ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
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2019年2月末日、長年勤めていた会社を退職し、その翌日からフリーライターとしての新しい人生を歩み出した。
まだまだ小さな子供(当時1歳)もいるというのに、人生が「酒一本で生きていく」という異常事態に突入。その日が来るまでは不安でいっぱいだった。そしてもちろんその不安は、今もって消えてはいない。けれどもそれはそれとして、あの3月1日の朝に家から外へ出た瞬間、まるで羽でも生えたんじゃないかってほどに心身が軽く感じた感覚は、今もって忘れがたい。
その後の新型コロナウイルスの流行により、僕の専業酒場ライターとしての3年間は、その期間の約2/3が「ほとんど酒場で飲めない」という、これまた想像もしていない状況だった。それでも、今もこうして仕事の原稿を書かせてもらっていて、なにより家族3人、なんとか食いっぱぐれはせずに生きている。僕などに関わってくれている、そして僕などを応援してくれているすべての方への感謝の念が抑えきれない。あの、いつもありがとうございます。
ところで、3年前の3月1日。家を出た僕がどこへ向かったのかというと、前日までと同じ池袋の街だ。実は、前職場の近くに「キリンシティプラス」という店があり、そこのサラダが食べ放題のランチビュッフェでは、なんとソフトドリンクに加え「白ワイン」までもが飲み放題だったのだ。めちゃくちゃ行ってみたいけど、さすがに勤務中に酒を飲むわけにはいかない。じゃあソフトドリンクで済ませばいいじゃんって、ワインが飲み放題価格に含まれてるのに、意地汚い酒飲みの僕が、それをがまんするなんてできるはずがない。というわけで、長くあこがれていた「キリンシティプラスランチ飲み」を独立記念日に思いっきり堪能してやろうと思ったわけだ。
あの日、抜けるような青空の下、ふわふわした身体で店に向かい、重いガラス扉を開けた。キラキラと日差し降り注ぐ店内で、色とりどりの新鮮野菜たちをつまみに、好きなだけ白ワインを飲んだ。これが真の自由ってやつかと心の底から感動し、そして思った。3年後の今日、またここにやってこよう! 不安しかないフリーランス道だけど、なんとか3年間続けることができたら、その記念にまたここで飲もう!
さて、その3年後が、今この原稿を書いている前日、昨日だった。この日ばかりは個人的祝日ということにして、僕は朝から池袋へ向かった。
ちょうど済ませたい用事や寄りたい店がいくつかあり、勤めていた池袋駅東口エリアを中心に歩き回る。この街のこのエリアに関しては特になんだけど、あまりにも景色が変わりすぎていて、なんだか遠い目になってしまう。
ひととおりの用事を済ませ、いざ昼飲みだ! とキリンシティプラスへ向かってみると、重大な事実が発覚。なんと、不特定多数の人々が料理を取りに集まるスタイルのビュッフェランチは、時代にそぐわないからだろう、サービス自体を終了してしまっていた。こんなところにもコロナの影響が......。
さてどうするか。たまには贅沢に、昼からそこでうまいいビールとがっつりとした肉料理なんかを食べるのもいいけど、それは別の日にでもできる。僕が3月1日のキリンシティに求めていたのは、あくまで盛り盛りのサラダと白ワインなんだよな。
そんな気持ちでふたたび街を徘徊していると、あることを思い出した。勤めていた会社では2~3ヶ月に一度ほど社員総出の全体会議があり、離島的な部署にいた僕はそれには参加しないんだけど、その日だけは僕も含めた全員にお弁当が配布されるのだった。そのお弁当というのがなぜか、東武百貨店のデパ地下にある「おこわ米八」のおこわ弁当か、池袋でのみ営業する回転寿司チェーン「回し鮨 若貴」の寿司弁当のルーティーン。僕にとってはあれこそが、会社員時代を象徴する味だ。若貴のほうなら酒も置いてるだろうから、あの寿司をつまみに飲んでやれ! そう思いついたら、とたんに愉快になってきた。
すっかり様変わりしてしまったと思っていた池袋の街だが、若貴のあるエリア一帯は昔のままでなんだか落ち着く。何度も寿司弁当は食べたけど、なかへ入るのは初めてだ。謎の高ぶりを感じつつ、店内へ。
アクリルパネルで仕切られたカウンター席に着く。見回すとなんというか、スシローやらはま寿司やらの大手チェーンに慣れてしまった今となってはなんだか懐かしい、昔ながらの回転寿司屋といった趣で、ちょっとしたタイムスリップ感すらある。これは楽しいぞ。さて何からいこう......?
1ターンめは、「本日のおすすめ」ボードにあった僕の大好物「黒瀬ぶり」(286円 ※以下すべて税込み)と、定番ネタの「サーモン」(143円)、そしてもちろん「生ビール」(528円)!
ぶりもサーモンもとろりと脂がのっていて申しぶんなくうまい。いつも弁当でしか食べていなかったけど、にぎりたての若貴寿司ってここまでのクオリティーだったのか! こりゃあ贅沢。しかも間髪を入れず、生ビールをぐびぐび~っといくことだってできるんだから!
2ターン目は、サイドにキープしておきたい「あら煮」(220円)をまず選んでおいて、寿司は「生げそ」(143円)に「〆鯖」(143円)かな。
ぶりなどの身がたっぷり入り、その旨味が大根に染み込んだあら煮は、ここで酒を飲むならマストかもしれない。ねぎと生姜のアクセントが楽しいげそも、惜しみないシメ加減と大ぶりの身がなんだか懐かしいようなサバもうまい。いいな~若貴。今さらながら、会社員時代、もっとお昼を食べにくればよかった。
ちょうどお昼どきだからだろう。気づけば周囲の客のほとんどが、ランチタイムサービス品のにぎり寿司かちらし寿司を食べている。どちらもたったの数百円で、にぎりなら12貫、ちらしならネタ盛りだくさん。そうか、お得なのは完全にあっちだったか......いやでもでも、こちとら記念日だし、もしも最初からランチの存在に気づいてたとして、今日ばかりはお好みで頼んでたし! と、心のなかで負け惜しみの言い訳をしつつ、さて、そろそろシメにするか。
お酒のおかわりに「喜平」(473円)の冷や。それから、「トロタク巻き」(143円)と、よし、贅沢に「うに」(220円)もいっちゃうか!
すっきりと飲みやすく食中酒向きな喜平は、僕がコレクションもしているほど大好きな「ガラス徳利」入りなのがまたいい。トロタクは見た目以上にネタがたっぷりで、つまみとしては今日頼んだなかでも最強だ。これがいちばん低価格な皿って、けっこうな事件なんじゃないだろうか。うにも、そりゃあ高級寿司店のものと比べるものじゃないけど、たったの220円でちゃんと"うに欲"を満たしてくれるんだからありがたいという他ない。
ふぅ、胃も心も大満足。とりあえず、なんとなく"ひと区切り"という感のある3年間を無事に過ごせて、良かった良かった。
会社員よりも終わりの見えないフリーランス道。次の3年もなんとかかんとかやり過ごせたらいいな。3年後の今日は、できればもうちょっといい寿司屋で一杯......なんてことはまったく思わなくて、またこの店で、できればランチじゃなくアラカルトで寿司でもつまみつつ飲めればもう、それ以上望むことはない。