作家・高橋源一郎氏の新刊『お釈迦さま以外はみんなバカ』(インターナショナル新書)が"不思議と癒される"と評判だ。本書は「キラキラネームについての考察」や「日本国憲法の大阪おばちゃん語訳」など、書籍やネット空間に溢れる言葉の数々を引用し、時に鋭く、時にユーモラスに、そこから得られる人生訓を紹介している。
とりわけ、『ラブホの上野さんの恋愛相談』(KADOKAWA)を絶賛。《珠玉の回答が、この本の中に目白押しなのだが、いったい、この人の正体はなんだろう》と、抑えがたい好奇心を綴っている。そこで今回、高橋氏と上野氏のスペシャル対談が実現! こんな時代だからこそ求められる、人を癒し、救う言葉とは、どのように生まれるのか――。
前編記事では、全身撮影NGという、上野氏の謎多き素顔に高橋氏が迫った。後編では、「人生相談」の回答を紡ぎ出す際の知られざる苦労を明かす――。
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上野 前編で高橋先生が「膨大なネット・コンテンツのほとんどは言葉で構成されている」とおっしゃいましたが、今回のご著書『お釈迦さま以外はみんなバカ』で紹介されている『偶然短歌』(飛鳥新社)もウィキペディアという"言葉の樹海"から発掘されたものですね。
「アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、中央アジア、およびシベリア」など、ウィキペディアの解説文から、偶然にも5・7・5・7・7の形になってしまっている言葉を集めた本ですが、ここに来る途中で偶然短歌を考えておりました。
高橋 どんな短歌ですか?
上野 池袋・成増和光・朝霞台。
高橋 「偶然川柳」じゃない(笑)。
上野 東武東上線の急行が停まる駅なのですが、ここから「志木にふじみ野」まではなんとかなるのですが、その後に「川越川越市」と続いてしまって短歌になりませんでした(笑)。ただこういう偶然のリズムは面白いですね。
高橋 そう。そして『偶然短歌』という書籍で行なわれていることは、要するにコンセプチュアル・アートなんですよ。1950年代の現代音楽家たちがやっていた「偶然性の音楽」と同じ。しかし、音や造形には"意味"がないけど、言葉は駅名の羅列であっても読者になにかを想像させてしまうんです。それが『偶然短歌』の楽しさだと思うんですが、逆に言えば、言葉はどこまでいっても完全に意味を脱ぎ去ることはできないというか。そこが言葉の面白さであり、怖さでもあると思います。
上野 「ホタテ貝を食べて旨い!」なんていうツイートは無価値だと思いますが、一方で、仮に毎朝8時に「おはよう」とだけツイートしている方がいるとしたら、この「おはよう」は非常に大きな意味を持っているように感じております。
高橋 ああ、わかります。
上野 「おはよう」という文字情報そのものには価値がない。しかし、おそらくは立派な社会人であるはずの発信者が、毎朝ただ「おはよう」とだけツイートする行為には意味があると思うのです。
高橋 『お釈迦さま以外はみんなバカ』で紹介している書籍で、『偶然短歌』以外に興味を覚えたものはありますか?
上野 やはり、ご著書のタイトルにもなっている「お釈迦さま以外はみんなバカ」という言葉のネタ元でもある『さすらいの仏教語』(中公新書)でございます。バカ=莫迦の語源はサンスクリット語のモハー(moha)で、バカの「莫」という文字は否定の意味、そして「迦」はお釈迦さまのことである、と。すなわち、お釈迦さま以外はみんなバカ。
高橋 もしかして、仏教がお好きですか?
上野 はい。
高橋 『ラブホの上野さんの恋愛相談』を読んでいて、仏教的な要素を感じたんですよ。別に、僕は仏教に特に詳しいわけではないけど、仏教というのは極めて論理的な側面を持っているでしょう? 前編でも言ったように上野さんの書く回答も、感情を表さない冷徹な論理性が貫かれているけど、それと「人を救いたい」という意識が併存しているように感じたんです。
上野 私は論理的と言われることも多いですが、論理的であったとしても論理は道具であり、その目的は別に論理的ではございません。私は「みんなができる限り愉快に楽しく暮らす」ということを目的にしていて、その目的の達成のために論理的であるだけなのです。高橋先生は「この人は嫌いだ!」と思う人物はいらっしゃいますか?
高橋 そりゃいますよ(笑)。
上野 例えばここにその嫌いな人が幸せになるボタンがあったとしたら、高橋先生はそのボタンを押しますか? ボタンを押しても高橋先生の生活には全く影響はないと仮定して。
高橋 うーん......どうだろう?(笑)
上野 私はそのボタンが押せる人間でありたいと思っています。自分に損がないのなら、嫌いな人でも幸せになってほしい。もちろん実際にその状況になったときに押せるかはわかりませんが、せめて日頃からはそのように考えていたいと思っています。
高橋 ますますもって、仏教的。お釈迦さまの法話を聞いているような気がしてきた......。
上野 とんでもございません。『お釈迦さま以外はみんなバカ』の第4章「接吻されて汚された私」では、人生相談・身の上相談の類いに注目されていますね。その中で、(小説家の)宇野千代先生の「相談者の質問をいちいち繰り返す」という回答の手法に触れておられますが、あれは人生相談というより、カウンセリング......。
高橋 そうそう。まったく、その通り。
上野 ブログでも書籍でも新聞でも、公開される人生相談には当の質問者だけでなく、オーディエンスとしての一般読者の存在がございます。その意味で、カウンセリングではない人生相談というのはエンターテインメントなのだと思います。ましてや、人生相談というのはハウツーを教える解説書ではない。
私の場合、ブログや書籍で公開しているオーディエンス向けの回答と、相談者に直接メールで回答している内容では目的を明確に分けています。別にどちらの方針が正しいというわけではありませんし、そういったカウンセリング風の人生相談で救われる方もいらっしゃることでしょう。あくまでも私の方針でしかありません。
高橋 僕も毎日新聞で人生相談をやっていますが、やはり相談者とは別に一般読者が存在することを当然、意識しています。僕の場合だと10の内の7は相談者に向けて、残りの3はオーディエンスに向けて書いていますね。ただ、新聞に掲載される人生相談というのは文字数に制限がある。それが、上野さんのようなインターネットやメールを活用した人生相談との最大の違いかもしれない。
上野 何文字ですか?
高橋 14字×42行だから...。
上野 588字ですね。
高橋 速ッ! とにかく、600字弱でお悩みに答えなければならない。これは非常に難しい。本当なら、ひとつの悩みに対して解決策というか選択肢を3、4つぐらい示した上で、オーディエンスも満足するようなことを書かなければいけないんだけど、物理的にそれは不可能。これは毎回、本当に苦しむところです。
上野 インターネットの場合、文字数の制限はありませんが、それでもやはりオーディエンスにお楽しみいただけるものを作るには苦労をします。どう考えても「別れろ」の4文字で済んでしまう相談も多いのですが、そう言うわけにもいきません。重要なのは「別れろ」という手段を伝えるのではなく、「別れる」という決断をさせるためのアドバイスをすることなのだと思います。
高橋 僕の場合も、身体的・健康的な悩みに対して回答するときには上野さんと同じ悩ましさがありますよ。「ここが痛い」とか「ガンかもしれない」といった悩みに対して、普通ならまず、するべきアドバイスは「医者に診てもらってください」でしょう。あるいは「セカンド・オピニオンを」とか。しかし、オーディエンスがいる以上、そんな回答は許されないから。それで、600字弱という制限の中で気の効いたことを書こうとするんだけど、あとから「なんで『医者に行け』と言わないんだ!」とお叱りの投書が来たり。
上野 人生相談というのは、わかりきったことを書いても、書かなくても、お叱りを受けるわけですね。誰でも知っている単語から、誰も知らない世界が広がるというのが、恋愛相談に対する私の回答の方針です。
高橋 上野さんの著書を読むと、僕にも勉強になることがたくさんあります。今回の『お釈迦さま以外はみんなバカ』という本は、NHKラジオ第1放送の『すっぴん!』という番組で僕がやっている「源ちゃんのゲンダイ国語」というコーナーがきっかけで生まれたんですね。今度、ぜひ出演してください。ラジオなら顔は見えないから、大丈夫でしょう?
上野 はい、よろこんで。
●高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)
作家。明治学院大学教授。1951年、広島県生まれ。横浜国立大学経済学部中退。近著に『ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた』(集英社新書)、『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)、『ゆっくりおやすみ、樹の下で』(朝日新聞出版)など。
●上野(うえの)
1990年生まれ。都内某所のラブホテルのスタッフとして働きながら、ブログ、ツイッター(フォロワー数は29万人超!)等で活躍中。著書に、漫画『ラブホの上野さん』(原案・原作)、『ラブホの上野さんの恋愛相談』、『ごきゅうけいですか?』(いずれもKADOKAWA)など。
●『お釈迦さま以外はみんなバカ』(インターナショナル新書 740円+税)