「従来の常識にとらわれず、科学的思考を大切にしている食品メーカーの方たちの姿勢に作家としてだけじゃなく、料理人としても影響を受けました」と語る樋口直哉氏

肉を調理する際、強火で最初に焼き目をつけることで肉汁を内側にとどめ、おいしく仕上げる──。

テレビで当たり前のように見かける調理法だが、実はこれは間違い。1930年代の実験によって誤りが証明されているが、今でもこの認識は正されておらず、一度浸透してしまった常識がいかにアップデートされにくいかを痛感させられる。

さて、そんな料理の誤った常識を正すレシピを多数掲載しているのが『定番の"当たり前"を見直す 新しい料理の教科書』だ。著者は樋口直哉氏。料理人として活躍する傍ら、小説家としての顔も持ち併せ、芥川賞にノミネートされた経験も持つ異色の人物だ。樋口氏に聞いた。

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──もう1万回くらい言われていると思いますが、やはり経歴が気になります。小説家と料理人、それぞれのきっかけは?

樋口 先に興味を持ったのは料理です。中学生のときに辻静雄さんの本を読んでフランス料理に憧れて、そのあとジョエル・ロブションさんの本を買って、頭から作っていったんです。そしたら、すごくおいしくできて、「ひょっとしたら自分は天才なんじゃないか」って思って(笑)。

でも、調理師専門学校に入って、自分に才能があったわけではなく、ロブションさんがすごかったんだと気づきました。というのも、彼のレシピは極めて正確で、「野菜○mm」「豚肉○g」というレベルで書かれていて、そのとおりに作れば必ずおいしくできるんです。

一方、小説家としてデビューしたのは2005年のことで、群像新人文学賞を受賞したのがきっかけ。当時、自分でお店を営業していたんですが、なかなかうまくいかず、時間だけあるような状況だったんです。

そんなある日、「小説の賞を取ったら賞金がもらえるんじゃないか」と邪(よこしま)なひらめきが浮かんで(笑)。長編小説を書いて、それを何作かに分けていろんな新人賞に送ったところ、運よく群像新人文学賞に引っかかりました。なので、僕はもともと、小説家になりたいというタイプではなかったんです。

──今回の本はご自身初のレシピ本ですが、「鶏肉は低温と高温で2度揚げ」「ハンバーグは真ん中を凹ませる必要はない」など、従来の常識を覆す発想が魅力です。画期的なレシピ本を出されたきっかけは?

樋口 理由は主にふたつあって、ひとつは料理のメカニズムを勉強したこと。母校の専門学校にスタッフとして戻ったときに、専門のフランス料理だけではなく、専門外の料理もいろいろとやることになったんです。今から勉強しても追いつけないので、本や論文で料理を猛勉強し直しました。

もうひとつは、作家として日本全国の食品メーカーを取材するようになったこと。例えば、高品質で知られる納豆屋さんからは、「豆を炊くのはコンピューターで制御された窯でやる。でも、発酵は昔ながらの方法がいい」と聞きました。

つまり、コンピューターと長年の知恵をうまく組み合わせることで、一番おいしいものが作れるということ。従来の常識にとらわれず、科学的思考を大切にしている彼らの姿勢に、作家としてだけじゃなく、料理人としても影響を受けました。

──とはいえ、著書の中でも繰り返し述べられていますが、人間の感覚はなかなかアップデートされません。

樋口 実際、その納豆屋さんによると、「昔ながらの窯で炊いているからおいしいんですよね」というお客さんは多いそうです。僕も新しい調理法を発表していますが、昔ながらの方法でいいんだ、という意見の方も当然いるかと思います。

ですが、2000年代以降、海外では科学を理解する料理人が増えていますし、調理科学を取り入れるレストランも注目を集めています。

──従来の調理法が最適でなくなった要因のひとつに、食材の変化があるそうですね。

樋口 例えば、豚肉は劇的に変わった存在。かつては特有の臭みがありましたが、今では餌や品種改良、衛生環境の改善ですごくおいしく、安全に食べられるようになりました。昔は寄生虫の関係でしっかり火を通さないといけないといわれていたけど、今、おいしいとんかつ屋さんに行くと中心部分がピンクで出てくることもありますよね。

もちろん、細菌の問題があるので生で食べるのはダメですけど、現在日本に流通している豚肉の寄生虫リスクは非常に低いので、過度に怖がる心配はなくなりました。豚肉は適正に加熱をすれば安全ですが、人間の考えは保守的なので、豚肉は火を通さないと危ないと思ってしまい、結果的に火を通しすぎて肉を硬くしがちです。

──一方で、調理器具の進化も、従来の調理法を「現在に合っていない」ものにしてしまうと。

樋口 例えば、プロのキッチンにはスチームコンベクションオーブンという機械があって、湿度を1~100%まで管理できるようになっています。実は湿度は肉に火が入る速度に大きな影響を与えていて、同じ火の強さでも部屋の湿度によって加熱時間が変わります。

でも、料理本のレシピには想定している湿度の表記ってないですよね。だから、再現性が低くなってしまう。なので、この本ではハンバーグを作る際、日本酒を入れて湿度100%の状態にすることをオススメしています。こうすれば少なくとも湿度に関しては条件をそろえられるので、再現性は高いはずです。

──「ハンバーグは真ん中を凹ませる」だけでは不十分だけど、湿度100%の状態にすることで再現性を高めるんですね。最後に週プレ読者向けにレシピを教えてください!

樋口 豚の生姜(しょうが)焼きは肉を柔らかくする「おろし生姜+酒」と味つけの「醤油・みりん+砂糖」を分けて使うのがオススメ。醤油で漬けても柔らかくなりますが、肉の味が薄くなる。

だから、生姜と酒だけでマリネして、焼いて醤油をかけるのがいい。本書では、砂糖を多くしてちょっと甘めに作ることで火の止めるタイミングをわかりやすくしていますが、本音を言うと、砂糖の量は半分くらいでもいい。でも、加熱のしすぎを避けることはそれ以上に重要なのでこういう味つけになっています。

ナポリタンは麺に十分な水分を含ませることでモチモチになります。だから、パスタではなく、焼きそばの麺を作ってもおいしく仕上がります。ゆでる時間がいらないので、あっという間に完成しますよ。

●樋口直哉(ひぐち・なおや)
1981年生まれ、東京都出身。作家、料理家。服部栄養専門学校卒業。2005年、『さよなら アメリカ』で第48回群像新人文学賞を受賞し、作家としてデビュー。同作は第133回芥川龍之介賞の候補にもなった。主な著作として、小説『大人ドロップ』『スープの国のお姫様』(共に小学館)、ノンフィクション『おいしいものには理由がある』『長寿の献立帖』(共にKADOKAWA)などがある

■『定番の"当たり前"を見直す 新しい料理の教科書』
(マガジンハウス 1400円+税)
世の中には調理法に関するさまざまな情報があふれているが、その真偽を見分けることは難しい。そんななか、本書では「昔は正しかったけれど、今では正しくないレシピ」を見直し、現代の食材・調理器具に合わせた作り方を紹介。調理に関するあらゆる常識がひっくり返される画期的なレシピ本だ。著者は『さよなら アメリカ』で芥川賞の候補になった経験を持ち、映画化もされた『大人ドロップ』などの著作で知られる異色の料理人兼小説家

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