非正規格差。ブラック企業。パワハラ。うつに自殺......。国が号令をかけてすすめている働き方改革の背景にあるのは、企業社会が長い間見て見ぬふりをしてきた労働をめぐる負の構造だ。
そもそも人間が働き、生きるとはどういうことなのか。小説家の夢枕獏氏と考古学者の岡村道雄氏の対談をまとめた新刊『縄文探検隊の記録』(インターナショナル新書)で紹介されている縄文人の生き方が話題を呼んでいる。それは、先の見えない重圧に耐えながら暮らす現代人への、時を超えたメッセージではないかというものだ。
本書は、各地の有識者たちとも議論を交えた縄文社会についての対談集である。前半では、これまで教科書などで教えられてきた縄文の常識を覆す新事実や、最新の研究成果。後半では、縄文人が信仰した神とその後の列島宗教、空海が持ち帰った密教との関連性など縄文人の精神性がフォーカスされている。いずれも新鮮なテーマだが、とりわけ興味がかきたてられるのは「縄文人は1日4時間しか働いていなくても十分幸せに暮らせた」という研究に基づく学説だ。
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夢枕 僕が「働く」ということがどういうことだったのかと考えるようになったのは、岡村さんから教示を受け議論を深めていく中で、縄文人の暮らし方というものがかなり具体的に想像できるようになってからです。
働くとは何か。これ、けっこう大事な定義だと思うんですよ。人が動くと書いて働くという字になるんだけど、あなたはなんのために働いているんですかと問えば、多くの人が食っていくため、あるいは家族を養うためだと答えると思うんですね。じゃあ野生動物は働いているのか? 空腹を満たすため、子供を育てるために餌をとっていますけど、動物たちは、働くという概念を持っていないんじゃないか。
働く、あるいは労働というのは、自分のDNAを残していくという行為にとどまらない、人間独特の活動だと思うんですね。自分たちの社会をうまく回していくための共同行為というか役割分担というか。当然、縄文時代から労働はあったはずなんですが、岡村さんと話をするうち、縄文時代の労働と現代の労働は、かなり意味あいが異なるのではないかと思うようになりました。
岡村 今日の労働は獏さんがおっしゃった社会の中における役割分担で、お互いの得意なところを認め合っているという点では縄文社会と同じです。けれど大きな違いがあります。現代人に、なぜあなたは一生懸命に働くのかと問うと、自己実現を挙げます。
これは言いかえると、現状に満足をしていないということではないですか。幸せを掴み取るのは個人の才覚と努力で、国家や社会が用意するものではない。そういうことが常識になってしまっているので、必死に、体を壊すほど、あるいは自殺を考えてしまうほど長い時間働く。縄文人は4時間くらいしか働いていません。なぜかというと、それくらいでみんなが十分幸せに暮らせた社会だったからです。
夢枕 1日4時間働けば暮らせたという数字の根拠はなんなのですか?
岡村 時間のような概念は遺跡を掘っても手がかりを得られないので、そういうときは他の学問領域にヒントを探ります。1日4時間という数字は、じつは文化人類学者の報告を借りたものなんですよ。縄文の労働を直接調べる手立てはないので、20世紀に入っても狩猟採集を続けていた民族の調査結果を参考にしています。
たとえば東アフリカの研究例に、男は年間の7割、女は3割強の日しか働いておらず、働いた日でも平均すると1日の労働時間は4時間だったという報告があります。ほかの民族例を見ても労働時間は4時間くらい。縄文時代も暮らしは狩猟採集ですから、ほぼ同じようなリズムで日々を過ごしていたと考えてよいだろう。そういう判断の元に示された数字です。
夢枕 縄文土器の複雑な模様、土偶の造形にかけた時間とエネルギー、死者の丁寧な葬り方などを見ても、食うや食わずの悲惨な暮らしを続けていた人たちとは思えませんね。しかも縄文の狩猟採集生活というのは完全な定住で、数千年も同じところに続いた集落もある。
僕たち昭和世代にはまだ記憶のある日本家屋の囲炉裏と、そこに座る席の序列が、じつは炉を中心に据えた竪穴住居の名残だと知ったときは驚きました。縄文時代そのものは1万年も続き、しかも労働時間は1日4時間。この説が語っていることは、現代に照らし合わせると相当に重いと思います。
岡村 しかも、今言った東アフリカの報告では、採集や狩りを仕事と位置づけるのか、遊びと位置づけるかという線引きは難しいとも書いています。このあたりは、私よりも釣りが大好きな獏さんのほうが的確に解釈できると思いますが。
夢枕 働く、生きるということを考えるときに大事なのは、まさにその部分です。共同作業にしても分業にしても、自分が今やっていることは楽しいのか、達成の喜びを感じられることなのか。そこで労働の解釈が分かれると思うんですよ。
たとえば僕は、1日4時間どころか10時間以上原稿を書いていることがざらにある。世間から見れば、いつも締切りに追われ大変な仕事だということになりますが、僕自身は好きなテーマで好きに書いているので楽しくてしょうがない。もちろんアイデアが煮詰まったりする苦しい山場もあるのだけれど、それを乗り越えるのも楽しみで、苦役ではないんですね。つまり僕の選んだ仕事は、運のよいことなのかもしれないけれど労働と遊びの境目がない。だから長時間でも苦には感じないんです。
縄文時代の釣りや狩猟も、似た要素がかなりあるんじゃないかと思います。たぶん得意な人間に割り振られた労働なのだろうけれど、フィッシングやハンティングのスキルというのは好きな人でなければ高められません。だから、そういう役割を社会から与えられた人は面白くて仕方がなかったはずです。
自然の中で獲物を追っていると死と隣り合わせのような危険もありますが、交感神経が刺激される快楽のほうが勝るわけです。そんな好きなことをしていても、トータルでの労働時間の平均が4時間くらいだったであろうというのは、さらに驚きです。
岡村 そうですね。しかも釣りや狩猟は当たり外れが大きく、食料の調達にはそれほど寄与していないという事実も民族例から明らかになっています。近年の縄文遺跡の調査からも、漁の主役は大物釣りではなく、浅瀬に寄るイワシのような小魚を潮の干満差を利用して一網打尽にする簾建漁(すだてりょう)のような方法だったことがわかっています。
夢枕 クリも縄文時代からすでに栽培されていたことがはっきりしてきたわけですからね。実質的な食料調達は、おかあちゃんたちが浜辺へ出て貝や小魚を採取したりクリを栽培することでできていた。博打にも似た釣りや狩りにうつつを抜かしていた男たちというのは、実生活の面ではじつはそれほど当てにされていなかった。
ということは女が切り盛りしていた社会だったと言うことですよね、たぶん。トータルでは4時間も働けば暮らしが回り、自由な時間を使ってみんなで芸術や音楽も楽しんでいたということですかね。
岡村 縄文時代はみんなで力を合わせて家を建てたり、溝や道を作る土木工事も行なっていました。それらも、義務的労働というよりは一種のお祭り的な行為であったように思います。終わったら完成をみなで祝い、喜びを分かち合っていたはずです。現在もわずかですが、山村集落には結(ゆい)という「手間返し」的な協働の習慣が残っています。そこでは、やはり最後に酒食を共にします。こういう労働文化は現在の企業社会では見られません。
縄文とは、このような人間くさい営みが1万年も続いた時代ですが、やがて終焉のときがきて、日本列島の人々の暮らしは大きく変わります。その変容に伴い労働の質も様変わりした。そこに現代の働き方につながる伏線があるように思います。
●後編⇒権力の肥大化、過重労働、格差......現代社会の闇は「縄文時代の終焉」から始まった
■『縄文探検隊の記録』 インターナショナル新書 860円+税
●夢枕 獏(ゆめまくら・ばく)
小説家。1951年、神奈川県生まれ。東海大学文学部日本文学科卒業。77年作家デビュー。以後、『キマイラ』『サイコダイバー』『闇狩り師』『陰陽師』などの人気シリーズ作品を発表。受賞歴多数
●岡村道雄(おかむら・みちお)
考古学者。1948年、新潟県生まれ。奥松島縄文村歴史資料館名誉館長、奈良文化財研究所名誉研究員。東北大学大学院史学専攻修了。宮城県東北歴史資料館、文化庁、奈良文化財研究所などで勤務