ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
思わず二度見した。いや、三度見した。「富士そば」のメニューサンプルが並ぶ、店頭のショーウインドーを。
珍しく丸1日がかりだった取材仕事を終え、夜遅くに地元・石神井公園にたどり着いた。昼以来食事はとっておらず、ものすごくおなかががすいている。加えてもちろん、一杯やりたい。どこに寄って帰ろうか? 好きなあの店やあの店はまだやっているだろうか?
もしもどこにも入れなければ、しかたない、スーパーで割引になっている惣菜をあれこれ物色する、僕が「おつとめ狩り」と呼ぶ行為を経て、家に帰って家族を起こさぬよう、こそこそと晩酌するか。
帰りの電車内でそんなことばかり延々と考えながら過ごし、駅に着いて改札を出る。すると目の前にある「富士そば」のショーウインドーに、我が目を疑う光景が広がっていた。あるのだ。復活しているのだ。「酒類」のメニューが。
富士そばは、関東地方を中心に展開する路麺店(立ち食い、もしくは椅子席はあるが立ち食い価格のそば)チェーンだ。特に僕の出身地である東京には店舗が多く、若いころからとてもお世話になってきた。
そんな富士そばは一時期、ブームにのって「ふじ酒場」なんて営業形態を始め、ちょい飲みセットや、枝豆、冷奴、玉子焼き、かつ煮などのおつまみ、さらにはかき揚げに天つゆをかけた「天ぬき」(それが厳密な意味での天ぬきであるかどうかは別として)なんていうメニューまでノリノリで出していた。そしてそれは、僕はもともと立ち食いそばが好きなので、まったくもって大歓迎な展開だった。
ところが、コロナの影響だろう。近年は、少なくとも自分の行動範囲内にある店舗では、「ふじ酒場」の営業が中止になってしまい、というか、以前はどこの店舗にもたいていあった生ビールなどの酒類も、提供を中止してしまっていた。
僕は、立ち食いそばならではの茹で置き麺と、かきあげや春菊天などの天ぷら類、それを平熱なテンションでもそもそと食べながら酒を飲むのがものすごく好きなのだ。地元・石神井にはもはや、路麺店は富士そばしかない。そこで酒が飲めなくなって久しいことを、ものすごく寂しく思っていた。
長くなったが、そんな富士そばのショーウィンドーの片隅に復活していたのだ! ただひとつ、「缶ビール」だけではあるけれど酒類の存在が!
無論、まっすぐ、迷いなく、富士そばの店内へと進む。券売機に1000円札を入れ、「缶ビール」のボタンを押す。よしよし、ふふふ......。あ、よく考えたら肝心の食事メニューのほうをまったく考えてなかった。え~とえ~と、お、夏季限定の「冷やし特選富士そば」があるじゃないか。決まりだな。それから、天ぷらの単品もひとつとって、そばが来るまで、それをつまみに飲みはじめていたい。そうだな、ここは、紅生姜天!
食券を差し出すとお店のお兄さんが、「天ぷら、別盛りにしてつゆつけましょうか?」と聞いてくれる。なんて話がわかるお兄さんなんだ。もちろんお願いし、缶ビールと合わせて受け取る。自分で注ぐスタイルではあるものの、ジョッキつきなのが嬉しい。
紅生姜天もまた、揚げおきの冷めたものだが、これこそが路麺店の味だ。がぶりと噛み締めると、じゅわりと脂っこさが口に広がり、続いて玉ねぎの甘みと紅生姜の塩辛さが口に広がる。しゃくしゃく、もむもむ......。あぁ、これだよこれ。専門店の揚げたてとは別物の、庶民の天ぷらのうまさ。すかさず、ビールをぐい~っ!
てなことをやっていると、すぐに番号が呼ばれ、「冷やし特選富士そば」も到着。一人前の冷たいそばに、あげ煮、あげだま、かにかま、わかめ、ねぎ、温泉玉子がのる豪華さ。これが500円ってんだから、日本って国は本当にありがたいよな。
まずは頼もしいほどにエッジーなそばをすする。しっかりとしたダシの香りと強めの塩気が絡んだパッツパツの麺。そりゃそば粉の香りが強く香ってくるということはない。なんたって富士そばの麺の小麦粉とそば粉の比率は6:4らしい。それって言ってみれば、"そば風味のうどん"なのでは? とも思うけど、僕は富士そばのそんなそばが、正真正銘好きなのだ!
続いて、カニかまをつまみつつ、油揚げをつまみ、ワカメをつまんではビールをぐびぐび。富士そばにメニューは数あれど、やっぱり酒のつまみ力では群を抜いてるな、冷やし特選は。そんでまた、大好物のたぬきそばエリアが、疲れた体にたまらなく沁みる。
さぁ、そろそろフィナーレだ。残り1/3ほどになった紅生姜天もつゆに浸してしまい、あまつさえ崩した半熟玉子と絡めてしまう。これぞ大衆そばの真骨頂! ぐずぐずになった味の濃い天ぷらと、まろやかな玉子、それが絡んだそばの恍惚のうまさよ......。
富士そばが酒類提供を復活させたのはいつごろからだったのだろう? 常にぼーっとしている僕のこと。気づかないだけで、けっこう前からだったのかもしれない。
ともあれ、地元の路麺店で、気取らないそばを食べながら酒が飲める幸せは貴重だ。それが当たり前じゃないんだってことをあらためて実感しつつ、その幸福な環境が続く限り、ありがたく享受させてもらおうと思う。