「20年間も古代中国を研究しているのに『秦の始皇帝は朝何時に起きたのか』『屋内で靴は脱いでいたのか』といったことがまったくわからないところからのスタートでした」と語る柿沼陽平氏 「20年間も古代中国を研究しているのに『秦の始皇帝は朝何時に起きたのか』『屋内で靴は脱いでいたのか』といったことがまったくわからないところからのスタートでした」と語る柿沼陽平氏

『三国志』『キングダム』『項羽と劉邦』など、さまざまな創作物を通じて、われわれ現代日本人にもなじみ深い古代中国の世界。

しかし、その時代に生きていた庶民たちが何時に起き、何を食べ、どのように恋をして結婚したのかなど、意外と知られていないものだ。

そんな疑問に答え、今ちまたで話題を呼んでいるのが、気鋭の中国史家である柿沼陽平氏が上梓(じょうし)した『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』だ。

著者自身が古代中国の王都にタイムスリップし、そこで朝から晩まで24時間を過ごし、見たもの聞こえたもの感じたものを詳細につづる......という斬新かつユーモラスな一冊だ。

* * *

――古代中国の暮らしを24時間で紹介する、という構造が秀逸でした。出版の経緯は?

柿沼 私はもともと中国古代の貨幣史を研究していました。その背後には、私たちの人生を左右するお金というものがいつ社会に登場したか、いつか終わりがくるのかという哲学チックな問題意識がありました。

それと同時に、実家が客商売を営んでいた関係で、人の給料がいくらかといった下世話なことにも興味がありました。

こうして「中国古代の英雄の給料はどのくらいで、どんなものをいくらで買っていたのか?」といった疑問に日々取り組むうちに、漠然と「日常史って面白いな」と考えるようになりました。それが十数年ぐらい前の話です。「諸葛孔明の給料」というテーマで論文を書いたこともありました。

そんななか、河出書房新社の『古代ローマ人の24時間』という本に出会って、「これは中国古代史でもできそうだなあ」と着想を得た......という流れです。

――そもそも、古代中国の日常史はこれまであまり研究されなかった分野なんですよね?

柿沼 研究もあるにはありますが、テーマがバラバラでした。服装史とか女性史とか。そしてそこには多くのスキマがあった。自分自身、20年間も古代中国を研究しているのに、「秦(しん)の始皇帝は朝何時に起きたのか」「屋内で靴は脱いでいたのか」といったことがまったくわからないところからのスタートでした。

――本書は史料の多さがすさまじく、800以上の注釈が入っています。ずばり制作にかけた時間は?

柿沼 執筆自体は1年ほどですが、構想からだと10年以上かかりました。1500万字ほどの史料を読み込みました。日常史をテーマとした古典が残されているわけではないので、データベース検索は使えません。結局、すべての史料を頭から読んでゆき、関連するところに地道に付箋を貼っていくしかありませんでした。

でも、大変な作業だからこそ、「完全に自分目線で歴史を描いてやろう」と思っていました。「もし、私が中国古代にワープしたらどうなるだろう」という設定にしたのもそれが理由です。

――本書を読んで驚いたのが、現代と変わらない部分がすごく多いこと。例えば、「高官になると、皇帝の命令がないと帰宅できない」というのは、さながら現代のブラック企業のようです。

柿沼 自分の話で恐縮ですが、僕はけっこう寂しがり屋で、お酒を飲むとみんなを帰したくなくなるんです。若い頃は友達を引き留めて終電に乗らせず、2次会や3次会に連れていく......みたいなこともありました(笑)。

実は中国古代にも、酔って寝ている人の顔にいたずらしたり、馬車の車輪を抜いて帰さないようにする人物がいて。それを知ったときは「これ、俺じゃん!」「愛してるよ、君たち!」と思いましたね(笑)。

こんな話が文献に残っているのは事実なんです。でも正直なところ、「2000年前のことなのにこんなにも現代チックで、解釈は合っているのか?」と不安になる瞬間もありました。

――一方、逆に現代ならありえないことも。例えば「皇帝がうんこしながら会議してた」というのは驚きました。

柿沼 漢王朝の武帝の話ですね。匈奴(きょうど)という遊牧民を倒すにあたって、いよいよ何十万もの軍勢で万里の長城を越えて......という会議をしているときに、大将軍の横でうんこしてるんです。

つまり、こういう状態(うんこ座りしながら)で「匈奴やっちゃう?」みたいな。僕も衝撃を受けて、いまだに史料を誤読してるんじゃないかと自問自答していますね(笑)。

――ほかにも「鶏舌香(けいぜつこう)」の話で笑いました。

柿沼 年老いた役人が皇帝から鶏舌香という薬をもらう話ですね。普通、皇帝から薬をもらう場合、それは「毒薬」を指し、「死ね」という命令です。だから家族で泣いていると、薬を飲んだおじいちゃんの口からいいにおいが漂ってくる。

つまりおじいちゃんは口が臭く、皇帝はそれに耐えられなかったわけで、鶏舌香は現代でいうブレスケアのようなものだったんです。歯磨きの習慣がなかった当時、口臭問題は深刻だったんですよ。

――落語のような話ですね。

柿沼 まあ、鶏舌香をブレスケアと訳すのは、研究者としては相当踏み込んだ行為だったんですけど(笑)。

――本書では、柿沼さんのセンスが随所に光っていますよね。

柿沼 これだけ中国史が盛り上がっているのに、世界を見渡しても古代中国の日常史を研究している人があまりいなかったのは、みんなたぶん、英雄と政治にしか興味がなかったからでしょうね(笑)。

――もともと『キングダム』や『三国志』が好きでしたが、本書を読んで、古代中国史への興味がいっそう湧きました。読者からの反響はいかがですか?

柿沼 なかなか評判がよく、中国などから翻訳出版の依頼もありました。逆輸入ですね。向こうにとっては母国史になるわけで、すごくうれしかった。ほかにもすでに、マンガ化や、図版本、レシピ本の依頼も来ています。

――大盛況ですね。

柿沼 今後は中国古代のヤクザや裏社会に関する本も出したいと思っています。今回の作業のなかで、いい史料がたくさん集まったんですよ。例えば、「人殺しは現代の価値に換算するといくらだ」とか。

また15年前に贋金(にせがね)の研究をしていたんですが、今回新たに「こいつが黒幕か!」みたいな発見もあって。少しでも中国古代史の面白さを読者と共有できればと思っています。

――すごい発見ですね。新著を楽しみに待っています!

●柿沼陽平(かきぬま・ようへい)
1980年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業。バーミンガム大学に留学。早稲田大学大学院文学研究科にて2009年に博士(文学)学位取得。早稲田大学文学学術院助教、帝京大学専任講師、同准教授などを経て、早稲田大学文学学術院教授・長江流域文化研究所所長。専門は中国古代史・経済史・貨幣史。2006年に小野梓記念学術賞、16年に櫻井徳太郎賞大賞、17年に冲永荘一学術文化奨励賞を受賞。著書に『中国古代貨幣経済史研究』(汲古叢書、2011年)、『中国古代の貨幣』(吉川弘文館、2015年)、『劉備と諸葛亮』(文春新書、2018年)、『中国古代貨幣経済の持続と転換』(汲古叢書、2018年)など

■『古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで』
中公新書 1056円(税込)
『三国志』『キングダム』『項羽と劉邦』など、さまざまな創作物に親しみながらも、「英雄」「政治」といったテーマ以外はあまり語られてこなかった古代中国史。学術的な意味でも、庶民の生活に目を向けた日常史は深く研究されてこなかったという。そんななか、本書では数ある史料から日常生活に関連する描写を抽出し、800以上にも及ぶ注釈を添えながら、秦漢代の人々の営みを網羅。画期的な便覧本であり、エンタメとしても楽しめる一冊


★『“本”人襲撃!』は毎週火曜日更新!★