地方知事選をテーマにした小説『宴の前』を上梓した堂場瞬一 地方知事選をテーマにした小説『宴の前』を上梓した堂場瞬一

「安川美智夫は日本海に面したとある県の知事。四期十六年を務め、すでに引退宣言をしていた。

しかし後継者指名をためらううち、意中の副知事が病に倒れてしまう。知事選まであと二カ月。そこに降って湧いたような立候補者が現れる。十六年前の冬季オリンピックで銅メダルを獲得したアルペンスキーの選手、中司涼子だ。政党からの支援を受けず無所属で選挙に臨むという。

安川は新たな候補者として現役国会議員の牧野を考えるが、彼には致命的な問題があった......。」

警察小説、スポーツ小説から、メディアの興亡を描いた『社長室の冬』まで、幅広いジャンルに挑む堂場瞬一さんが今回取り上げたのは「選挙」。告示前に水面下で繰り広げられるひりつくような駆け引きを描き、この国の根幹ともいえる選挙制度に切り込む野心作です。

■選挙制度への疑問

――『宴の前』の題材は知事選挙です。なぜ選挙を取り上げようと思ったのでしょうか。

堂場 日本の選挙って大体、やる前に結果がわかっていますよね。最近は無党派層の動きが読めなくて不確定な要素も出てきているけれど、ほとんどは立候補者が出そろった時点で結果が読める。それってすごく変だなという思いがあって、今回はその辺をポイントにしながら書いてみたんです。

――三島由紀夫が『宴のあと』で東京都知事選を題材にしていますが、それに対して『宴の前』ですか。

堂場 それは関係ない。選挙はよくお祭りや宴にたとえられるし、特に地方では盛り上がる。でもその結果は宴の前からわかっている――それがタイトルの意味です。選挙の陰でうごめく人々がいて、それぞれの事情を絡めた群像劇を書きたいという狙いがありました。

――選挙への疑問があるとおっしゃっていましたが、その辺をもう少しお聞きしていいですか。

堂場 大げさなことをいっちゃうと、そもそも選挙とは? みたいな疑問ですね。

今、日本は議会制民主主義で動いているわけですけど、これがベストなのかなという気持ちがあるんです。けれども対案がない。もっと民意を反映するなら直接民主制しかないし、今はネットがあるからできる状況になっているとは思うけど、実際にはやらないでしょう。じゃあどんな制度がいいんだろうと。みんなごく当たり前に選挙に行っているけど――行かない人も多いけど――それで本当にいいんだろうかという疑問がずっとあったんです。この先のことを考えていくには、一度、今の状況はこんな感じです、みたいなことをまとめておく必要があるかなと。

でも、選挙の話を書くというと、つまらないんじゃないかと思う人が多いみたいですね。面白くなりそうもないネタを選んでしまったと反省しているんだけど。

―― いや、意外といっては失礼ですが、選挙の「前」がこんなに面白いとは。地方政治の裏側、選挙にまつわる人間模様、あるいは、選挙が象徴する今の日本の姿にリアリティを感じました。

堂場 選挙の話を面白くしようと思ったら、泡沫候補だと思われていた人が当選してしまうとか、たまたま出馬することになった人がボランティアの団結で善戦する、みたいな話になる。でも実際はそんなことは珍しいんですよ。特に地方の大きい選挙になればなるほどそんなことは起こらない。

――知事選という設定も興味深かったですね。国政ではなく。

堂場 知事は一国一城の主。ある部分では国会議員よりも権限が大きい。やる気のある人、志の高い人にとっては魅力のある仕事だと思います。だから、最初から国会議員は考えていなかったですね。

■直接対決のない「戦」

――『宴の前』には主人公が二人います。一人は安川美智夫。四期十六年を務め引退を表明している七十六歳の知事です。もう一人が中司涼子、四十二歳。かつてオリンピックで銅メダルをとったアルペンスキーの選手で、全県的な知名度があります。安川と涼子、どちらか一方を主人公にするのではなく、どちらの側からも描いていますね。

堂場 二人を同じ比重で書いたのは、必ずしも安川が旧体制の象徴というわけではないし、涼子が新しいタイプというわけでもないから。涼子みたいな著名人の候補は昔からいます。話としてはそもそも、涼子に先手を取られた安川の失敗なんですよ。後継者指名を先延ばしにしたから。

つまり安川が失敗しないと、この話は成立しなかった。とっとと後継者指名していれば、たとえ候補者に何かがあってもその次が擁立しやすかったでしょう。あるいは、どこかのタイミングで涼子に乗りかえる手もあった。涼子が政党政治を嫌っていたという事情はあるにせよ、そこはタヌキ親爺の説得力で何とかなったんじゃないかなと個人的には思うわけですよ。だから、ボタンのかけ違いが重なったともいえるんです。

――与党民自党のバックアップをしっかり受けている安川と、政党政治と距離を置く涼子。両者がぶつかり合うというより、並行してさまざまな事情が見えてきたり、事件が起きる構成が選挙というシステムを象徴しているように感じました。

堂場 選挙「戦」とはいうけれど、ほとんど相手と直接対決しませんよね。対決する機会って本当に少なくて、この中でも書きましたけど候補者の討論会くらいです。有権者が候補者を判断するための材料は、メディアや演説で訴えている主張や、人柄くらいしかないわけです。戦いなのに直接戦わない。そこが選挙の選挙たる所以でしょうか。その辺ですよね、僕が面白さを感じたのは。逆にいうと、危うさを感じるところなんですが。判断材料が少ないですよね。

―― なるほど。すでに知名度のある涼子の立候補に対して、安川は後継候補選びに頭を悩ますことになります。選挙の行方がさらに混沌としていく。手を挙げる人があまりいないのも現代的ですね。

堂場 実際よくありますよね。最近、地方選挙を見ていると、みんな政治をやりたくないのかなという気がちょっとするんです。面倒だし、大変だし、そもそも人口も減っている。そんな中で、押しつけ合いもあれば、お調子者が手を挙げたりもする。そうかと思うと、あいかわらず官僚出身の知事が多くて、昔のルートと変わらない部分もある。官選知事の時代の流れがまだあるのかなと思ってしまう。選挙ってそういういろいろなことがあって、もう大混乱の世界。それを表現できれば、と思っていたところはありますね。

■地方政治の現実

―― 選挙の中心は立候補者たちですが、その周辺にいるのがマスコミです。地元新聞・民報の編集主幹がメッセンジャーを務めたり、暗躍する様子も描かれています

堂場 こんな露骨な記者はなかなかいないかもしれないですけどね。ただ、地元出身の記者が多いから、高校の同級生が県庁にいたり、県会議員をやっていたりするのはよくあること。世界が狭いのは事実ですよね。そのときに地元紙は背筋を伸ばして何を伝えるべきかを考えてほしいなと思いますけど。

――民報の編集主幹は「民報は県紙だ。常に県の利益のために動く――それが唯一の編集方針だ」と言い切ります。

堂場 本当にその大義名分の通りなのか。自分の立場をキープするための言い訳なのか。微妙なところですけどね。

――どこまでが自分のためなのか、どこまでが人のためなのか。

堂場 そこがわからない。私は歴史物で登場人物が「民のために」とかいうと、シラけるんです。違うだろう、おまえが権力を欲しいからだろう、と考えてしまう。我々が権力を見るときって今も昔もそうだと思うんですよ、どこまでが公のためで、どこまでが本人の権力欲なのかわからない。それを見きわめようとする感じもこの小説にはありますね。

――候補者も、応援する人たちも県のため、未来のためだという。でも、選挙に勝てば自分たちにもいいことがあるんじゃないかという下心はないのか。ああいう感覚は、政治と市民が近い距離にある地方ならではだと思いました。東京で生まれ育った人にはピンとこないかもしれないですね。

堂場 東京にいると自分が東京の人間だという意識も薄いですからね。だから、知事がころころ代わっても気にしない。看板が掛け替わっただけで、中身は全然変わってない。優秀な官僚がいれば回っていくから。でも、地方に行くと実際に待ったなしの問題が多い。もしかしたら何十年か後には自分の町はなくなってしまうんじゃないか、みたいな危機感があって、誰に政治を託すかは重大な関心事なんでしょう。

――安川も涼子も、それぞれ県の未来を考えているのもまた本当のことなんですよね。

堂場 本当だと思いますよ。だから、この小説には、バカなやつは出てくるけど、悪役は一人も出てこないんです。

――日本の政治風土の縮図でもありますね。古くからの利権に配慮しながら政治を行ってきた人がいて、改革したい、新しいことをやりたいという人が出てくる。どっちも別に悪いことをしようとしているんじゃないんだけど、接点が持てない。

堂場 そう。多分ちょっとしたずれなんですよ。でもそのずれが埋められない。あと、女性の政治家がまだまだ少ないという問題もありますね。ガラスの天井といわれていますけど......そういうことを含めていろんな問題をとりあえず提示してみましたという感じですね。

■二人の対照的な主人公

――中司涼子はアスリートの経験を生かして、地方政治に挑もうとします。受け身ではなく能動的。これまでの女性政治家にはあまりいないタイプだと思います。

堂場 ほかの仕事で得た経験を政治に生かそうといったってなかなかできないですよ。普通の会社員だった人がそのまま地方政治でできることはほとんどないだろうし、公務員にしても、地方行政の仕組みは知っているだろうけど、意思決定能力がなければ役に立たない。アスリートは生活でも競技でも、日々決めなきゃいけないことがいっぱいあるわけで、そのためにどう努力するかというやり方がわかっている。なおかつ、オリンピック誘致のような具体的なスポーツ振興策をぶち上げられる。だから、彼女はあくまでワンアンドオンリーです。

――堂場さんがスポーツ小説を書いてきた経験も反映されているのかなと思ったのですが。

堂場 私が書いてきたスポーツ小説の主人公や登場人物で、その後、政治家になっているのは一人もいないんじゃないかな。彼らには政治から離れていてほしいという気持ちもありますけどね。あなたたちは自分たちの業界のことを一生懸命やってください、と。スポーツ団体も大変なことがいっぱいあるから

―― なるほど。たしかにニュースになったりしていますね。一方、安川も無味乾燥な仕事人間というわけではなく、長年連れ添ってきた奥さんが病気だったり、三十代後半の姪の将来を心配したりと人間的な部分も書き込まれています。

堂場 外面はタコというかタヌキというか、食えないベテラン政治家ですけど、そういう人にだって、裏には事情がある。人間くさい部分も出してやりたいなと思いました。私個人は涼子よりもむしろ安川のほうが好きなんですよ。裏に人間くさいところを隠している人には魅力を感じます。あんまりつき合いたくはないけど(笑)。

―― 魅力という点では、涼子の選挙コーディネーターを務める池内が強烈な印象を残します。選挙戦を戦い抜いてきたベテランで、勝率七割のプロフェッショナルです。

堂場 ああ、池内さんね。ある意味、池内って、この小説の象徴みたいな人ですよね。百戦錬磨でノウハウを持っていて、選挙の現実に精通している。

―― 彼の知識や感性が選挙にどう反映されるかはぜひ読んでほしいですね。今回は群像物をお書きになりたかったとおっしゃっていましたけど、一人の主人公を中心にというよりは、いろんな人を描くことに関心があるということでしょうか。

堂場 もちろん、両方メリットがあるんですよ。主人公一人の視点に絞ったときの求心力の強さは否定できないし、読者が読む原動力になります。ただ、世の中はもうちょっと複雑なんじゃないかという思いもあって。同じものを見ても、主人公と敵とでは見方が全然違いますよね。今は群像劇を書くことで、複数のものの見方をモザイクのように積み重ねていくやり方に興味があります。『宴の前』はその実験という側面もありますね。

―― たしかに一方だけの見方では見えないものがありますね。両面から見ることで読者の心も揺れ動く。『宴の前』でいえば、安川か涼子か。どちらに投票するか、読者に聞いてみたい(笑)。

堂場 選挙結果は小説に書いたけど(笑)。選挙は僅差で決まることもよくありますが、五十一対四十九で勝ったからといって民意を反映したと本当にいえるのかという疑問もありますよね。この制度でいいのか。選挙について考える材料になると嬉しいですね。

(「青春と読書」2018年10月号より転載)

堂場瞬一(どうば・しゅんいち)
作家。1963年茨城県生まれ。青山学院大学卒業。新聞社勤務のかたわら小説の執筆を始め、2000年に「8年」で小説すばる新人賞受賞。警察小説、スポーツ小説を中心に幅広いジャンルで活躍。著書に『検証捜査』『複合捜査』『解』『共犯捜査』『警察(サツ)回りの夏』『社長室の冬』『いつか白球は海へ』等多数。

『宴の前』(本体1,800円+税)