ブダペストのソ連時代の像の墓場にあるレーニンと一緒に「ヘイ! タクシー!」
『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。今回は、"世界一安泰なレーニン像"について語る。

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数年前のこのコラムで、ソ連時代のモニュメントが展示されているブダペスト(ハンガリー)の屋外博物館について語りました。ソ連崩壊に伴って巨大なレーニンやスターリンの像のほとんどが破壊されたなか、ブダペストではその一部を集め、ノスタルジーと皮肉を込めて街の片隅の小さな公園にぎゅうぎゅう詰めに飾り、ちょっと間抜けなソ連オールスターズをつくりました。

破壊を免れたソ連の像はほかにもありますが、最近、気になるレーニン像の生き残りがいることを知りました。一生民衆に破壊されないであろう、"世界一安泰なレーニン像"です。

場所は南極大陸のど真ん中。正式には、到達不能極と呼ばれる陸上で最も海から遠い点で、南極点よりも標高が高く、もっと寒くてたどり着くのが困難な場所。

1958年にソ連の科学者たちが初めて到達しましたが、平均気温が氷点下約60℃で地面の氷が20㎞以上の深さがあったため、予定していた研究所の設立を中止し、12日間で撤退しました。そのとき残したのが、レーニンの胸像。建物の煙突の上に設置し、モスクワの方角に向かせて、堂々たる姿で放置しました。

当時の写真を見ると、その胸像は、ザ!という雰囲気の定番型のレーニン。眉をしかめて口に力を入れた量産型レーニンだけど、威厳にあふれる表情で真っ白な世界を見つめる姿が様になってます。

しばらくひとりで南極を見守っていたレーニン像ですが、65年にアメリカのチームが訪れ、レーニンの向く方向をモスクワからワシントンに回転させます。その事実を知ったソ連はすぐ直しますが、このいたずらっ子魂満載な冷戦時代の1ページを最後に、南極レーニンは再び孤独な日々を過ごします。

次に人が訪れたのは2007年。イギリスの冒険家が見つけたそうです。雪や氷で埋もれて見えなかったり破損しているのかと思いきや、そこにはしぶとく耐えるレーニンの姿が。

建物と煙突の一部は埋もれてたので、もともと地上から約9mの位置にあった像が180㎝の高さになってたそう。触って見ると、プラスチック製だとわかり、あまりの軽さに持って帰ろうかと思いつつも、帽子とゴーグルを装着してあげて、そのまま置いてきたそうです。

あれから15年近く雪は降り続け、レーニンは南極でひとりでゆっくり埋もれていってます。調べた限り、最新の訪問者は19年の12月。この冒険家の写真を見ると、レーニンは地上60㎝ほどのところまできてます。

あのしかめっ面が、人知れずゆっくり消えていく運命を受け止めているように見えて、どこか詩的な魅力があります。「氷が迫ってくるけど、俺は怯(ひる)まない。かかってこい」とでも言ってるような表情で、たくましい。

消える前に歴史品として救出するという手もあるかもしれませんが、私は断固反対です。民衆の手で破壊されることはなくても、文明から隔離されて闇の内に消滅していくのが大がかりな現代アートのようでたまりません。

今はいったいどうなっているのか。完全に埋もれる前に、ツルツルの頭のてっぺんだけのぞいているシュールな状態をひと目見たいです。これを読んでいる冒険家さん、ぜひ。

●市川紗椰(いちかわ・さや)
1987年2月14日生まれ。愛知県名古屋市出身、米デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。モデルとして活動するほか、テレビやラジオにも出演。著書『鉄道について話した。』が好評発売中。ソ連の指導者たちの像が大量に眠っている、クリミアの海中博物館のレーニン像を見るためにダイビングを習いたい。公式Instagram【@sayaichikawa.official】

『市川紗椰のライクの森』は毎週金曜日更新!