第16回開高健ノンフィクション賞受賞作『空をゆく巨人』の著者、川内有緒氏

物理学の世界で「衝突」によって従来の常識を超えた状況が生まれることは珍しいことではない。かつて、地球も巨大隕石の衝突によって豊かな水の惑星となり、その海で生命が誕生したといわれている。

第16回開高健ノンフィクション賞受賞作『空をゆく巨人』(集英社)は、奇妙な縁で結ばれたふたりの男の足跡を追った作品だが、「出会いと友情の物語」などという説明ではまったく言葉が足りない。やはり「衝突」と言うべきだろう。そして、ここでも常識を超えた創造が生まれている。

登場するふたりの男は、中国が生んだ現代美術の世界的スーパースター、蔡國強(さい・こっきょう)氏と、福島県いわき市の"すごいおっちゃん"志賀忠重氏。ふたりの邂逅は三十数年前、無名だった蔡氏が日本で活動していた1980年代末のこと。蔡氏がいわき市内のギャラリーで個展を開催したことから、ふたりの関係が始まったが、志賀氏はアートとは無縁の市井(しせい)の"おっちゃん"である。にもかかわらず、蔡氏が現代美術界の巨星となり、世界各地の有名美術館で個展を開くようになっても、そこに志賀氏の姿があるのだ。

蔡氏がいわきで生んだ作品のひとつ、「いわきからの贈り物」は、志賀氏がいわきの海岸から引き揚げた廃船がマチエール(材料)として用いられていて、その廃船を世界各地の美術館に赴いて組み立てるのは、志賀氏を中心とした「いわきチーム」の面々だ。いまでは、蔡氏の個展を開催する美術館が彼らの旅費・宿泊費を負担し、作業に対して日当も支払っているが、それは「いわきチーム」の存在が蔡氏の作品の一部として認められているからだ。

『空をゆく巨人』の著者、川内有緒(かわうち・ありお)氏に、執筆の秘話を聞いた──。

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──開高賞の選考委員である茂木健一郎氏が「残るのは爽やかな心持ちだけだ。これは、案外奇跡的なことではないか」という選評を述べていますが、同感です。ノンフィクションという文学ジャンルは近年、かつて多くの若者が愛聴したのに退潮してしまったモダンジャズと同じように狭い袋小路に入り込んでしまった印象を持っていたからです。そんななかで『空をゆく巨人』は、ノンフィクションの新たな可能性を感じさせてくれました。

川内 実は今日、ある大学の講義に招かれて学生たちとディスカッションをしてきました。私は「開高健ノンフィクション賞受賞作家」として紹介していただきましたが、大学生たちの多くが「ノンフィクションって、なに?」といった反応を示していたのは衝撃的でした。「これまでノンフィクション作品を一冊も読んだことがない」という学生も数多くいました。

私自身も、2013年に『バウルを探して』(幻冬舎)で新田次郎文学賞をいただいたとき、自分の書いているものがノンフィクションというジャンルに入るのかと改めて認識した記憶があります。それまでは、とにかく「書きたいものを書く」という意識が強かった。これは、私のそれまでのキャリアにも関係があると思います。

アメリカの企業やフランスの国連機関などに勤務後、フリーのライターとして執筆活動に入ったというユニークな経歴を持つ

──米国の大学院を卒業後、同地で国際協力のコンサル業務に携わり、フランスでは国連機関でも働かれた。多彩というか、非常にユニークなキャリアの持ち主ですね。

川内 文筆活動に入ったきっかけは、国連機関で働いたことです。国連というのは、言ってみれば"世界規模のお役所"ですから、当然、そこで働く職員たちも官僚的です。その点に不満があったわけではありませんが、実際には世界各地で多くの職員が一般の人々は目にすることもできないようなリアルな現場に立ち会っているわけです。しかし、その現場に関する報告書は極めて事務的なものになるのが当たり前でした。私は、この点をとても残念に思いました。もっと、世界中の人々の魂に訴えかけるような文章を書けるはずだ、そのための素材は世界の各地に赴いて目の当たりにしているのに、と。

それで、国連機関を退職して執筆活動に入って、書きたいものを書くという自分の表現を摸索していきました。しかし、こうやって振り返ってみると、退職の動機もノンフィクションライターの視点ですよね。自分の読書歴を振り返っても、思春期の頃から小説よりもノンフィクション作品を多く読んできました。

──ノンフィクションには社会的正義のようなものが期待されることが多く、そのために作品が教条的になりがちな印象があります。しかし、『空をゆく巨人』にはそういった面がないし、一方で、ふたりの人間の絆を通じて人生の可能性のようなものは確実に描かれている。

川内 そういう作品として読んでいただけるものになっているとしたら、もともと、私が冒険もの・紀行ものが好きで、ライターとしてもそういうテーマを追ってきたからかもしれません。また、蔡國強というアーティストを通じて作品のなかで取り上げている現代美術というのは、そもそも教条的に社会的正義を訴えるというスタンスとは対極に位置するものでしょう。

──作品を読んで、蔡さんと志賀さんは、どんな感想を述べましたか?

川内 志賀さんは「ここに描かれているのは、オレという人間の20パーセント程度だな」と言っていました。それは当然というか、たしかに彼は蔡國強という世界的アーティストの活動において非常に重要な存在となっていますが、それは志賀さんの人生全体を見れば一部に過ぎないからです。

志賀さんは、蔡さんとのコラボレーションを含めて、自分の行動すべてを「やりたいから、やっている」と説明しています。本書では、冒険家・大場満郎氏が北極圏を単独徒歩で横断した際に志賀さんがベースマネジャーを務めたエピソードも紹介していますが、志賀さんはアートと同様、極地横断などの冒険に関しても素人。そんな志賀さんの、一見すれば無謀な行為こそ冒険と思えますが、それを説明するには「やりたいから、やっている」と言うしかないのでしょう。

蔡さんに関しては、実は自分のなかでも「もっと彼の内面を描きたかった」という思いが残っています。しかし、彼は基本的にインタビューのために長い時間を割くということをしないし、「蔡國強の人生をすべて知ることは、誰がどう取材しても不可能だ」とも言っています。それでも、今回は「いわきのことならば」という思いから取材に応じてくれました。

蔡さんは自身の個展の図録に、過去を回顧するような手記をたくさん寄せています。おそらく、今はこれまでの自分の歩みを振り返るときだと感じているのかもしれません。そして、志賀さんを中心としたいわきとの関係は、蔡國強というアーティストのなかでも特別な重みを持っているのだと思います。

──『空をゆく巨人』の綿密な取材は、どのように行なわれたのですか?

川内 志賀さんは、蔡さんの作品に参加するようになって以降、活動のほとんどを映像に残しています。ふたりの足跡を追う作品を書くにあたって、この膨大な映像記録や写真、手記を見直して、頭に入れることが私の最初の作業になりました。記録映像ですから、執筆には直接関係のないような場面も映っている。しかし、それらをすべて見なければ事実を伝えることはできません。

また、文章を書くとき、「そのとき、コップを持っていたのは右手か、左手か?」というのが、どうしても引っかかって先に進めなくなるときもあります。だから、気の遠くなるような量の映像を丹念に見る作業は省くことができませんでした。

本当に孤独なこの作業を、この作品に挑もうと決めた最初の半年間、続けました。のちに夫に、当時の私の様子は尋常ではなかったと言われました。私も、自分が粘着質な性格だと、そのとき初めて気づきました(笑)。

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2011年の東日本大震災の数年後、蔡氏と志賀氏が始めた「いわき回廊美術館」。ここを訪れたことが本書を執筆するきっかけとなり、川内氏はそれぞれの人生と、ふたりが生んだ数々の奇跡を丹念に辿っていった。大変な労作であることは間違いないが、そんな苦労を感じさせない軽やかな文体は読者をぐいぐいと作品の世界に引き込む。だから、「残るのは爽やかな心持ちだけ」なのだろう。

■『空をゆく巨人 集英社 1700円+税

●川内有緒(かわうち・ありお)
1972年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業後、米国ジョージタウン大学で修士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、仏の国連機関などに勤務後、フリーのライターとして評伝、旅行記、エッセイなどを執筆。その傍ら小さなギャラリーも運営。『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』で、第33回新田次郎文学賞を受賞。著書に『パリでメシを食う。』、『パリの国連で夢を食う。』、『晴れたら空に骨まいて』など