刺されたらかゆくて我慢できないといわれる害虫が日本に侵入し、被害拡大中だ。だがその正体は、かつて国内にも普通にいたトコジラミ。それが今頃なぜ? 侵入生物研究の第一人者、国立環境研究所・五箇公一(ごか・こういち)先生に聞いた!
■日本から一掃されたはずの害虫が復活
──昨年のヒアリに続いて近頃、日本に恐ろしい害虫が侵入し、定着しつつあるそうですね。今、われわれが注意すべき"外タレ"は、どんな生き物なのでしょう?
五箇 それはズバリ、「トコジラミ」です。
──え、トコジラミ? 「南京虫」とも言われますよね。それって、日本にもいた害虫じゃないんですか?
五箇 そうです。ケジラミやノミといった害虫と同じで、かつての日本にはトコジラミも普通にいました。
特に戦後すぐの衛生状態が悪かった時代には問題になって、子供たちがDDTという殺虫剤を頭から吹きかけられている様子を、昔のニュース映像で見たことがある人もいるんじゃないでしょうか。
その後、日本の衛生状態が飛躍的に改善し、ピレスロイドという成分が含まれる殺虫剤が普及したことで、トコジラミはいったん人間の生活圏から一掃されました。
ところが、そうした殺虫剤が世界中で広く使われたことで、薬剤に対する抵抗性を身につけたニュータイプのトコジラミが現れました。彼らは殺虫成分を自分の体の中で分解できる能力を備えています。いわば「スーパー・トコジラミ」です。
この進化したトコジラミが、グローバル化によって日本にも入り込んでいます。その意味では"外タレ"といっても「リバイバル系」という感じですね。
──日本ではいつ頃から「トコジラミ・リバイバル」が始まったのでしょう? また彼らはどこから「再来日」したのですか?
五箇 正確にいつからかはわからないのですが、スーパー・トコジラミが現れたのが21世紀に入った頃なので、かれこれ20年ぐらい前になると考えられます。
その後、日本では都市を中心にジワジワと勢力を拡大していますが、宿泊施設で見つかっても、トコジラミ発生による風評被害を恐れて、これまでなかなかメディアで報じられてきませんでした。
ただし、役所に寄せられる相談件数や害虫駆除業者への駆除依頼件数を見ると急激に伸びているので、勢力を拡大していることは間違いないでしょう。つい最近も地方の老人介護施設でトコジラミが発生し、2週間にわたって閉鎖されるといった事態が起きたと聞いています。
では、スーパー・トコジラミはどこから持ち込まれたのか? その流入元は、今となってはハッキリ言ってわかりません。薬剤耐性を持ったトコジラミの拡大は、アジアだけでなくアメリカやヨーロッパでも起きていて、世界中の都市で大きな問題になっているからです。
つまり、スーパー・トコジラミは世界のどこからでも日本に入ってくる可能性があるし、逆に日本からの海外渡航者が流出元になったとしてもおかしくありません。
トコジラミは人間の衣服や荷物の中、靴の裏などにくっついて運ばれます。訪日外国人旅行者が増え国内への人の流入が増えるほど、当然、トコジラミが流入するリスクも大きくなります。
また、1年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックでは、さまざまな国の人が一気に日本にやって来るので、そのリスクはさらに増大しますし、トコジラミ以外の外来生物が持ち込まれる可能性だってあるでしょう。
──うわぁー、オリンピックに合わせてアスリートだけでなく、世界各国のトコジラミ代表が東京に集結か!?
■天敵のいない人間の住宅はパラダイス
──ところで、トコジラミってどんな虫で、具体的にどんな害があるのでしょう?
五箇 トコジラミはシラミの一種ではなく、昆虫の分類群としてはカメムシの仲間です。色は茶褐色で人の血を吸うと濃褐色になります。体長は幼虫で1mmから5mm、成虫で5mmから8mmほどです。
日中はベッドの下や洋服ダンスなどに隠れています。夜になると出てきて、人やペットの皮膚のやわらかい場所を刺します。その刺された場所はアレルギー反応を起こして、強烈なかゆみを引き起こします。
──そんなに?
五箇 僕は刺されたことがないのですが、聞くところによると「寝られないぐらいかゆい」らしいですね。なかには「ノイローゼになりそうなぐらいかゆい」とか、「死ぬほどかゆい」と表現する人もいますから、トコジラミに刺されたときのかゆさは「最強レベル」です。
しかも、すでに説明したようにスーパー・トコジラミは殺虫剤が効かないため、化学的な方法で駆除することが難しい。そのため、冷凍ガスを吹きかけてタマゴごと凍らせたり、トコジラミが生息する場所を丸ごと包んで高熱や二酸化炭素で駆除しなければならず面倒です。害虫駆除業者も非常に苦労されているようです。
──では、トコジラミはどんな環境を好むのでしょう? また今後、日本でどんどん増えるのでしょうか?
五箇 トコジラミはもともと温帯から亜熱帯に生息していて、野生では動物や鳥の体にくっついていることが多いです。ただし一度、人間の環境に入り込んでしまえば、住宅は空調によって一年中快適な温度に保たれているし、吸血性の彼らにとっての「食べ物」である人間やペットもいる。
また昔と違って、今の住宅は清潔ですからクモやゴキブリ、ムカデといった天敵がいません。アメリカでは、屋内のゴキブリが減ったことでトコジラミが増えたという見方もあります。それに天敵どころか、抗菌でカビすら生えないという生物多様性のない人間の住居は、トコジラミにとってパラダイスなのです。
しかもトコジラミのメスは毎日5、6個のタマゴを産み続けます。一個体が一生で200から500個の卵を産むといわれるので、どんどん増えてゆく。多ければ100匹ほどの集団で潜みます。
──うー、聞いてるだけで、かゆくなってきました。
五箇 刺されれば死ぬほどかゆいし、薬では駆除できないし、どんどん繁殖する......。人間の命に関わるような感染症を媒介するリスクが報告されていないのが唯一の救いです。
生物学者の僕がこんなことを言うのもなんですが、思わず「おまえら、生物多様性の一員でなくていいから、この世からいなくなればいいのに」と言いたくなるほど、凶悪で厄介な連中です。
──もし自宅にスーパー・トコジラミが出たら、どうすればいいのでしょう?
五箇 家庭用殺虫剤は効きませんし、家の中の1ヵ所で見つかればほかの場所にも潜んでいる可能性が高いですから、自力で完全に駆除するのは不可能だといえます。その場合、住んでいる地域の保健所に相談して専門の駆除業者に対応してもらいましょう。
マンションやアパートなどの集合住宅の場合、その一室でトコジラミが発見されたら、建物のあちこちに広がっていることも考えられます。そうなると、全部屋を駆除しなければならなくなります。
ホテルや旅館などの宿泊施設は定期的に清掃が入るのでまだ発見しやすいですが、最近増えていて外国人観光客も利用する「民泊」や「ネットカフェ」などは、トコジラミの温床となりそうで心配ですね。放置されると深刻です。
■人間はトコジラミにかなわない
──それにしても、これだけ科学が発達しているのに、スーパー・トコジラミを倒せる殺虫剤は開発されてないのでしょうか?
五箇 有効な薬剤がないわけではありません。ただ、そうした薬剤は使い方を間違えると、例えば野生のミツバチなどに悪い影響を与える可能性があるといわれていて、いわゆる生態系への影響の観点から最近ではなかなか使いにくいというのが実情です。
もちろん、スーパー・トコジラミの薬剤耐性のメカニズムを解析して、それに対抗できる新たな殺虫剤を開発する研究は行なわれています。
ただし、これも結局は急速に進化を続ける生物と人間とのイタチごっこで、仮に新たな殺虫剤が開発されても、彼らはまた遺伝子の変異によって新しい薬剤にも耐性を発達させ、たくましく生き残ろうとするでしょう。
私たち人間は周りの環境を変えることで快適な生活を手に入れましたが、生物としてほとんど進化していません。それに対して、トコジラミは自分たちの体のメカニズムを変えることで生き抜こうとしています。その意味で、人間は彼らにとてもかないません。常に負け続けているといえるのです。
──ウイルスや病原菌でも、抗生物質や薬が効かない「新種」がどんどん生まれていますよね。トコジラミが「スーパー・トコジラミ」に進化したように、ほかの害虫もニュータイプに進化する可能性はあるのでしょうか?
五箇 実はすでにトコジラミだけでなく、ケジラミにも殺虫剤で死なないタイプが生まれていて、これも厄介な問題になりそうなのです。
この先、ノミやダニ、あるいは蚊のような害虫が、薬剤耐性を身につける形で進化する可能性は高く、そうなれば、これまでのように殺虫剤を使った駆除はどんどんできなくなる。
トコジラミは刺されてかゆくなっても、感染症を媒介しないだけマシですが、一部の蚊やダニのように深刻な感染症を媒介する生物が、殺虫剤では死なないニュータイプへと進化したら、その影響はより深刻なものになります。
──蚊取り線香でも、キンチョールでも死なない蚊やダニ、ゴキブリが増えていくかもしれないって......想像しただけでも恐ろしいですね。
五箇 スーパー・トコジラミのような薬剤耐性を持つ生物が生まれる原因のひとつに、われわれ人間が「同じ殺虫剤」ばかりを使い続けたからという面が大きく影響しています。
殺虫剤や農薬にしても、有効なものが見つかるとそれが一気に広がってあっという間に寡占状態になります。そうした害虫駆除における多様性のなさが、彼らが自分の遺伝子を書き換えて、生き残るための抜け道になっているのです。
──ボクシングで、相手の顔を右ストレートばかりで狙っていたら、あっさり見破られて対戦相手を一向に攻略できない......みたいなことでしょうか?
五箇 まぁ、そんなイメージですね。顔だけじゃなくボディを狙ったり、ストレートだけじゃなくフックも使ったりすることで、相手も防御が難しくなるでしょう?
だから、生き物たちの驚くべきたくましさや多様性と戦うためには、効き方が違う薬を複数用意しておく、そして彼らが蔓延(まんえん)しにくい環境を整えるなど、人間の戦い方も多様性を持つ必要があります。
いずれにせよ、スーパー・トコジラミは相当に厄介な存在です。日本中に広がらないように、この先どう戦うかを本気で考えるフェーズに今あると思いますね。
●五箇公一(ごか・こういち)
国立環境研究所 生物・生態系環境研究センター 生態リスク評価・対策研究室室長