今回のマシン「スーパーワーク」は原付1種扱いで、制限速度は時速30キロ。トレーラーを引いているときは時速25キロです

コンセントからの電気は一切使わず、太陽光発電だけで走り続ける「電動バイク0円旅」企画。ソーラーパネルやポータブルバッテリー、スマホ充電用ソーラーリュックなど必要な装備をそろえ、いよいよ出発だーっ!(ヤケクソ)

■最初の洗礼は大型バスの排ガス

前回までのあらすじ】

最近話題の電動バイクに、太陽光発電のソーラーパネルとポータブル電源を積み込んだら、燃料代0円でどこまでも走れるんじゃね?

そんな浅はかな発想から始まった本企画。京都・三条大橋から東京・日本橋まで、江戸時代に大名たちが必死で参勤交代の道を進んだ東海道五十三次(約500km)の完全制覇を目指し、まずはベースキャンプの兵庫・西宮(にしのみや)から京都へ向かって出発した。

ところが、走りだした直後にいきなりの雨。しかも3日間降り続くという。もちろん、その間は充電すらできない。いきなり停車である。

* * *

足止め自体は仕方ないが、ここで気づかされたのは、充電器やポータブル電源など電気器具が濡れてダメになることの恐怖。まずは富山県立山町のミトラ社へ依頼して、急遽(きゅうきよ)バイク用トレーラーを製作。その中にポータブル電源やソーラーパネル、カメラやパソコンなどを入れ、引きながら走れば防水はバッチリだ。

続いて、兵庫県神戸市のキタガワモーターサイクルズで電動バイクとトレーラーを連結し、安全のためにストップランプやテールランプをバイクと連動するようにしてもらう。雨対策と荷物スペースの確保、安全装備の追加が完了だ!

3日後の夜、予報どおりに雨は上がった。しばらく晴れが続きそうなこのタイミングで出発するしかない。

翌朝6時、電動バイクとトレーラーを積み込んだミニバンが京都・三条大橋へ到着(電池満タン状態でスタートダッシュを切るため、この手段をとった)。旅の開始地点は、京都っ子の待ち合わせスポット「土下座像」(髙山彦九郎像)だ。像の前で自分も土下座し、セルフタイマーで写真を撮って、いざ発車!!

江戸時代後期に尊王思想を説いて回った髙山彦九郎の像、通称「土下座像」

最初の宿場、滋賀県の「大津宿」跡までの距離は約10km。なんだ楽勝じゃん......と思ったが、いきなり延々と続く上り坂。これ、昔の人はマジで歩いたの? ヤバくない?

大型観光バスがブイブイと列を成し、バイクの横を通り過ぎる。盛大に生温かい排ガスを浴びせられ続けるのがたまらない。

ええい、こうなったら伝家の宝刀、パワーボタンを早くも押してやる!!

■快調に坂を上るには相応の代償が必要

今回の旅の相棒である業務用電動バイク「スーパーワーク」には、定格出力600Wのホイール一体型モーターが搭載されている。さらに、ここ一発のパワーが必要なときのために、右ハンドル部に「パワーボタン」を装備。これをひと押しすると、瞬間的に約1500Wのパワーを発揮し、まるでターボが効いたようにグンと出力がアップするのだ。楽しい!

ところが、調子に乗ってパワーボタンをグイグイ押しまくり、快調に坂を上り続けること約10分。ふとバッテリーインジケーターを見ると、目盛りが半分近くまで下がっている。ホワイジャパニーズピーポー?

考えてみれば当たり前の話だが、2倍以上のパワーを出すためには、2倍以上の速さで電気を消費する。満タンなら平地では40km以上走れるバッテリー容量でも、坂道なら半分の20kmちょい、パワーボタン乱用なら10km持つかどうか......という感じだ。今回のように走行距離を稼ぎたい旅では、パワーボタンは封印したほうがいいのかもしれない。無念......。

ようやく上り坂が落ち着いたところでアクセルを戻すと、バッテリーインジケーターの目盛りが少しプラス側に戻った。これからはもう少しデリケートにアクセルを開けるようにしよう。

ともあれ無事、最初の宿場である大津宿跡に到着。札ノ辻の高札や、明治天皇の行幸にも使われたという本陣跡の石碑は残っているが、「あれ、これだけ?」というくらい、宿場町の名残っぽいものが何もない。大津は天智天皇以来の由緒ある古都で、京都、奈良に次ぐ文化財の宝庫だから、宿場町程度の文化財は保存されなかったのか?

めちゃくちゃあっさりしていた滋賀・大津宿跡。かつては2軒の本陣(宿泊施設)があったという。右の石碑は明治天皇聖蹟

早々に先を急ぐ。次は約14km先の「草津宿」だ。

琵琶(びわ)湖畔を抜けても、延々と続く上り坂はまだ終わる気配すらない。というより、この先には旅の最初の難所である峠が待ち構えている。

その手前にある草津宿跡までは順調に到着。大津と違って「本陣」も残っており、宿場町の名残を生かした街づくりが行なわれているようだった。

■異様なマシンとパネルに好奇の目が注がれる......

観光客用の休息所で2枚のソーラーパネルを広げ、充電をスタートした。さっきはうっかりパワーボタンで電気をムダ遣いしたが、ここで2時間ほど充電すれば、平地なら10km分、坂道では5km分ほどの電気がたまるはずだ。

それにしても、人の目が気になる。電動バイク+トレーラーという異様な組み合わせだけでも十分目立つのに、畳2枚分のソーラーパネルをベロンと路上に広げているのだ。

宿場跡近くの休憩所でソーラーパネル2枚(畳2枚分)とソーラーリュックを地面に置き、充電。どう見ても怪しい

程なくして「なんだ、ありゃ!?」と、宿場町の男衆が次から次へと集まってきた。

「これ電動バイクなの?」

「へー、これで充電できるの」

「これで走れるならガソリンスタンドがつぶれるねぇ」

「何キロ出るんだろう」

「いくらするんだろ」

「さすが令和だねぇ?」

今、うっかり彼らとお近づきになってしまえば、数時間は暇つぶしの質問攻めに遭うに違いない。そっとその場を離れ、草津の地域キャラ「たび丸」キーホルダーを買い、草津市のマンホールカードを入手。さらに老舗のお土産屋さんで、おばちゃんに勧められるまま「まぼろしの味」と書かれた「元祖大根生姜飴」を買う。きっと誰もが知る草津名物なんだろう。

ところが、店を出て製造元を見ると、「埼玉県所沢市」。なんだそりゃ......。

宿場跡周辺でパネルを広げて充電するときは、その間に何かしらの土産物を買うことをマイルールとして設定

バイクの所に戻ると、男衆の姿は消えていた。今だ! 大急ぎでソーラーパネルを撤収し、アクセルをひねり、消音ボタンを押し、逃げるように走り去る。目指すは10km先の「石部(いしべ)宿」だ。

東海道を人々が歩いて旅していた頃、「京立ち、石部泊まり」といわれたように、石部は京都を出発して最初の宿泊地とされていた。その距離、約35km。平地ならまだしも、この上り坂を1日に35kmも歩くの? 昔の人ハンパない。

そんなことを考えながら石部への道を走るが、思った以上に坂の勾配がキツい。見る見るバイクのスピードが落ち、これはまずい!と慌てて禁断のパワーボタンを押す。

■野宿覚悟で前進するか、勇気ある後退か

そのとき、異変は起こった。いきなりモーターがストップし、「えっ?」と思う間もなくスピードがガクンと落ちた! バランスを崩し、転倒しそうになって冷や汗が出る。

「電気系トラブルか!?」

とっさに再起動の意味を込め、メインキーをいったんオフにし、再びオンにする。モーターは何もなかったかのように、再び駆動を始めた。

今回は事なきを得たが、これは重大事故にもつながりかねない深刻な問題だ。

原因はふた通り考えられる。(1)電気系のショートや接触不良が起きた。これは車体全部の配線をチェックしなければならないので、原因究明にかなり時間がかかる。

(2)バッテリー保護回路が働いた。リチウム系のバッテリーの場合、完全放電するとバッテリー性能に影響が出るため、一定電圧以下になると強制的に給電をストップする「シャットアウト回路」が作動したという可能性だ。

もう一度同じ状況を再現するべく、上り坂で失速しかかった状態でパワーボタンを押してみる。その瞬間、やはりモーターはストップした。やっぱり保護回路だ......。

スタートから5時間後の午前11時、走行距離約33km。早くも完全なガス欠......ならぬ電池切れとなった。路肩にバイクを寄せ、安全な避難場所を探し、ソーラーパネルを広げて充電を開始する。

石部宿までは、あとたった2kmほど。今から2時間充電すれば、十分に到着できる電気はたまるはずだ。

だが調べたところ、石部には泊まれるような場所はない。石部に着いて再び充電しようにも、フル充電の前に日が暮れ、路頭に迷ってしまう(フル充電には8時間かかる)。

電動バイク0円旅の意外な盲点がこれだ。結局、道端で4時間ほど充電し、来た道を8km泣く泣く戻って草津に泊まり、態勢を立て直すことにした。

本日の前進距離はわずか24kmほど。令和の科学、江戸時代の体力に完敗である。このペースは飛脚はおろか、普通の旅人の徒歩より遅いのだ。いつになったら東京までたどり着くんだ?

【第3回】滋賀・石部宿⇒三重・関宿「ダニニモマケズ、豪雨ニモマケズ」