「(本を出版したら)全国の光秀の子孫から『勇気をもらった』との声が上がったのです」と語る明智憲三郎氏 「(本を出版したら)全国の光秀の子孫から『勇気をもらった』との声が上がったのです」と語る明智憲三郎氏

NHK大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』の放送が1月19日に始まった。主人公は、本能寺の変(1582年)で主君・織田信長を討った明智光秀。

一般的には、天下統一間近となっていた信長に恨みを抱き、突然謀反(むほん)を起こした人物として知られている。光秀のことを、悪人と認識している人も多いのではないだろうか。

光秀が本能寺の変を起こした理由には、前述の「信長を恨んで殺した説」のほか、さまざまな説が唱えられている。

挙げればきりがないが、その黒幕だけでも豊臣秀吉、足利義昭(よしあき)将軍、時の朝廷が挙がるほか、「天下を取りたいという野望に光秀が取りつかれた」「信長によるプレッシャーで光秀がノイローゼになって起こした」など、一定の説得力を持つモノから荒唐無稽(こうとうむけい)な奇説までバラエティ豊かだ。

そんな光秀の研究において、近年最も注目を浴びているのが、光秀の末裔(まつえい)である明智憲三郎(あけち・けんざぶろう)氏による説である。光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫とされる憲三郎氏は、独自の歴史研究を経て2009年に『本能寺の変 四二七年目の真実』(プレジデント社)を出版。

以降も光秀や信長、さらに光秀の末裔にまつわる著作を発表し続け、累計で200万部を売り上げている。光秀の子孫が光秀の真の姿を明らかにする──。そんな数奇な運命をたどる憲三郎氏が独自研究を始めるに至るまで、そしてその末につかんだ本能寺の変の真相について聞いた。

■「信長を恨んで殺したなら光秀は愚かすぎる」

──そもそも明智さんが自分を「光秀の子孫だ」と認識したのはいつですか?

明智 子供の頃に祖父から聞かされました。私の祖先は光秀の側室の子で、山城国(やましろのくに/京都府南部)の神社にかくまわれて神官の子として育てられました。それ以来、身を隠すために姓を「明田(あけた)」に変えてひっそりと暮らしてきたそうです。

そして明治14年(1881年)、私の曽祖父が系図などの証拠の品を添えて明智姓への復姓を願い出て許可されたと聞いています。

──ちょっと前まで名字を変えて、光秀の子孫であることを隠してきたんですね。

明智 日本一有名な"謀反人"の子孫ですからね。素性を隠してひっそりと暮らしてきたのでしょう。今でも、光秀の子孫だけどその事実を伏せている方は多々いると聞きます。ただ、当時の私はまだ5、6歳くらいでしたので、自分が光秀の子孫であると聞いても特に何かを感じることはありませんでした。

──でも、学校で光秀について習う日が来ますよね。

明智 天下統一に邁進(まいしん)していた信長に反旗を翻し、その後秀吉に討たれてしまう人物と習うわけですよね。「裏切り者の子孫」なんてからかわれることもあったので、光秀の話題には極力触れないようにしていました。

──そんな幼少期を過ごした明智さんが、なぜ光秀の研究を始めたのでしょうか?

明智 20歳のときに読んだ本が大きなきっかけになりました。そこには、「従来の本能寺の変の定説は、江戸時代に書かれた軍記物がもとになっている」と書いてあったのです。

軍記物とは、簡単に言えば面白おかしく創作された作り話で、今でいう小説のようなもの。つまり光秀が信長を恨んで殺した、というような従来の説はただの創作話だとわかったのです。

現在に伝わる光秀の定説は、そのほとんどが江戸時代に書かれた軍記物、さらにもとをたどれば秀吉が家臣に書かせた『惟任(これとう)退治記』という本に端を発します。惟任とは光秀が朝廷から賜った姓のこと。

つまり、惟任=光秀を退治した豊臣秀吉の活躍を記した書です。歴史は勝者がつくるといわれているとおり、秀吉をたたえるために明智光秀を悪者として扱っているのです。このような本に、信憑(しんぴょう)性があるわけないですよね。

私は長年、なぜご先祖様は上司にちょっといじめられたくらいでクーデターを起こしたのか疑問を持っていました。失敗すれば一族が滅亡するリスクがあるわけですから、そんな動機で謀反を起こすのは愚かすぎます。

ところが、そもそもそれがただの創作だとわかった。ならば、なぜ明智光秀は本能寺の変を起こしたのか? その真実が知りたい一心で、これまでずっと避けていた光秀に関する歴史研究書を読むようになりました。しかし、残念ながらどの歴史本も、結局は創作物である軍記物を参考にして書いてあるものばかりでして......。

だからこそ、自分が歴史の真実を突き止めようと思い、会社勤めの傍ら、50代半ばで独自に研究を始めました。

会社勤めの傍ら研究に着手した当初は、休日を使って地道に史料を読んでいったという 会社勤めの傍ら研究に着手した当初は、休日を使って地道に史料を読んでいったという

■本能寺の変の真相は信長の唐入り阻止だった

──本来は歴史研究の専門家がするようなことを、会社勤めと並行して進めるのはかなり大変そうですね。

明智 そうですね。ただ、会社勤めしていたからこそ、これまでにない真説にたどり着けたともいえます。

すでに光秀や本能寺の変には定説のようなものが存在していましたから、歴史研究者が時間と労力をかけても新たな発見があるとは限らないわけです。新たな発見をしたとしても、先人たちの説を否定するようなまねはしづらいという面もあるでしょう。

そういう意味では、私が光秀に対して並々ならぬ関心があり、しかも会社勤めもしていた在野の研究者だったからこそ、お金や時間、通説を気にすることなく研究に力を注げたのです。

──どのように研究に取りかかったのですか?

明智 従来の歴史研究家とは異なる手法で、真実の検証を進めました。軍記物のような創作ではなく、信憑性のある史料から事実を洗い出し、根底から本能寺の変についての研究をやり直したのです。

そして事実を基に集めた証拠のすべてとつじつまが合う答えを出しました。このアプローチには、長年システム情報畑で働いてきたサラリーマン経験が生きましたね。

──明智さんが突き止めた事実とは、例えばなんですか?

明智 光秀が本能寺の変を起こす前に詠(よ)んだという有名な句があります。「時は今 あめが下しる 五月かな」という句で、これは「時=土岐(とき)氏(明智家も含まれる名家のこと)が天下(天はあめと読める)を取る」という決意を歌ったものだといわれています。

ところが、私の研究によって、この句は秀吉に改竄(かいざん)されたものだと判明しました。正しくは「時は今 あめが下る 五月かな」。正しく解釈すれば「土岐氏は今、この降り注ぐ五月雨に叩かれているような苦境にいる(この状況を脱したい)」となります。

この句は天下取りへの野望などではなく、一族の苦境を救いたいという願望の表れなのです。

──とはいえ、信長が光秀をいじめていたから恨みを買った、というのは事実なんですよね?

明智 いえ、それも「光秀が信長を恨んで殺した」という説を補強するために軍記物がつくり出した創作です。むしろ光秀は織田家の中で異例の出世をし続けていますし、信長は事あるごとに光秀を称賛したという史料が残っています。従来の定説となっているものの多くは、そうやって後からつけ加えた創作話であふれているのです。

──そういった創作ではない"事実"をひとつひとつ積み重ねていったわけですね。ではズバリ聞きます。なぜ光秀は信長を討ったのでしょうか?

明智 自らの一族、そして土岐氏を救いたいという思いからです。実は、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが「(信長は天下統一後に)明(みん/現在の中国にあたる)を武力制圧して日本は息子たちに分け与える」という構想を持っていたことを書き記しています。

そうなると、光秀をはじめとした家臣たちは、現在の領地を取り上げられ、異国の地に送られてしまいます。後年、秀吉の唐(から)入り(朝鮮出兵)が失敗したことからもわかるとおり、異国の地での戦や生活は、一族を滅亡させかねないほどの危険をはらんでいますよね。

ようやく天下統一が近づき、一族も安寧を手に入れられると思っていた光秀は、自らの死後も一族が無事に過ごすためには、信長を止めなくてはいけないと決意した。信長への怨恨(えんこん)などではなく、一族を救うための謀反だったのです。

さらにその裏には、同じ土岐氏の流れをくむ長宗我部(ちょうそかべ)氏との意外な関係や、協力者としての徳川家康の存在があるのですが......。ここではとても伝えきれないので、詳しくは拙著をご覧ください。

──出版後、周囲からの反響はいかがですか?

明智 明智の末裔である人々からは「勇気をもらった」などの、うれしい言葉をいただきました。なかには、「これまで光秀の末裔だということは黙っていたが、あなたを知ってどうしても連絡を取りたくなった」と言ってくださった方もいます。

──今年のNHK大河ドラマの主役は、明智光秀です。光秀の子孫としては非常に感慨深いのではないでしょうか。

明智 光秀が脚光を浴びるようになったのは喜ばしいことです。ただ、残念ながら『麒麟がくる』については、歴史的事実よりもやはり面白さを重視したものになると踏んでいます。特に制作サイドから取材などの連絡もありませんでしたし。

どういうお話になるにせよ、視聴者の方にはあくまでも創作話として楽しんでもらえるといいですね。私としては、冒頭に「この物語はフィクションです」と入れてほしいですが(笑)。

●明智憲三郎(あけち・けんざぶろう)
明智残党狩りの手を逃れた光秀の子・於寉丸の子孫と伝わる。大手電機メーカーに勤務しながら、50代半ばで明智光秀の研究を始め、精力的に執筆活動を展開している

■『明智家の末裔たち本能寺からはじまった闘いの記憶』(河出書房新社)
数奇な運命をたどった明智家400年の歴史を描く新刊

■『完全版 本能寺の変 431年目の真実』(河出書房新社)
これまでの定説で意図的に隠されていた、本能寺の変の真相に迫る一冊