照明家という仕事には職人的な技術だけでなく、本物の知性が必要──。『照明家(あかりや)人生 劇団四季から世界へ』(早川書房)を読むと、そのことが痛切に伝わってくる。

著者の吉井澄雄氏は、世界的に高い評価を受ける舞台照明家。帯文も小澤征爾(せいじ)氏、磯崎新(あらた)氏という世界的な指揮者、建築家が寄せている。

20歳で「劇団四季」の創立に参加し、照明家としてのキャリアは実に65年。28歳で日生劇場技術部長に就任後は劇場技術コンサルタントとして、いくつもの劇場づくりに関わってきた。

今や日本の照明技術、劇場は世界に冠たるものがある。その原動力を担い、85歳の今も現役の吉井氏に話を聞いた。

* * *

──今年7月13日、盟友の浅利慶太さんが亡くなりました。

吉井 劇団四季の創立メンバーで生き残っているのは、とうとう、私ひとりだけになってしまいました。喪失感は今も非常に大きいものがあります。彼と出会わなかったら、今の自分はなかったわけですからね。

──浅利さんとの出会いは?

吉井 高校時代、私は先輩がつくった劇団で演劇活動をしていたんです。浅利は慶應高校の仲間と芝居をやっていて、当時から交流がありました。ただ、大きかったのは、西武新宿線の高田馬場駅ホームで終電を待っているときに、何回かばったりと会ったことだと思います。

大学進学後、私は照明助手をしていて帰りが遅くなることが多かったんですが、浅利も同じ沿線に住んでいた。「いつか、一緒に芝居をやりたい」という話をしていましたね。

──それで、誘われたんですね。

吉井 高田馬場駅でのやりとりがなかったら、劇団四季に加わっていたかどうかわかりません。そう考えると、運命的でしたね。あの時代に照明スタッフがいる小劇団はほかにありませんでした。

彼の先見の明はすごかった。浅利とはケンカを何遍もして、口をきかなかった時期もありましたが、一緒に日生劇場をつくり、ミラノ・スカラ座の『マダム・バタフライ』など、大きな仕事をやってこられた。

──希望に燃えていた?

吉井 若い時分は食うのに精いっぱいで、お先真っ暗な状況(笑)。芝居をやっていこうという気持ち、意地だけで生きていました。

──本書を読んでいて、マンガ家の手塚治虫さんや石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さん、藤子不二雄さんらのトキワ荘の物語を彷彿させるものがありました。

吉井 確かに、そういう雰囲気はありました。私を除いて、浅利をはじめ、俊英たちが集まっていましたからね。

──吉井さんは浅利さんへの追悼文で「人と出会う才能」「人を魅了する人間力」があったと書いています。吉井さんも同じような力を持っておられるとお会いして感じました。

吉井 自分ではどうだかわかりません。ただ、照明の仕事を私ほど一生懸命、気が狂うほどに夢中でやっていたヤツはほかにいなかったという自負はあるんです。それで、皆さん、変わり者だと思って付き合ってくださったのではないかな(笑)。

──とことん、のめり込んでいたんですね。

吉井 越路吹雪さんのリサイタルでは、照明を台本や音楽、歌詞に合わせるために、気がヘンになりそうなぐらい3日間、徹夜で試行錯誤を繰り返しました。そこまでのリハは、当時の常識では考えられませんよ。今もう一度、同じことをやろうとしても、なかなかできない。

──リサイタルの舞台は日生劇場。浅利さんが演出でしたね。

吉井 日生劇場でないと、できないことでした。照明で一日や四季など、時間の流れをつくろうと懸命でした。浅利や蜷川幸雄との仕事は後々、私のスタイルの基盤となった。海外でも自信と説得力を持って仕事ができるようになりましたし、私の照明の強みになりました。

──日生劇場の前は6年間、現在のTBSでテレビ番組の照明を手がけられていました。

吉井 舞台照明一本でいきたかったんですが、それだけでは食べていけなかったんです。ただ、テレビの世界では、最新の照明機器を使って仕事ができましたから、技術的にとても勉強になりました。

例えば、映像はアップが多用されますから、舞台と違って、表情に合わせて陰影をつける。そういう照明の効果を知れたことは、その後の舞台照明の仕事に非常に役立ちました。

──それから、オペラも吉井さんの舞台照明に影響を与えたそうですね。

吉井 1963年にドイツで本場のオペラを初めて見たんです。音楽と光と劇の3要素が融合して、こんなに力を持つものなんだと心が震えました。そして、照明における陰影、影、闇の重要さに気づいて、あらためて照明に真っ正面から取り組もうと思いました。

──磯崎新さんが帯文にこう書いています。「影を消してフラットにする照明の定式を破って、吉井澄雄は、日本演劇の根源にある闇の舞台をつくりだした」、と。

吉井 過分な褒め言葉ですけどね(笑)。ただ、光だけの世界は存在しない。闇があればこそ光も存在する。このことが、私の仕事のベースになっています。

──本書を読んで、芝居の脚本や音楽を理解できなければ、照明も中途半端なものになってしまうのだと学びました。吉井さんは音楽や芝居の教養があるからこそ、蜷川幸雄さんや海外の一流演出家たちにも信頼されていたのでしょうね。

吉井 照明の大本になるのは、そこですからね。でも、今は機材がものすごく進歩して、音楽やドラマがわからなくても、光の刺激だけで芝居を演出できる。機材頼りになっていくと、誰でもできてしまうという恐ろしさがあります。

──「劇団四季から世界へ」というサブタイトルどおり、吉井さんは疾風怒濤(どとう)の人生を送ってこられた。詳しくは本書に譲りますが、今、日本の照明、演劇についてどう考えていますか?

吉井 照明や演出、美術、装置、劇場は海外に比べて、遜色はありません。むしろ、先端を走っているところもある。ただ、舞台制作の総合力が劣っています。例えば、劇団四季のミュージカルにしても、作品はブロードウェイなど海外ものばかり。

その上、照明から舞台美術まで総合してパッケージ化されている。でも残念ながら、日本発でパッケージ化された作品を海外へ持っていける総合力が今の日本にはない。そこは後進に託したいと思います。

●吉井澄雄(よしい・すみお)
1933年生まれ、東京都出身。53年、劇団四季の創立に参加。以来、演劇、オペラ、舞踊と幅広い分野で照明デザインの第一人者として活躍。手がけた舞台の数は優に1万5000を超す。浅利慶太、蜷川幸雄、市川猿翁といった日本を代表する演出家の作品だけでなく、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座など海外での仕事も多く手がけている。紫綬褒章、読売演劇大賞芸術栄誉賞ほか、受賞多数。現在は日本照明家協会名誉会長

■『照明家(あかりや)人生 劇団四季から世界へ』
(早川書房 2700円+税)
著者の吉井澄雄氏は、65年前に産声を上げた「劇団四季」の創立メンバーのひとり。演劇から舞踊、ミュージカル、オペラなど幅広い分野の第一線で活躍を続ける、日本演劇史に残る舞台照明家であり、故・浅利慶太氏と共に日本の演劇を革新し続けてきた。本書はそんな吉井氏にとって初めての著書。知られざる舞台照明の世界を垣間見ることができる上、舞台照明、劇場づくりに半生をかけた男の一代記としても楽しむこともできる!

【『“本”人襲撃』は毎週火曜日更新!】

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