「悔しい」と語った店長の一山文明さん
「大家に店の鍵を返しに行ってきたよ。コロナだからしょうがないけど、悔しいね」

東京・神保町の大衆居酒屋「酔の助(よのすけ)神保町本店」が5月28日に閉店した。その日、店長の一山文明(66歳)は"最後の仕事"を終え、寂しげにそう呟いた――。

1979年8月、「酔の助」は神保町の裏路地に開店した。当時、一山は26歳。革製品のセールスマンだったが、親交のあった「酔の助」の創業者から声を掛けられ、「昼は革ジャンやベルトを売り、夜はバイトで皿洗い」という二足のわらじで、店を手伝うことになった。

バブルを追い風に「酔の助」は繁盛した。開店から2年半後、飯田橋に2号店をオープンすると、一山は昼間の仕事を辞め、飯田橋店の店長になった。「その頃はほぼ休みなく、月350時間は働いたね。風呂に入る暇もなく、入浴はサウナで週一回だけ。きつかったけど、店で働いているのが楽しかった」。

40年にわたり愛された「酔の助 神保町店」

だが、店長になって12年、バブルが弾けて店は傾き、閉店を迎える。当時40歳だった一山は神保町本店に舞い戻り、店長を任された。その後、2004年頃に"転機"が来る。

BS‐TBSのロケ番組『吉田類の酒場放浪記』で店が取り上げられると、立て続けに携帯電話「ボーダフォン」のCMのロケ地に使われた。「CMキャラクターは俳優の成宮(寛貴)君とベッキーちゃん(笑)。店で撮影したのは成宮君だけだったけどね」。

CMの"宣伝効果"は抜群だった。放映が始まると全国から客が訪れ、ドラマや映画、CM、バラエティ番組の再現ブイまで、撮影依頼が続々と舞い込むようになる。これまでロケに使われた作品は「去年が50本で、一昨年が45本だから、軽く数百はいくね」。その中にはドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』や、映画『舟を編む』『火花』など話題作も多い。

セットでは生み出せない昭和風情を残した店の雰囲気と、近隣にロケ車を停める駐車場が豊富な点、さらには一山の"キャラ"が映画やテレビの関係者から重宝された理由だ。

「撮影依頼は断ったことがない。朝、昼、夜、営業中でもいいよって、依頼があれば二つ返事。制作スタッフからしたら撮影日の確保が難しい中、貴重な店だったと思う」

ただ、営業前に撮影をやる場合は早朝でも一山が早出をして付きそった。営業中なら客は喜ぶが、店にとっては本業に支障が出かねない。「2年前にはNHKの『となりのシムラ』で志村けんさんの撮影を満席時にやった。店から出るシーンだけだったけど、スタッフさんが『お客にバレちゃまずい!』と言うんで隠すのが大変でね。志村さんには撮影が始まるまでずっと、レジの裏に隠れてもらってたの」。

額は明かせないが、「撮影協力費なんて大したもんじゃない」。それでも一山が協力を惜しまなかったのは、「僕は無類のテレビ好き」だから。「放映中のドラマはぜんぶ録画する。それをまとめて視るのが休日の楽しみだった」。

生で見る役者やタレントは画面越しに見るより輝いてみえた。

「真っ先に思い出すのは加藤剛さん。ガンで亡くなる数年前、映画『舟を編む』の撮影で店に来たの。休憩中、オダギリ(ジョー)さんや(松田)龍平ちゃんは座敷で寝そべりながら談笑したりしてたんだけど、加藤さんはマネージャーに付き添われながら、ずっと椅子に座ってた。歩く時も腰が曲がってね、とにかくしんどそうだった。でもカメラの前に立つと、腰はピンと伸び、顔に生気が戻るのがありありと分かるの。すげぇな!って思ったよ」

数々の映画やドラマのロケ地としても愛され続けてきた「酔の助」

撮影協力店としての"役得"も多かった。休憩中に店の喫煙スペースで寺島進さんや窪田正孝さんら一流の役者と「バカ話で盛り上がったり」、「女優のなかでも群を抜いて美人だった!」という新垣結衣さんを間近に見たり、役者が持参する差し入れをお裾分けしてもらえることも多かった。「キムタクの高級カステラと板尾創路さんの京の和菓子は絶品にうまかったなぁ。前田敦子さんが持ってきてくれたバナナには"ぬくもり"を感じたよ」。

撮影中に役者が座ったイスは、作品公開後には店の名物となった。

「『逃げ恥』のときの星野源ちゃんは凄かったね。『彼が座った席はどこですか?』って、全国から若い女性が来店した。林遣都クンは主演映画『火花』がNetfixで海外配信された影響か、中国人ファンが多くて、中にはオーストラリアから来たって女性もいたな。店を調べてわざわざ遠方から来るんだから、ここにいると役者のコアなファン層ってのが嫌でも見えてくるの。その点でいえば、ドラマ『BG~身辺警護人』の放映後、キムタク目当てに店に来たのが50代くらいの熟年女性ばかりだった、ってのは意外だったけどね」

「酔の助」は映画やドラマのファンだけでなく、店を開ければ、近隣のサラリーマンや学生ですぐに席が埋まる人気店だった。

「営業中は客席をウロウロしながら、ああでもない、こうでもないって、酔客を相手にするのが楽しくて、毎日が幸せだった」。だが、「コロナに楽しみを奪われちゃった......」。

もともと、店の"平時"の売上げは月平均1400万円程度、一日平均だと50万円近くあった。コロナの感染が拡大した3月は月の売上げが500万円減ったものの、「家賃120万円を払ってもまだ利益は残るから、上と『なんとかなんじゃないの?』って話をしていた」。

だが、4月に入ると「ゴン!と来た」。4月1日の売上げは3万円、翌日も3万円。「なんじゃこりゃ!と叫んでしまうほどがた落ちした」。5日の日曜、運営会社の経営陣とのやりとりで初めて「閉店」の話題が挙がり、「どうする?」と問われた一山は、「従業員の生活もある。とりあえず、明日の売上げを見て」と進言する。

経営陣は『酔の助』の功労者、一山の意見を最後まで尊重する姿勢を見せてくれたが、蓋を開けてみれば、その日の客数はたった2人、売上げは2600円まで落ち込んだ。

「このまま営業を続けようにも、コロナの影響で店は一時休業しなきゃならない。その後、営業を再開できても、従業員を食わすだけの売上げが立つかどうか...」。売上げ2600円という残酷な数字を突き付けられた夜、再度、経営陣から「どうする?」と問われた一山はこう答えるしかなかった――「ダメだ、もう諦めるしかない......」

「タクシー会社で全社員が解雇されたってニュースが話題だったけど、あぁ、俺も同じことやってんなって。ウチの場合は建物の老朽化の影響もあったんだけど、従業員の生活を守ってやれなかったのが悔しいし、まだまだ、あの店にいたかった」

店の入り口には一山さんによる手書きのメッセージが張り出されていた

神保町の盛り場として、またロケの聖地としても長年愛され続けた『酔の助』は、静かにその幕を下ろした。現在は「プー太郎。自粛生活中」という一山だが、今後は......?

「『店をやらないか?』って話も来たけど、今はまだまだ...。もう66歳だから無理はできないけど、コロナが終息したら、もしかするとまたどっかでやるかもね」

アフターコロナに『酔の助』復活!の日が訪れるかもしれない。