国産の新車市場で、非常に存在感が薄いセダン。コレに喝を入れるべく、自動車ジャーナリストの塩見サトシがただちに復活すべき絶版セダン10台をセレクト!
■尻下がりセダンと、ハイソカーがツートップ
1位はレパード J.フェリーである。1980年に登場した初代レパードは日産が世に問うたラグジュアリークーペだ。セダンでもスポーツカーでもない大人のクルマとして一世を風靡(ふうび)するはずだった。
だが、ラグジュアリークーペという言葉がようやく世間に浸透しかけた頃、今も名車の誉れ高いトヨタ・ソアラが同じコンセプトで登場、たちまちお客も話題もごっそりかっさらった。
覚えている人はほとんどいないと思うが、初代レパードには4ドア版もあった。ソアラにはない特徴だったが、ほとんど見向きもされなかったため、2代目はしれっと2ドアのみで登場。
捲土重来(けんどじゅうらい)を期した2代目は直線基調の美しいデザインだったが、ソアラはもっとカッコよかった。加えてあちらは贅沢(ぜいたく)な3L直6ターボを搭載。
レパードは6気筒には自然吸気しかなかったため、動力性能でも凌駕(りょうが)される格好に。のちに3Lターボを追加するも、時すでに遅し。2世代続いて惨敗してしまったわけだ。
もう負けられない日産は92年、勝負を避けた(笑)。2ドアクーペから4ドアセダンへと変更し、車名も「レパード J.フェリー」と、ちょっと何を言っているのかわからない感じになった。
でもこれがよかった。ウェッジシェイプが全盛の当時のスタイリングにあって、尻下がりのシルエットは新鮮で、上品なのにセクシーだった。室内には高級なレザーとウッドがふんだんに使われ、スナックにあるようなモケットのソファを並べた応接間しか知らなかった日本人にモダンリビングを教えてくれた。
当時、日本の高級車は最高出力を自主規制値いっぱいの280馬力に引き上げて精いっぱいやっていますアピールをするのが王道だったが、J.フェリーは270馬力。10馬力少ないことで必死感がなくなり、かえって余裕を感じさせた。とにかく新しい価値観に挑戦したセダンで、最近のボルボあたりに通じる爽やかさがあった。
しかし、これが壊滅的に売れなかった! 何人かのインテリ評論家はホメたが、市場はまるで反応しなかった。J.フェリーの象徴だった尻下がりデザインが戦犯とされた。
日産はJ.フェリーと前後して同時期のブルーバードにも尻下がりデザインを採用したが......やはり売れず。2モデル連続で失敗した日産がこれ以降尻下がりデザインを採用することはなかった。
当時の日本人はまだまだ上限いっぱいの280馬力とか尻上がりのデザインといったわかりやすさを求める段階にあったのかもしれない。しかしあれから四半世紀が経過し、日本人の価値観も多様化した。ゴタゴタを乗り越えようとしている日産に必要なのは、新しい価値観とそれを象徴するデザインのはずだ。21世紀のJ.フェリーが見たい!
2位はマークⅡ3兄弟だ。もともとマークⅡはコロナマークⅡという車名だった。コロナの豪華版という位置づけ。84年のモデルチェンジでコロナの名が外れてマークⅡとなったが、84年といえば翌年にプラザ合意を控え、バブル景気の予感がびんびんに感じられた頃だ。
トヨタもその波に乗ってマークⅡ、チェイサー、クレスタと3モデルをラインナップし、販売店ごとに売り分けた。ハイソカーと呼ばれたように、世代を重ねるごとにどんどんハイパワーに、豪華になった。そして売れに売れた。3モデルで2万台以上売れる月もあったほど。
しかし3兄弟が行き着いた先にはトヨタの不可侵の聖域であるクラウンがあった。クラウンを突き上げるほど豪華になった3兄弟の居場所はもはやどこにもなかった。気づけばとっくにバブル景気も崩壊し「ハイソカー」は死語に。
ただ、適度に豪華で適度にパワフルなFRセダンというジャンルは今もなくなっていない。もう一度、メルセデス・ベンツCクラス、BMW3シリーズといったビッグネームにトヨタとして挑戦してもよいのではないか。クラウンがその役割を担っているのかもしれないが、どうあれマークⅡ3兄弟の名をなくしたのは惜しい!
3位はユーノス500。バブル景気に踊るマツダが今でいうプレミアムブランドとして新設した「ユーノス」の一台として販売した4ドアセダンだ。復活希望の理由は、なんといってもあの美しいスタイリングを再び見たいから。
まずフロントグリルはサイズこそ小ぶりだが、縁にクロームをあしらったデザインは上品そのもの。クロームとは「このくらいの量をこういうふうに使うのだ」とトヨタのアルファード/ヴェルファイアに教えたい。
フロントマスクから絶妙な曲線を描いてリアへ伸びるボンネットフードの下には、今では考えられないことだが、1.8Lや2LのV6エンジンが搭載された。当時、小排気量の6気筒エンジンは珍しくなかったのだ。最近のマツダはどれもカッコいいと評されるが、当時のマツダ、とりわけユーノスブランドから出たモデルも決して負けていない。
500のほかにキャブフォワードが斬新な2ドアクーペのMX-6や、ロー&ワイドボディで3ローターのロータリーエンジンを収めたコスモも、当時はユーノスブランドで売られた。
その後、バブル景気が弾けるとともにマツダのプレミアムになりたい構想も弾け飛び、マツダはその後しばらくフォードの小型車部門として地味に存続した。
だからマツダは近頃好調になっても軽々しくプレミアム云々(うんぬん)などとは言い出さない。けれど、ユーノス500についてはその姿をできるだけ忠実に再現してアクセラセダンとして販売したら面白いはずだ。それくらい時代に左右されない、絶対的に美しいセダンだった。
■ランエボ、ED、ローレルも復活せい!
4位は日産のセドリック/グロリア。永遠のライバルだったセド/グロを失い、クラウンは泣いているはずだ。セド/グロは常にクラウンを脅かす(けど勝てない)ライバルとして存在した。クラウンに先んじて4ドアハードトップを採用したり、日本初のターボエンジンを採用したりした。
だがどれもこれもしばらくするとクラウンも採用し、たいていクラウンのほうが売れた。あるときには大トルクに対応したCVTを採用したが、これはクラウンがついてこず、やはりクラウンのほうが売れた。
ただし冷静に振り返ってみればデザインはたいていセド/グロのほうが優れていた。4代目あたりからアメリカンな雰囲気をまとったデザインが続き、そのバタ臭さが魅力だった。ちょいワルなんて言葉が出てくるずっと前からセド/グロはちょいワルだったのだ。あぁ無性に懐かしい。
5位はランエボ! 例のゴツ顔(正式名称「ダイナミックシールド」)を各モデルに連発して話題の三菱だが、好調なら復活させてほしいのがランエボだ。Xを最後に生産中止となったが、バカみたいに速い2Lターボエンジンを搭載した4WDの4ドアセダンというのは、ランエボとスバル・インプレッサWRXが確立したジャンルだ。
ラリーと映画の影響で世界中の若者に憧れを抱かせておいてメーカーの都合でやめるのは勝手すぎる。セド/グロのいないクラウンが泣いているのと同様、ランエボのいないWRXも戸惑っているはず。ゴツ顔でもいいから復活すべし!
6位はカリーナEDである。時折、「メルセデス・ベンツCLSが4ドアクーペジャンルを確立......」なんていう記事を目にするが、ちゃんちゃらおかしい! 4ドアクーペはトヨタが今から34年前の85年にカリーナEDで打ち立てたコンセプトだ。
念のために書いておくが、EDとは「エキサイティング・ドレッシー」の略で、決して元気がないわけではない。外国メーカーがわが物顔で背の低い4ドアクーペを乱立させているのを見ると悔しい。トヨタさん、悔しくないんですか?
7位はトヨタのアバロンだ。アバロンはトヨタブランドの最大にして最上級のセダンとして北米市場を中心に販売。2代目アバロン(日本名プロナード)はコラムシフトを採用し、前後とも3人がけで乗車定員6名! なんだかそれがアメリカの豊かな家庭を想起させて憧れたなぁ。
8位はプリメーラ。901運動(90年代に世界一になろうという日産のスローガン)に基づき、世界一のハンドリングをもつFWDセダンを目指して開発されたのが初代プリメーラ。結果、プリメーラの走りっぷりは高い評価を受け、ワゴン版のアべニールと共に人気を博した。プリメーラを復活させ、同時に"走りの日産"も取り戻すべし。
9位もこれまた日産だ。一貫してスポーティなスカイラインとコンポーネンツを共用しつつ、こちらは歴代上品に仕立てられていたローレル。
日産最後の直列6気筒エンジン搭載のFRセダンにして、最後のローレルとなったのが写真の8代目ローレル。復活するならもちろん直6FRセダンとしてだ。
最後はホンダがシビックセダンをベースに小さな高級車を目指して開発したコンチェルト。クルマが重厚長大になっていくことへのアンチテーゼとして存在感を示していたのに絶版は残念すぎる!
てなわけで、自動車メーカーの皆さま、今回紹介した美しきセダンたち、マジで復活させてみませんか?
●びんびんセダン選考委員・塩見サトシ
関西学院大学を卒業後、山陽新聞社、自動車専門誌編集長などを経てフリーに。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
写真協力/トヨタ自動車 日産自動車 本田技研工業 マツダ 三菱自動車