日本の芸人、タレントは、概して政治や社会に対する個人的見解を述べない。だからこそ、この人の存在は際立つ。大竹まこと。モノ申すタレントである。
コメディアン、俳優、コメンテーター、ラジオパーソナリティと多彩な活動をつづける大竹さんが、文筆家として『俺たちはどう生きるか』(集英社新書)を上梓した。タイトルからはベストセラー本『君たちはどう生きるか』のシニアヴァージョンを想像させるが、なかに込められているのは若い世代へのメッセージだ。古希(70歳)を迎えてなお理不尽なモノ、コトに吠えまくる大竹さんが、令和時代を担う世代に伝えたいこととは?
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――ラジオ番組(『大竹まことのゴールデンラジオ』)でシニア世代に12年間メッセージを送りつづけている大竹さんが、若い世代に向けた本を執筆されましたね。
大竹 そう、「君たちはこう生きろ!」ってかっこよく書きたかったんだけど、書いてる途中で気がついたんですよ。俺は若者に偉そうなことを言える人間じゃないなって。昔の俺が見た70歳の人は、世の中すべてわかったような顔をして生きていたから、70歳になった自分にも若者に送るメッセージやエールがあるはず。そう思って書き始めたら何もなかったという(笑)。で結局、「君たちはこう生きろ!」ではなく、「俺はこう生きてきたよ」ということぐらいしか書けなかった。
――大竹さんの生き方そのものがメッセージですよ。大学受験に失敗して「街のチンピラ」になり、パチンコに明け暮れ、転々とアルバイト先を変え、女の人に小遣いをもらうヒモになり......と赤裸々につづられたエピソードがせつなくて温かくて、「今」が辛い若者へのエールにもなっていると思います。
大竹 俺はプロの物書きじゃないから、立派な言葉を選んだり話をつくったりできない。自分のことを正直に書くしか手がなかったんだよね。本の中のたった1行でも、読んだ人の参考になればいいけど......ならないんじゃないかな~。70歳になってもわからないことだらけだし、知りたいことがまだまだたくさんあるし。自分の「今」だって充分せつないんだよ。そんなジジイの言葉だもの、メッセージにもエールにもならないと思う。こんな俺に、どうして執筆依頼がきたのが、そこがそもそもわからない(笑)。
――執筆を渋っていた大竹さんに編集者が何年もラブコールを送りつづけて完成した本、とうかがっています。
大竹 そう、Hさんという編集者に5年がかりで説得されたんですよ。何度断ってもまた口説きにくるし、しかも盆暮れにうまいものをくれる。俺の弱点を突いてくるわけ。それで、最後には書く気になりました。そのとき思ったのが、「人間は説得される生き物である」と(笑)。誠意をもって諦めずに口説かれると、「こんなわたしでよろしければ......」っていう気持ちに誰でもなるんだね。仮設住宅から出てこない老人たちだって、ぜったい出てくると信じて本気で何度も説得すればきっと出てくると思った。
――いまの説得の話は、人づき合いとか好きな人の口説き方にも通じそうですね。
大竹 そうなんだよ! モテる秘訣は優しさとマメなこと。時代がどう変わろうと、これは不変の法則だね。顔のいい人はたくさんいるし、お金を持っている人もたくさんいるけど、一番モテる男って、だいたい不細工なの。以前俺のマネージャーだった男も顔はたいしたことないし不器用だったけど、これがモテた。女の子だけじゃなく万人に優しくて、よく気がつくし、人のことが考えられる男だったんですよ。
以前テレビ番組で100人のホストに会ったんだけど、100人の中のナンバー1ホストは、顔がぜんぜんよくなかった。人気の秘密はやっぱり優しさなんだな。
――男たちよ、まず優しさとマメさを身につけろと。でも今の若者は人づきあいにおいて、自分が傷つくことをすごく恐れているように見えませんか?
大竹 見える、見える。ちっぽけな自意識を必死に守っているよね。だから好きな女の子ができても、嫌われるのを恐れて何もしない。自意識が強いと行動が鈍くなるのね。自意識を捨てちゃえば、守るものがないからどこへでも平気で出ていける。
コメディアンにとっても、一番邪魔なのは自意識。自分はモテるなんて思っていたら、ぜったいにコメディアンにはなれない。俺なんかゴミを食うのも土下座するのも全然平気。コメディアン志望じゃない人は、女の子の前でいっぱい恥をかいて自意識を捨てちゃえばいいの。
ホストに聞いたら、1日外で100人の女の子に声をかけると、100回フラれて101人目がやっとお店にきてくれるんだって。これだけでもう自意識ズタズタでしょ。普通の人はそこまでやらなくてもいいけど、多少の修行はしたほうがいい。遊びに行った先なんかで出会った子に声をかけて、一緒に歩けたら手を握ってみる。「何するのよ!」って手を払われたらそれで終わり。でも、何も言われなかったら肩を抱いてみる。それもOKなら「キスしても大丈夫かな」と。自分のタイプであろうがなかろうが、若いうちに普段から段階を踏んで修行することが大事なの。何度も失敗するうち、自意識がなくなって楽になる。そうしておかないと本当に大好きな人にフラれたとき、自分を全否定された気がして生きるのが辛くなるんだよ。
――「フラれる体験も大事」が大竹さんの持論ですよね。
大竹 そう、1回は大きな失恋をしたほうがいい。でもそれは今だから言えることで、ひどいフラれ方をするとなかなか立ち直れないよね。俺は2度ひどいフラれ方をして、危うくストーカーになるところだった。女の人って「別れる」と決めたらストーンとシャッターを下ろすんだよ。こっちはまだ盛り上がっているときに突然シャッターを下ろされると、いつまでもその女の残像が残るから痛手が大きい。
幸いなことに俺はストーカーにはならずにすんだし、学んだこともあった。自分自身があまりに辛かったので、俺は人とのつき合いで急にシャッターを下ろすことはしないようにしよう、と思った。フラれたり負けたりしないとわからないことってたくさんあるんだよね。一度もフラれたことのない男なんて、どんな人間になると思う? 勝ちつづける人生より、負けが多い人生のほうが、得るものはぜったいに大きい。俺もずいぶん痛い目にあってきたけど、みんないい経験だったと思う。
――人生を振り返ったとき、覚えているのはいいことばかり?
大竹 うん、いいことしか覚えていない。......あれ、でも変だな。俺、子供時代は小心だったし、若い頃はいやなことしか覚えていなかった。昔はいやなことがあるといつまでもグチグチ気に病んで、人を恨むようなタイプだったんだよ。悪い夢を見てうなされたもりしたな。いつからかわからないけど、俺は変わった。変われるんだね、人は。あっ、この話を本に書けばよかったな。これ、若い人へのメッセージになったのになぁ。
そうだ、「変わる」ということでひとつ思い出した。若い頃、「変わらなくちゃ」と強烈に思ったことがあってね。女に食わせてもらってる時代、金をもらおうとしたら女がオリンピックの1000円硬貨を4枚、俺の前に差し出した。昔の東京オリンピックの記念硬貨。そんなものを出すってことは、ほかにもう金がないってことだよ。彼女にとって最後のカネ。それを見たとたん、俺は自問した。「一生こうやって女からゼニを引っ張って生きるのか、お前は」って。
――おおっ、そこで生き方をガラッと変えた?
大竹 いや、急には変われなかった。そのオリンピック硬貨だって結局もらって、タバコなんか買ったしね。あれは20代の後半だった。もしあそこで気づかなければ、女から金をとる詐欺になっていた可能性もある。なんか俺、いつもギリギリのところで踏み止まってるけど、それは出会う人がみんな優しかったからかもしれない。
70歳になって思うのは、近道を歩かなくてよかったってことかな。負けつづけて、傷ついて、悩みながらふらふら遠回りしてきてよかった。
――ただ、大竹さんは多くのアルバイトをし、さまざまな場所を彷徨(さまよ)いながら、コメディアンとしての仕事はずっと続けてこられた。軸足は一貫してコメディーに置いていたのですね。
大竹 もともと「人に笑ってもらいたい」、「人を笑い死にさせたい」というところから始まっているからね。『TVタックル』で政治家の人と話すときも、評論家の人とは角度を変えて、コメディアンとして突っ込むようにしてる。本当は政治家や政策について、何かおかしいぞと思ったとき、笑いのオブラートに包んでもっと発言したいんだけど、その加減がむずかしい。オブラートが厚過ぎると聞いている人に伝わらないし、薄いとカットされてしまう。最近はメディアの自主規制が激しくなっているから、ますますむずかしくなるだろうね。
――「コメディアンとは時代と添い寝する者」と常々発言していますが、令和という時代とはどのように添い寝していきますか?
大竹 70歳になった今は、もう時代と添い寝する気はあまりない。あと10年も20年もこのまま仕事が続くわけがないし、時代とズレて「そろそろお前はいらない」という空気を感じたら、いつでもやめようと思ってる。もう、そんなに未練はない。
だけど裏腹に、この先活動できるのは1年か2年だとしたら、言いたいことを思い切り言ってやろう、とも思う。強烈なイタチの最後っ屁をかまして、「あのジジイ、やりやがったな!」と言われてみたいよね。
■大竹まこと(おおたけまこと) 1949年東京都生まれ。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。1979年、友人の斉木しげる、きたろうと『シティボーイズ』結成。不条理コントで東京のお笑いニューウェーブを牽引。現在、ラジオ『大竹まこと ゴールデンラジオ』、テレビ『ビートたけしのTVタックル』他に出演。著書に『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』等。