『始皇帝 中華統一の思想 『キングダム』で解く中国大陸の謎』(集英社新書)の著者、渡邉義浩氏

紀元前3世紀。中国の戦国時代を舞台に、大将軍を目指す主人公・信(しん)と、中華統一を夢としてかかげる嬴政(えいせい・のちの始皇帝)を描く漫画『キングダム』。単行本は現在までに55巻が刊行され、累計発行部数は4500万部を超える超人気作品だ(2019年8月現在)。

専門家はこの作品をどう見るか? 全巻を読破しているという愛読者で、始皇帝 中華統一の思想 『キングダム』で解く中国大陸の謎(集英社新書)の著者である、古代中国の思想が専門の早稲田大学理事、文学学術院教授の渡邉義浩氏に話を聞いた。

■王騎将軍が象徴しているもの

――最初からずばりお聞きしますが、古代中国の専門家から見た『キングダム』の魅力とは一体どこにあるのでしょうか?

渡邉 数千年にわたる中国史の中で大きな変革期がいくつかあるのですが、『キングダム』の舞台である春秋戦国時代はその第一期目に当たります。戦国時代の中国には七つの大国がひしめいていて、その国内には王以外の有力者が大勢いるのが普通でした。そんな状況から、王ひとりの下に権力が集中していく体制に変わっていく。もっともそれに成功したのが秦です。

難しい話だと思うかもしれませんが、『キングダム』読者にとっては簡単です。王騎将軍をイメージしてください。二代前の秦王に仕えた「六大将軍」の最後のひとりで、不思議な口調の、あの人です。彼は大きな城を持ち、領民を支配し、私兵を養っていました。独立性が高く、王に対しても独特の発言権がある。

嬴政(のちの始皇帝)の祖父の頃から秦に仕える、王騎将軍(原泰久『キングダム3巻』/集英社)

国内に大勢いる「王以外の有力者」とは王騎将軍のような人です。昔の秦には、ああいった独立性の高い将軍が他にもいたんですね。将軍だけでなく、王の弟や叔父といった王族たちも、それぞれ領地を持って自分の兵を養うのが一般的でした。

――独自の権力を持つ有力者が国内に大勢いて、その中で一番強い権力を持っていたのが王だった......ということですか?

渡邉 そうです。国内の有力者が結集したら王も敵わない。したがって、王も有力者に配慮した政治を行なわざるをえない、という状況でした。特に凄かったのが楚という国ですね。楚には1000人を超す王族がいたと思われます。

ところが、秦だけは一大政治改革を断行して、功績のない有力者の優遇をやめます。戦場で手柄を立てないと、王族であっても領地を召し上げられてしまう。功績のない将軍も同様です。そうして没収された領地は王のものになる。

つまり、国内の有力者のパワーを削いで、王ひとりが強い権力を持つような体制に変えていったのです。これを「氏族制社会の解体」といいます。

――秦では、功績のある人物しか広い領地を持てないようになっていた。王騎は多くの手柄を挙げていたから、昔の有力者のように大きな城に住んでいたんですね。

渡邉『キングダム』ではそのように描かれていますね。漫画を読むと、王騎以外であれほど大きな領地を持つ秦の将軍は登場しない。作者の原さんは、秦の社会体制を知っていてあのような描写をしたのだと思います。「古い世代」の象徴として王騎を描いたのでしょう。

対して、主人公の信は「新しい世代」の象徴です。彼は手柄を挙げて、百人将、三百人将、五百人将、千人将、五千人将......と、どんどん出世していきますよね。政治改革後の秦では、身分が低くても手柄を挙げれば出世できるようになっていたからです。

古い世代の将は独立性が高いですが、新しい世代の将は王に忠誠を誓います。戦場での働きを王に認められたために、現在の地位があるわけですからね。『キングダム』では、王賁(おうほん)や蒙恬(もうてん)といった信のライバルたちの活躍も出てきますが、彼らが手柄を挙げることは、王である嬴政のパワーが増すことを意味するわけです。

このような「氏族制社会」の解体を徹底して行なったのは、「戦国七雄」の中でも秦だけでした。結果的に、これが秦の中華統一の原動力になったのです。

――王騎は信にとって大きな目標となる人物ですが、新旧の世代の違いを示してもいたのですね。

渡邉 当時の歴史状況や制度を人物に象徴させ、物語を展開させる......『キングダム』はこうした描写が本当に巧みですよね。

ほかの例を挙げると、楊端和(ようたんわ)の描き方が面白いですね。歴史的には、秦は西の果ての異民族「西戎」(せいじゅう)を従えたことで大きく飛躍するのですが、『キングダム』では、文化も言葉も違う「山の民」と彼らを率いる楊端和に、西戎を象徴させています。

山の民はチベット系の人々でしょう。チベット族には楊という苗字が多いんです。漫画では彼らの型破りな強さが描かれていますが、その秘訣はスタミナにあったのではないかと思います。数千メートル級の山で暮らしているから、普段から高地トレーニングをしているようなもので、酸素供給力が高かったんでしょうね。

ちなみに、降伏させた異民族は、自軍に組み入れるのが通例でした。『キングダム』でも、趙の舜水樹(しゅんすいじゅ)という人物はそのような存在と示唆されていますし、楚の媧燐(かりん)は象を操る異民族を従えていましたよね。強力な異民族を「ジョーカー」として使える国はとても有利だったといえます。

趙の舜水樹(しゅんすいじゅ)は、異民族の言語も操る人物として描かれている(原泰久『キングダム49巻』/集英社)
■「異常な国・中国」の原点には秦がある

渡邉 『キングダム』が興味深い理由がもうひとつあります。秦の視点から語られていることです。

僕らのような現代の研究者が読むこの時代を描いた歴史書は、多くが漢の時代に書かれたものです。司馬遷の『史記』、あるいは『漢書』が代表的ですね。漢は秦を滅ぼしてできた国なので、秦についてはどうしても否定的な目線になってしまう。「暴秦」「乱秦」、始皇帝については焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)を行なった暴君だとね。

しかし、『キングダム』はそれとは真逆の視点、秦の側から見た春秋戦国時代を描いています。視点が180度変わることで、秦という国家の成り立ちや、始皇帝の成し遂げたことのすごさがビビッドに伝わる。

――なぜそれが重要なのですか。

渡邉 世界史を思い返してください。人類史上、中国大陸ほど何回も統一されたエリアはほかに存在しません。ヨーロッパでは、ローマ帝国が分裂し滅んだ後、これに匹敵する大帝国は二度と生まれませんでした。インドも同じです。紀元前にインド半島の大部分を統一したマウリヤ朝も、アショーカ王の死後に分裂し、インドに中央集権型の統一国家が生まれることは現代までありませんでした。

一方の中国では、魏晋南北朝の370年、五代十国の54年を除けば、基本的に2200年前から統一が繰り返されてきました。世界中で中国だけ、中央集権型の統一帝国が生まれ続けるという異例で異常な場所になったのはなぜなのか。

――たしかに、中国史に出てくる統一国家の領土はどれも広すぎますね。この規模の国が何回も成立したエリアは、ちょっと他に思いつきません。

渡邉 ヨーロッパの国々は、キリスト教という価値を基本的には共有していますが、言語やアルファベットの体系はそれぞれ異なっていて、文化や国民性にもかなりの幅があります。

中国大陸でも同様の状態がありえたはずです。儒教的価値観を共有しながら、それぞれ別の言語と漢字の体系を持った、文化の異なる複数の国が並び立っている......『キングダム』の舞台のような、七つの国が存在する形を想像してください。なにせあれだけ広い場所なのですから、一人の皇帝が全土を一律で支配するのは困難を極める。

しかし、中国では複数の国に分裂している状態が長続きせず、何度も統一帝国が生まれた。その答えは秦にある、というのが新書『始皇帝 中華統一の思想』で強調したかったことです。

始皇帝の地方支配や、官僚制、文書行政、文字や貨幣の統一......こういった秦の政策が、秦を滅ぼした漢でも踏襲され、洗練の末に歴代の中華帝国にも受け継がれた。それゆえ中国は何度も統一されたのです。

――漢の時代、秦は否定的な存在だったという話でしたが。

渡邉 そうです。しかし、実は漢の統治のベースは秦にあるんです。実際、のちに漢の宰相になった蕭何(しょうか)という人物は、秦を滅ぼしたとき、焼け落ちる秦の都(咸陽)から「あるモノ」を持ち出しています。法律文書と戸籍です。これらを元に制度を整えて、漢帝国は400年にわたって栄えた。でも、彼らは秦を真似ましたとは言いたくない。だから、秦を描くときは悪逆非道な連中だったという書き方になるわけです。

――なるほど、それで秦の側から見た歴史が重要になってくるのですね。秦の功績を知ることは、中国の歴史を正しく把握することにつながるのだと。

渡邉 中国史だけでなく、現代の中国を知るうえでも重要なことだと思います。

たとえば、中国はすべての権限を掌握する皇帝によって統一されてなければならない――このような考え方を「大一統」といいますが、これも秦の統治をもとに漢の時代に整えられた思想です。今の中国が、チベットやウィグル、あるいは香港のデモにあれほど強硬な対応をする根底には、明らかにこの大一統の思想がある。

――漢の時代に整えられたものが、現在の中国にも影響を及ぼしていると。

渡邉 私は、漢の時代に中国の「国のモデル」が完成したと考えます。それを「古典中国」と呼んでいる。ヨーロッパの人々は、ギリシャやローマを古典古代と呼びますね。民主主義の危機が叫ばれると、知識人は当時の民主制を参照しようとするでしょう。それと同様に、中国人にとって参照すべき存在が漢代の「古典中国」なんです。

古典中国の特徴は「大一統」「華夷秩序」「天子」です。詳しく知りたい方はぜひ本を読んでいただきたいのですが、重要なのは、このモデルが「皇帝による専制的な中央集権国家」であることです。

このモデルを参照し続けたために、中国では繰り返し巨大な統一帝国が誕生してきた。そして、現代でさえ14億人をひとりの「皇帝」が支配するという凄まじい状態にあるのも、中国大陸の人々にとっての古典に民主制がないからです。

中国が今後も皇帝による専制体制を参照し続けるかは議論の分かれるところだと思いますが、いずれにせよ、中国は日本とまったく別の原理で成り立っている国だといえます。漢字を使っていて、見た目も似ているから、日本人はつい同類の仲間だと思ってしまいがちですけどね。だから、中華帝国の原点である秦を知ることは重要なんです。


『始皇帝 中華統一の思想 『キングダム』で解く中国大陸の謎』(集英社新書 定価864円 208ページ)
現代中国の力の源泉――それは、14億という膨大な人口にある。では、なぜこれほどの人が暮らす広大な領土を、中国の歴代王朝は繰り返し統一、支配することができたのか? これほど何度も再統一されたエリアは、人類史上、中国大陸以外に存在しない。答えは初の統一帝国・秦にある。秦が採用した「法家」の思想と、統治のノウハウが現代まで引き継がれたために、中国でのみ繰り返し統一帝国が生まれたのだ。
では、法家とはどのような思想なのか。漫画『キングダム』では、「法家支配の秦」が見事に描かれている。本書では、25点もの『キングダム』のコマを引用し、作品に通底するものを解説。そして始皇帝の統治が現代中国まで強く影響を及ぼしていることを示す。

渡邉義浩(わたなべ・よしひろ)
1962年、東京都生まれ。筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程修了。文学博士。
現在、早稲田大学理事、文学学術院教授。大隈記念早稲田佐賀学園理事長。三国志学会事務局長。専門は古代中国思想史。『春秋戦国』 (歴史新書)、『三国志 演義から正史、そして史実へ』『漢帝国』(中公新書)、『人事の三国志 変革期の人脈・人材登用・立身出世』 (朝日選書)、『カラー版 史実としての三国志』 (宝島社新書)、『三国志事典』(大修館書店)、『三国志演義事典』(仙石知子との共著、大修館書店)など著書多数