ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。

それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。

そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。

* * *

仕事で夕方から、葛飾区の金町へ行くことになった。

金町へは僕の家から、西武池袋線、山手線を乗り継いで西日暮里へ。そこからはふだん乗り慣れない常磐線で向かうことになる。もちろん僕はいつものとおり、あまり訪れる機会のない街を少し散策したいなと、予定時刻に間に合うより1時間ほど早めに家を出た。

ところが常磐線に乗っていると、なんだか気分が変わってくる。そもそも今日の仕事の内容は、久々に訪れる金町駅付近の散策。つまり、街歩きならあとでたっぷりできるわけだ。ならばその途中の、まだ降りたことのない駅で降りてみたほうが楽しそう。なんてことを、ものすご~く考え抜いたわけではないんだけど、「次は綾瀬~、綾瀬~」というアナウンスを聞いた瞬間、突発的に電車から降りてしまった。

綾瀬駅前 綾瀬駅前

時間は午後3時。綾瀬から金町へは2駅だから、余裕は小一時間ある。記憶にある限り、人生で初めて降りた駅。気の向くままにうろついてみよう。

ちなみにこの日の天気は雪。雪の綾瀬。その非日常感が脳細胞を活性化させてくれるようで、ただ歩いているだけで嬉しくなってくる。

夜に来たら楽しそうな高架下の飲み屋街 夜に来たら楽しそうな高架下の飲み屋街 ディープそうな横丁もたくさんある ディープそうな横丁もたくさんある

さすが足立区。僕の住む練馬区とは空気感がまるで違い、酒飲み心がくすぐられる光景にいくらでも出会える。が、昼飲み文化がそこまで盛んなわけでもないようで(いや、重要な昼飲み可能エリアを見落としている可能性もじゅうぶんあるけれど)、ふらりと入って一杯やれそうな店が見当たらない。

斬新な編成 斬新な編成 こういう町中華でもいいんだけど、残念ながら営業時間外 こういう町中華でもいいんだけど、残念ながら営業時間外

10分、20分......時が過ぎるほどに、ほんのりと焦りが生じてくる。同時に、自分がかなり空腹であることにも気づく。そうだ、今日はさっき仕事場を出るギリギリまで原稿を書いていて、しかも食事より知らない街散策を優先して電車に飛び乗ってしまったので、まだ朝からなにも食べてないんだった。

そんな自分の状態に気がつけば、焦りはどんどん増してゆく。金町駅への移動時間が、電車待ちの余裕を含めて10分と考えても、タイムリミットはあと30分くらいか。欲を言えばこの街ならではの立ち飲み屋にでも出会いたかったけど、あぁ、もう、チェーン店でもなんでもいいから入っちまおうか......。

そんなことを考えはじめた僕の目の前に現れた救世主が、「かあちゃん」だった。

「かあちゃん」 「かあちゃん」

ひさしにくっきりと「手作り定食 呑み処 年中無休」の文字。さらに看板には「朝4時より夜23時まで」とある。夢じゃなかろうか。ここだったんだ。僕が目指すべき店は。

からりと扉を開けると、ほんわりと暖かな空気が雪で冷えた僕の体を包みこむ。手前のカウンター席には黙々と定食類を食べる人たち、店内奥のテーブル席では赤ら顔の酔客、それぞれに幸せそうな顔をしている。カウンター内の厨房では3人のかあちゃんが愛想良くも忙しそうに働いている。もう、いい店だ。

いちばん目立たないカウンター奥に着き、まずは「ホッピーセット」(430円)を注文。突然出会った楽園で、雪の綾瀬を眺めつつ、キンキンのホッピーをぐいっ。最高。

あぁ、幸せ...... あぁ、幸せ......

定食類に単品も加えると品数は膨大。メニューのいちばん目立つ位置には「刺身定食」「サンマ定食」「よくばり定食」「しょうが焼き定食」が写真つきで並び、このあたりが一押しらしい。壁にどーんと貼られた「肉じゃが定食始めました(1日5食限定)」。肉じゃがって、むしろ大量に仕込んだほうが効率がいいと思ってしまうのは素人考えだろうか。だからこそ"5食限定"の謎が気になる。

おっと、楽しいけどあんまりぐだぐだと迷っている時間はないんだった。壁の日替わりメニューに「肉豆腐定食」(800円)を見つけ、それを注文することに。

それがやってくるのをホッピーを飲みながら待つ。僕の位置から厨房内の、なにやら物々しい鉄製の設備が見える。これがパカっと開くと、ジュージューと脂したたる丸々太った焼きサンマが出てきた。どうやら、サンマ焼き専用のグリルのようだ。しまった。ここはサンマを選ぶべきだったか......。

「肉豆腐定食」 「肉豆腐定食」

ほどなくして肉豆腐定食が到着。その頼もしき勇姿と対面し、僕は一瞬の後悔を恥じた。なんて非の打ち所のない定食なんだ! ごめんよ肉豆腐。酒場における僕の最愛メニューよ。

端正なお顔立ち 端正なお顔立ち

中央にどかんと巨大な木綿豆腐が鎮座する肉豆腐は、醤油ベースでしっかりと甘めなオーソドックスタイプ。具材は、薄切り豚肉、ねぎ、白菜、しめじ、しらたき。その上にちょんとあしらわれたかいわれが可憐だ。

盆上のその他の布陣は、きゅうりと大根の漬物、野菜のごまあえ、ひじきとちくわの煮物、ごはん、みそ汁。心のなかで「かあちゃん、ありがとう」とつぶやき、いただきます。

肉豆腐鍋の、豚肉で包んで食べるじゅんわりとした野菜類がいいおかずになる。おだやかな味わいの小鉢たちもどれも素晴らしいし、ちょっと煮詰まったような濃厚みそ汁が胃袋へと流れていくのも快感だ。ふっくらと炊けたごはんもとても美味しい。

豆腐&白メシ 豆腐&白メシ

白眉はやっぱり豆腐だろう。甘辛味の染みた豆腐とごはんの、至高のハーモニー。こうやって豆腐をおかずに白メシを食べることがたまらなく好きになったのって、いつごろからだろうな。少なくとも、30代に入ってからな気がする。

そんでまた、こんなにも体に良さそうな食事に、ナカをおかわりしたジョッキのホッピーをぶつける痛快さが楽しい。

またあらためて綾瀬の街に飲みに来てみたいけど、次もこの店に吸いこまれ、大満足して終わってしまいそうな気がする。

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