ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
TVの報道番組において、駅前のSL広場で赤ら顔でインタビューに答えるサラリーマン。「新橋」と聞いて真っ先に思い浮かぶシーンはあれじゃないだろうか。サラリーマンの街であり、酔っぱらい天国。ただ、そういった特性上、実は昼間っからおおっぴらに営業している酒場はそんなに多くはない。あくまで新橋の飲み屋のニーズは、仕事を終えた社会人のみなさまのためにあるのだ。
そんな街で僕みたいな半端者が、まだ明るいうちから酒を飲みたいと思ったら、魔窟「新橋駅前ビル」地下の立ち飲み「こひなた」か、同じビルの2階にあって僕が新橋でもっとも愛する「壱番館」か、烏森口方面の飲み屋街にある「立呑屋」か......。上野や池袋あたりの無限とすら錯覚する選択肢を思うと、意外と限られている。
というような街において、営業時間的に間違いなくぶっちぎりの信頼感を誇る店があり、それが「なんどき屋」。店名のとおり、いつなんどきでもやっている。つまり24時間営業。僕は酒場のつまみのなかでも「肉豆腐」を偏愛しているが、以前なんどき屋で食べた肉豆腐は、僕の肉豆腐人生のなかでも屈指のインパクトだった。
先日、新橋で昼すぎから、とあるざっくばらんな飲み取材を受けるという仕事があった。今が午前11時で、今日はまだ食事はとっていないから、軽くなにか腹に入れておきたい。そして、なんなら軽く一杯も入れておいたほうが現場がスムーズに進行しそうだ(勝手な言い分)。というわけで僕は、なんどき屋へと向かったのだった。
コロナの影響でいつもどおりやっているか心配していたが、この時間帯をひとりで切り盛りされていた女性の店員さんによると、現在は朝7時からの営業とのことでひと安心。もちろん状況によって刻々と変化するのだろうから、心配なことには変わりないんだけど。
席についてまずは「ホッピー」(450円)をお願いし、メニューをぐるりと眺める。酒場としてしか利用したことはないけれど、今日は軽くごはんも食べておきたいんだよな......と見てゆくと、単品料理はプラス300円で定食にできるらしい。とすれば、900円で「肉豆腐定食」が食べられるわけか。これは決まりかな?
が、定食類や肉豆腐と並ぶこの店の名物に、「牛めし」があったんだった。(並)(大盛)(上)(牛皿セット)が、それぞれ650円、750円、850円、880円。とりわけ「上牛めし」は気になるし、値段もお得。よし、今日は豆腐要素はがまんして、こっちにしてみよう。
するとまず、小鉢がふたつ。きゅうりの漬物と、こんにゃくとさつまあげのきんぴら風かな。漬物は牛めしに合いそうだからとっておいて、きんぴら風のほうをつまみにモーニングホッピーをぐびり。関東ではむしろ珍しく、あらかじめ割られて出てくるタイプのホッピーで、焼酎濃度がかな~り濃いめだ。こ、これは効くな~......。
やがて熱々のみそ汁とともに牛めしも到着。この生卵が(上)要素ということになるのかな。いやいや、それにしてもこの牛めし、なんてそそるツラがまえをしてるんだろう!
各種チェーン店のオーソドックスなタイプとはあきらかに違う、個性的なルックス。嬉しいことに、肉豆腐ほどではないけれど、豆腐の存在も確認できる。熱いみそ汁をずずずとすすって胃の下地を整えたら、いざ白メシとともに!
もぐもぐもぐ......じーん......う、うまぁ。そして、そうだった。肉豆腐しかり、ここの牛煮込みは、そのバッキバキの見た目に反して、かなり穏やかな癒し寄りの味なんだった。
その秘密は製法にあると思われる。カウンター内の大鍋に静かに沸く、秘伝と思われる真っ黒なタレ。そこには豆腐が数丁浮かんでいる。が、決してぎちぎちに詰まって長時間煮込み続けているわけではなく、常に状況に応じた数をスタンバイさせていると思われ、それがあの、割ってみると真っ白な豆腐の理由なのだろう。
で、牛めしの注文が入ると、そのたび店員さんは、なんらかの下処理がなされているらしき生の牛肉と玉ねぎのタネをひと握りタッパーから取り出し、鍋縁にかけられたステンレス製の小さなザルへおごそかに落とし入れる。そこからは驚くほどに早い。さっと短時間ゆでただけで、すぐに丼によそった白メシの上にのせる。それでこの漆黒ぶりなのだから、あのタレには魔法が宿っていなければおかしい。
そのようにして作られたなんどき屋の牛めしは、ほんのりビターですっきりとした、それでいてコク深いタレの味が、極薄切りの牛肉の旨味を極限まで引き立てる絶品。そこに絡みつく、甘くて香ばしくてシャキシャキの玉ねぎや、ときおり混ざる豆腐のまったりとした味わいもたまらない。ひと口ひと口、大切に味わいたい美味しさだ......。
ちなみに、こんなにも上品にまとめあげられた牛めしに対し、店員さんがしきりに「卓上のカレー粉をかけると美味しいですよ」とすすめてくるのも可笑しい。もちろんひと口試したけど、当然ながらすっかりカレー味になってしまい、そのもったいなさが愛おしかった。
後半のお楽しみは、もちろん(上)要素の生卵だ。ちゃっちゃっちゃっと軽く混ぜ、勢いよく丼全体に回しかけたら、遠慮なく七味をふる。これにより牛めしは、「牛すき焼き風なんどき丼」とでもいうべき別の料理へと進化する。いや、どちらも甲乙つけがたいほどうまいんだから、「進化」ではなく「変態」と表現するべきか。
その変態丼を、さっきまでとは打って変わって豪快に。溶き玉子という濁流に、秘伝のタレと牛肉他の食材が織りなす妙味が包み込まれ、一気に喉に流れ込む快感。はい、もう、幸せとしか言いようがありません。
まだ行ったことはないけれど、なんどき屋には同じ新橋に、牛めしに特化した支店もあるらしい。軽く調べてみたところ、「肉大がけ」なんていう、いわゆる肉ダブル的なメニューもあるらしく、食べたら幸福感で卒倒してしまうかもしれないけど、ぜひ今度行ってみようっと。