1990年代から展覧会の開催や写真集の出版を精力的に行い、テート・モダンや東京都写真美術館といった国内外の美術館に作品が収蔵されるなど、その活動が高く評価されてきた写真家の野村佐紀子さん。"アラーキー"こと荒木経惟さんの唯一の弟子でもある。
そんな野村さんが故郷の山口県下関市で初の大規模な個展である「海」を3月27日(日)まで開催中だ。また、同展に向けて撮り下ろした新作を含む75点を収録した写真集『海 1967 2022 下関 東京』(リトルモア)も発売されている。
男性ヌードを中心とした独特な作品世界で知られるが、同展には男性ヌードはもちろん、近年取り組んでいる供花(お供え花)の新作、下関で撮影した未発表作など、初期から現在までの代表作がそろう。
実は過去に「週プレ」で何度かグラビア撮影も担当していただいた野村さん。同展の開催に際し、写真家としてのこれまでの歩みを振り返ってもらった。
■キャリア総集編ではなく、冒険的な展覧会
――今回の写真展は野村さんの故郷での開催ということもあり、学生時代に撮影された初期の作品から最新作まで展示され、活動の集大成といった印象があります。キャリアを振り返る意識は、どれくらいあったのでしょうか?
野村 集大成とは思っていませんでした。ただ、生まれ故郷での開催には特別な思いがありましたし、緊張もしましたね。これまで向き合わないできたものに向き合う気の重い作業で、どんなふうに受け止められるのだろうという不安のほうが大きいかもしれません。
――「海」という展覧会のタイトルも、生まれ育った下関の風景が由来になっています。
野村 下関は三方向を海に囲まれているのですが、実家はまさに海の目の前。夏には水着ですぐに飛び込めるような環境でした。学校から帰宅するときは西日が落ちる海に向かって歩くから、視界に入る風景のほとんどが逆光に包まれていたんです。
前回、2019年に愛知県の碧南市藤井達吉現代美術館でやった展覧会(「GO WEST」)は、その地元の風景を起点にして、西へ西へと向かう内容で、逆光の写真がすごく多かった。その流れを汲んでの下関ということで、今度は太陽が沈んでいく海を軸にしようとなりました。
――それは野村さんの意向で?
野村 主に展示作品を選んでもらったのは、前回も担当した藤木洋介さんというキュレーターの方です。タイトルも考えてもらいました。私は写真を撮って選んだ後、編集や展示をお任せすることが多いんです。過去200回くらい展覧会をやってきましたけど、自分でタイトルを付けたことないんじゃないかな。自分だけで決めるより、誰かと相談したほうが面白くなると思っています。
――では、「海」というタイトルの独特な書体も?
野村 これは写真集のデザインをお願いした、ひぐち裕馬さんとの出会いが大きかったです。最初に見せてもらったときは驚きました。今までの写真集とは違う、かなり大胆なデザインで。確かに地元での開催ということで、普通はもっと内容をまとめたくなると思うんです。でも、結果として過去の総集編のようにならなかったのは、彼のデザインが持っているパワーのおかげだと思っています。
■男性ヌードを始めたきっかけは先輩の一言
――しかし、「過去200回は写真展をやってきた」とは、他の著名な写真家と比べても圧倒的な数です。野村さんにとって写真展は、活動の中でどういった位置づけなのでしょう?
野村 それはよく聞かれるんですけど......。作品を発表することの意味を聞かれるのがいちばん難しいんですね。
――基本的なスタンスとして、「写真は発表する前提でしか撮らない」とおっしゃっていますよね。
野村 私にとって写真を撮るのと発表することはセットなんです。目の前のものは全部撮る、毎日撮る。そもそも撮影できないところには行かないですし。例えば、行ってみたい博物館があったとして、撮影できない、撮影しても外に出せないのであれば興味がない。そうやってきたから、写真が好きか嫌いかを考えたこともないんです。写真を続けようかどうしようか悩んだこともありませんね。
――でも、若い頃にどこかのタイミングで、「将来は写真で食っていく」と決めたのでは?
野村 それがないんです。ずっと自然な流れでやってきて、こうなった感じです。ただ、初めての展覧会をやるとき、師匠(荒木経惟)に報告したら、「やるならずっとやり続けないとダメだ」とは言われたので、それを守り続けていますね。
――写真展をやり続けろという師匠の教えを守っている。
野村 私はみんなに言われたことを守ってやってきました。男性ヌードを撮り始めたのも先輩に、「撮ってこいよ」と言われたからで。
――九芸(九州産業大学芸術学部)に通っていたときに言われたんですよね。
野村 当時は写真をやる女性が少なかったからか、先輩が面白がって言ってきたんですよ。そのときも素直に「はーい」って感じで(笑)。からかわれたのかもしれないですけど。
――しかし、強い意志で始めたわけではないのに、「男性ヌードといえば野村佐紀子」となるほど続けてきたのもすごいですよね。
野村 一人を撮るとまた次の人が現れて、と被写体が今までつながってきただけなんですよ。10年後、20年後を考えて、みたいなことはやったことがなくて。私は写真家なので、「あれ撮りたい、これ撮りたい」と事前に考えないようにしています。目の前に来たものをまっすぐ撮るとするのが写真家のいちばん面白いコトだと思うから、テーマを決めて撮影してしまうとつまらなくなる気がしているんです。
――では、「いま撮りたい人」を聞かれても。
野村 若い頃は、「明日会う人でしょ」と言っていました(笑)。
■グラビア撮影は編集者との共犯作業
――野村さんは過去に何度か「週プレ」のグラビアも撮影されていますが、グラビアのお仕事は普段の作品撮りとはまた違った感覚で臨まれているのでしょうか?
野村 撮影自体の感覚は一緒なんですけど、編集の人からすれば、もの足りないと思われているだろうなとは感じています(笑)。
――それは「グラビアらしさ」がもうちょっとほしいとか。
野村 もっとピントをバッチリ合わせろよ、みたいな(笑)。
――読者にとってグラビアの主役はあくまで被写体ですからね。
野村 私は読者の人が、「この女のコの、こういう姿が見たい」っていうのではない撮り方をしているかもしれないから。編集者は困っているだろうといつも思っています。被写体と向き合って撮影しながら、編集者とも共犯関係になって、一緒にページを作っている感覚かもしれません。グラビアのお仕事楽しいですよ。
だって、私も20代の頃はスポーツ新聞のエッチな欄で、パンチラの写真を撮ってくる仕事もしていましたから。仕込みでしたけどね。ただ、この仕事はなぜか振り込まれる金額が毎回違ったんです。実は下着が見える面積で金額が変わっていたことにあとで気が付いて(笑)。すごく驚きました。
――キャリアの初期にはそういった仕事もやっていたわけですね。
野村 今だって喜んでやりますよ(笑)。
■ヌードにおける写真家と被写体の不思議な関係
――男性ヌードについてもう少しお聞きしたいのですが、ヌード撮影の現場って、写真を趣味にしている人もなかなか体験できないものだと思うんです。例えば、ヌードの撮影がうまくいくときは、どういった要素が働いたときなのでしょう?
野村 その「うまくいったな」みたいな手応えを感じたことはないですけど、一瞬の「あ」っていう感覚があったときは、撮影がスムーズにいきますね。被写体とつながる感じというか......。それもカメラを通して視線が合うとかではないんです。私と被写体の間の、ちょうどいい距離のところで視線が合う瞬間というのがあって、そのときは「あ」って思いますね。で、そのあとは何枚か撮って終われる。気分としてはそういう感じです。
――「撮る/撮られる」という単純な関係ではない、まさに「共犯」という感覚が生まれる瞬間というか。
野村 そうですね、それはすごくあると思います。今回、過去の作品を展示するために25年前くらいにヌードを撮影した男性に連絡したんですよ。そうしたら、「久しぶり」もなく、「あのときの写真を使っていいって言っていたけど、いい?」「いいよ」って。で、お互い近況すら話さずに「またね」と電話を切って。
多分、お互いに会ってもわからないくらい時間が経っているはずなんですけど、人生のある瞬間に秘密を共有した感覚があって、そこだけでつながっている。写真ならではの不思議な関係ですね。
――野村さんの作品ではあるけど、被写体の人の作品でもあるわけですね。
野村 そうですね。
――実は男性ヌードを撮影し始めたときに、フェミニズム的な視点から、「やっと立ち上がりましたね」と言われて困惑したこともあったとか。
野村 男性が性の対象として女性のヌードを撮っている世界でついに......という扱いの取材があって。当時は私が無知だったからすごく驚いたんですが、その後もよく言われました。その頃は色々考えたりしましたが......。
でも、私自身はメッセージを伝えるために写真を撮っているわけではないので、あくまで作品の解釈は受け手に委ねたいと思っています。
――男性ヌード以外の作品でも、今回の展覧会でいえば、地元の何気ない風景を撮影した写真に野村さんの個人的な思い出を読み取ることもできそうですが、作者として作品の背景を説明するつもりはないということですね。
野村 どの作品にも背景はあるんです。でも、説明しないと通じないようでは写真としては残念ですからね。以前、愛知県での展覧会を見に来てくださった別の美術館の方から、「最初は野村の人生を見ていたつもりだったけど、途中から僕の人生に変わっていった」と言われたことがあって、とてもうれしかったんです。私が撮った写真ではあるけど、見る人の個人的な記憶とつながることで、その人の写真になってくれればいいなと思っています。
●野村佐紀子(のむら・さきこ)
1967年山口県下関市生まれ。九州産業大学芸術学部写真学科卒業。91年より荒木経惟に師事。主に男性の裸体を中心とした湿度のある独特な作品世界を探究し続ける。93年より東京を中心に国内外で精力的に個展、グループ展をおこなう。主な写真集に『裸ノ時間』(平凡社)、『闇の音』(山口県立美術館)、『黒猫』(Taka Ishii Gallery)、『夜間飛行』(リトルモア)、『NUDE/A ROOM/FLOWERS』(MATCH and company)、『 TAMANO 』(libroarte)、『愛について』(ASAMI OKADA Publishing)、『春の運命』(Akiko Nagasawa Publishing)など。主なコレクション先にテート・モダン(ロンドン)、東京都写真美術館など。
展覧会Instagram【@sakikonomura_umi_shimonoseki】
■野村佐紀子写真展「海」
会期:開催中~3月27日(日)
開館時間:9時30分~17時 *入館は午後4時30分まで
休館日:月曜日(祝日の3月21日は開館)
会場:下関市立美術館 (山口県下関市長府黒門東町1-1)
Tel.083-245-4131
観覧料:一般 1,200円/大学生 960円