガンより怖い薬剤耐性』(集英社新書)の共著者であるふたりの専門家、三瀬勝利氏、山内一也氏を取材した。

●感染症に効く治療薬は頭打ち状態

─今のところ、日本人の死亡原因1位は「ガン」、2位は「心臓疾患」、3位は「肺炎」ですが、近い将来、薬剤耐性菌による感染症死亡数がガン死者数を上回る恐れがあるのですか?

三瀬 現状を見ると、そう判断せざるを得ません。既成の医薬品が全く効かない薬剤耐性菌による死者数は世界中で急増しており、2050年までには年間1千万人を超えるとイギリスの医療機関などが予測しています。現在のガンによる死者数は年間800万人なので、このままでは遠からず薬剤耐性菌による犠牲者数のほうが多くなりそうです。

─医学は進歩し続けており、どんな難病もいずれは治療方法が見つかるだろうと一般人は思っています。でも実際の医療現場は、耐性菌の猛威に対して苦戦を強いられているのですね。

三瀬 まさにその通りです。1920年代の終わりにイギリスでペニシリンが偶然発見され、1940年代の初めに大量生産が可能になりました。やがてその直後に発見された他の抗菌薬も大量生産が可能になり、各種の細菌感染症治療に大きく貢献しました。しかし一方で、1950年代中頃には早くも抗菌薬では死なない病原菌が出現しています。薬剤耐性菌の誕生と蔓延です。

中でも終戦後の日本では、他国に先駆けて抗菌薬の工場生産が本格化し、赤痢、チフス、結核などの伝染病治療に大量使用されたため、薬剤耐性菌と新薬開発のイタチゴッコもまた早い時期から始まった。埋蔵量が限られている石油・石炭などの化石燃料資源と同じく、ヒトの感染症に効く治療薬の材料となる化学物質の種類にも限界があるのです。

特に抗菌薬については、これまでに認可された200系統ほどの製品で頭打ちになっており、今後も耐性を強めていく病原菌を完全に抑え込める新薬の開発はますます難しくなる見通しです。

─細菌やウイルスが抗菌薬から身を守るために獲得する「薬剤耐性」とは具体的にどのような能力なのですか?

三瀬 細胞を持つ細菌と持たないウイルスとでは、それぞれの生態と薬剤耐性のメカニズムが大きく異なります。まず、病原菌はヒト細胞に取り付き、栄養分を奪い取って増殖します。その特定の病原菌を選択的に攻撃するのが抗菌薬や抗生物質の役割ですが、細菌のほうも3パターンの耐性能力を発揮して薬剤の攻撃をかわすことがわかっています。

1番目は薬剤の活性を奪う方法で、これは薬剤の化学構造を破壊するか、あるいは余分な分子を加えて抗菌薬の性質を変え無害化させてしまうものです。2番目は、薬剤が攻撃目標とする病原菌細胞内の弱い部分や酵素の組成を変異させて補強する方法、3番目は、細胞膜の透過性を変化させて侵入した薬剤を素早く排出したり、細菌同士が協力して細菌細胞の外側にタンパク質の膜状物質(バイオフィルム)を分泌し、このバリアで薬剤の侵入を完全阻止してしまう方法です。

こうした耐性能力は細菌同士の交配による遺伝子交換で受け渡しが行なわれたりし、抗菌剤に負けない子孫を増やしていきます。

微生物は決して下等な生物ではない

●微生物は決して下等な生物ではない

山内 1千分の1ミリほどの細菌よりもさらにサイズが小さく、電子顕微鏡でしか観察できないウイルスは細胞構造を持たず、ヒトや動物など生物の細胞内へ侵入して、細胞の機能をハイジャックして自分の遺伝子を複製させ、子のウイルスを増やします。そして、放出されたウイルスはまた周囲の細胞内へ入って増殖を繰り返します。1個のウイルスから半日もすると、10万を超す子のウイルスが生まれます。ハイジャックされた細胞は死滅して、様々な症状が現れるのです。

ウイルスには病原菌を攻撃する抗菌薬は全く効きません。細胞に依存して増えるので、ウイルス増殖を止めようとすると細胞の機能も損なってしまいます。ウイルス独自の増殖のメカニズムを理解して、そこだけを狙い撃ちにするのが抗ウイルス薬です。

私たちに感染するウイルスは数多くありますが、効果的な抗ウイルス薬ができているのは、インフルエンザウイルス、ヘルペスウイルス、HIV、C型肝炎ウイルスなど非常に限られています。しかも、これらは殺すのではなく増殖を止めるだけで、すでに増えたしまったウイルスは体の免疫力が追い出しています。しかし、ヘルペスウイルスやHIVは細胞の中に隠れてしまうため、完全に追い出すことはできません。

さらに、複製する際にコピーミスを起こしやすく、そのために変異ウイルスがすぐに出現します。中でもHIVの増殖では、2回複製されるという独特の仕組みがあるため、コピーミスの起きる確率も倍増します。そのため変異ウイルスが生まれやすく、抗HIV薬が効かなくなります。薬剤耐性のHIVに対して、抗HIV薬の開発は盛んに行なわれていて、今では30種類くらいの薬が用いられています。

─そうした細菌とウイルスの生存戦略はあらかじめ遺伝子の中に組み込まれていたのでしょうか。人間が排除しようとすると、たちまち倍返し倍々返しの容赦ない報復を仕掛けてくる! ナメてかかると、まだまだ厄介な隠し球を出してきそうですね。

三瀬 感染症の研究が本格的に始まった20世紀前半には、目に見えない微生物たちがこれほど賢いとは誰も想像していませんでした。しかし、霊長類の出現時期がたかだか700万年前なのに対して、細菌やウイルスは約40億年前から存在し、生命体としての歴史の深さは比較になりません。それなのに人間は科学を過信し、下等な微生物などは容易に支配できると慢心していたことが、今になってつまづきの元となっているのです。

─今回の著作では病原性微生物が耐性を強めている原因のひとつとして、医療分野をはじめ、様々な場面での抗菌薬や抗生物質の過剰使用に警鐘を鳴らしておられます。確かに最近は「抗菌加工」を謳(うた)い文句にした多種多様な生活用品が溢れ返っています。

三瀬 洗剤、トイレ用品、携帯電話ケース、玩具素材、工具のグリップ、キーボードやマウス、一般家屋の建材など数え挙げたらキリがありません。しかし、こうした抗菌製品にどれほどの効果が期待できるかはわかりません。それどころか、多種類の抗菌薬が氾濫した生活環境は、むしろ病原性微生物の薬剤耐性を強めかねないのです。もうひとつ見逃せないのは、抗菌薬の乱用は人体にも影響を及ぼし、本来備えている感染症への抵抗力を鈍らせる危険性が高いことです。

抗菌薬を大量接種すると人間も家畜も太る?

●抗菌薬を大量接種すると人間も家畜も太る?

─つまり、抗菌薬の使い方を間違えると、病原性微生物やウイルスの生存力を鍛え上げ、逆に人間を弱体化させてしまうという本末転倒の事態を招くわけですね。

三瀬 40歳以下の若い健康な人たちは基本的に免疫力も高いので、わざわざ抗菌加工の日用品など使わなくてもいいのです。それと、問題は抗菌薬の総生産量のうち7割以上が畜産・養鶏・魚介養殖の飼料に使われているということです。これは病気予防だけが目的ではありません。飼育動物に抗菌薬入りの飼料を大量に与えると、免疫力の維持に割くエネルギーが少なくて済むので、肉付きが良くなるのです。スーパーなどで売られている通常のパック入り精肉や養殖魚は、多かれ少なかれ抗菌薬を添加した飼料で育てられているのです。

─特別飼育の高級食肉や天然モノ魚介、完全無農薬野菜だけを食べ続けない限り、誰でも日々の食生活を通じて抗菌薬、抗ウイルス薬を取り込んでしまう…。

三瀬 とにかく、食料増産のために抗菌薬を大量使用するのは邪道というしかありません。今や3人にひとりが肥満体だというアメリカでも子供の頃から食品などを介して摂取してきた抗菌薬の影響が疑われています。先ほど述べたように約40億年の時間を生き抜いてきた微生物と人間の正しい関係を真剣に見つめ直すべき時期に来ているのです。

山内 ここで再認識すべきは、すべての微生物が人間に病気をもたらす悪者ではないということ。我々の腸内に善玉菌と悪玉菌が混在しているのはご存じでしょうが、人間が生きていく上で極めて重要な働きをする多様な細菌やウイルス種がいることもわかってきました。そのひとつが、母親のお腹にいる胎児を守るウイルスです。

胎児は父親と母親の両方の遺伝形質を持っています。父親の遺伝形質は母親にとっては異物です。ちょうど、父親の臓器が移植されたような状態です。この半分が異物である胎児が拒絶されないのは、胎盤の中の胎児の血管と母親の血管を隔てている膜が、母親の免疫リンパ球の侵入を防いでいるためです。この膜は胎児の発育に必要な栄養は通しますが、リンパ球は通さないのです。この膜を作っているのは、人類が生まれた時から染色体に潜んでいる内在性レトロウイルスというウイルスです。私たちはウイルスに守られて生まれてきているのです。

●人間はそもそもヒトと細菌の複合生物。

─説明を聞いて、まだ半世紀ほどの使用実績しかない抗菌薬や抗ウイルス薬が、人類誕生から続いてきた微生物との互恵関係を急速に破壊している現状がよくわかりました。

三瀬 その反省時期としては、もうギリギリのタイムリミットに来ていると肝に銘じたほうがいいでしょう。それを裏づける事実はいくつもありますが、例えば19世紀前後の産業革命時代の化石化した人糞を分析した結果、現在より種類も個数もはるかに多い細菌が人体内に住み着いていたことが判明しています。

ところが人間は先走った衛生観念に駆られて、体内に共生する微生物たちの役割を十分に解明することなく、20世紀の半ば以降、薬剤の乱用で善玉微生物を激減させてしまったのです。この愚かな選択のツケのひとつが治療の難しい新型疾病の蔓延であることは間違いありません。抗菌薬の大量使用を境に急増した疾病はアレルギー、ぜんそく、潰瘍性大腸炎、リウマチ、自閉症など数多くあり、個々の内容については著書で説明を加えています。

人間と微生物の共生関係を今から回復することは可能なのか?

─本の冒頭では、20世紀前半から人間と微生物との共生の重要性を説いていたアメリカの生物学者レダーバーグ(1925~2006年)について紹介されていますね。

山内 レダーバーグは「人間は、ヒトと細菌などから成る複合生物である」という卓見を最初に述べた偉大な科学者で、特に腸管の内部や皮膚表面などに共生している微生物群については「われわれ人間の構成部分」だと強調しました。人体を構成する細胞数は約60兆個ですが、大腸には100兆個を超す腸内細菌とその数十倍のウイルスが共生しています。そして、その細菌に寄生するウイルスは腸内細菌のバランスの維持など重要な役割を果たしていることが推測されています。

現在の科学では、レダーバーグの言葉は「人間は、ヒトと細菌とウイルスなどから成る複合生物である」ということになります。

─その人間と微生物の共生関係、本来続いてきたバランスを今から回復することは可能なのでしょうか?

三瀬 医療において大勢の人命を救っている抗菌薬や抗ウイルス薬の価値は、あくまでも評価されるべきです。そして再び魔法の弾丸の地位を取り戻すためには、いうまでもなく医療現場以外での乱用を極限まで減らすしかありません。

実は薬剤耐性菌にしても、抗菌薬と闘うための防御機能を維持するには大変なエネルギーが必要なのです。この先、20年間から30年間ほど世界規模で抗菌薬の乱用を自重すれば、おそらくは今猛威をふるっている薬剤耐性菌なども自然に減少し、それと歩調を合わせて肥満やアレルギーなどの新しい疾病も激減し、ヒトと微生物の健全な共生関係が復活できるのではないかと思います。ただし、そのためには今すぐに行動しなければいけません。

(取材・文・撮影/有賀訓)

■三瀬勝利(みせ かつとし)一九三八年、愛媛県出身。東京大学薬学部卒業後、厚生省所属の研究機関で種々の病原細菌の研究に従事。薬学博士。著書に『逆襲するバイ菌たち』(講談社)『薬が効かない!』(文芸春秋)などがある。

■山内一也(やまのうち かずや)一九三一年、神奈川県出身。東京大学農学部卒業後、国立予防衛生研究所、東京大学医科学研究所などでウイルスの研究に従事。東京大学名誉教授。著書に『はしかの脅威と驚異』(岩波書店)ほか多数。