ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
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以前、用事があって自転車で西東京方面へ行った際、ものすごく好きな外観のとんかつ屋を見つけた。
「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ」という名言は、漫画『美味しんぼ』に登場したものだったか。
今や、「かつや」や「松のや」などの激安かつクオリティーの高いとんかつチェーンが珍しくなくなり、本気でよっぽど金に困っている人でない限り、誰でも気軽に食べられるようになってしまったとんかつだが、初めて読んだときは「確かに!」と、いたく感銘を受けたものだ。
ただ、偉すぎも貧乏すぎもしない、ちょうどいいとんかつ屋という存在は、まだまだこの世に生きている。それは、前述のチェーンやこだわりの有名店などではなく、古くからその街に根付いた、気どらない大衆店に他ならないだろう。
なんだか最近、タイミングや運の悪いできごとが続き気味だった。"ちょうどいい店"でとんかつでも食べて、ゲン担ぎをしたい気分だ。そうだ、前に見かけた、あの店へ行ってみよう!
そのとんかつ屋は「日之出」といい、西武新宿線、東伏見駅から徒歩10分ほどの街道沿いの脇道にぽつりとある。外観からして、古そうだがぱりっと清潔感があり、視認性抜群のメニューも大変魅力的。
「ヒレカツ」が1000円、「ロースカツ」が900円、ちょっとリーズナブルに「カツライス」が850円。この、毎日は通えないけれども、たまのご褒美ならば来られる、偉すぎも貧乏すぎもしない価格帯! あぁたまらない。
入店し、まずはビールを注文。店内はカウンターが6席にギリギリ3人は座れるかなという小さな座敷がひとつ。昼時は過ぎていたけれど、それでも数人の先客がいて、なかなかの人気店のようだ。やって来る前からロースカツの定食にしようと心は決まっていたが、想像以上にメニュー数が多く、冷えた瓶ビールをちびりちびりとやりながら、いったん迷ってみることにした。
まず、隣の男性が食べている「カツカレー」がものすごくうまそうだ。あれで750円とはかなりお得だな......。その隣のカップルは、なんと「カニライス」の大盛りとエビフライをとって、それをシェアして食べている。なんという上級者! そういう手もあるのか......。と、ブレブレになった軸で、手元のメニューを吟味してゆく。すると、なんと外のメニューにはなかった「トルコライス」なんてのまであるじゃないか!
トルコライス......ってどんなのだっけ? 確か、長崎あたりの名物だったかな? よく考えてみると、今まで一度も食べたことないな。え~と、とんかつは基本? それが、白米? いや、ピラフ? いや、チャーハン? にのっていて......かつにはカレー? もしくはミートソース? がかかってるんだっけ? あれ、スパゲティーものってた? あ、やばい。なんもわかってない。トルコライスのこと。もうダメだ、気になって気になって......すみません、ト、ト、トルコライスお願いします!
女将さんにそう伝えると、「トルコライスはチキンカツになりますけどいいですか?」との確認。え、とんかつじゃないのか。もう、当初の計画がなにひとつ残ってないな。とはいえ、これだけ気になってしまった以上、やっぱりやめるという選択肢はない。はい、お願いします。
店はご夫婦らしきふたりで切り盛りされており、珍しく、常にリズミカルに動き続ける女将さんが揚げ物などの調理を担当されている。ご主人はそのサポートに徹し、カウンター上にずらりと待機するステンレス皿に、絶妙なタイミングでキャベツの千切りやポテトサラダ、ごはんなどを盛りつけ、揚げたてのかつ類を受け取って配膳。なんとも気持ちの良いコンビネーションだ。
しばし後、いよいよ僕のトルコライスが到着。
お、もっと皿の上がごちゃごちゃっとした料理かと思いきや、想像してたよりずっとシンプルだな。レモン型で美しく盛られたケチャップライスに、チキンカツ、それからキャベツの千切り、レタスの上に自家製のポテトサラダ、で、パセリ。以上。なんだか様式美を感じる世界。
中華屋なんかでよく、店名入りのオリジナル皿は見るけれど、「日の出とんかつ」の文字が削りこまれたピカピカのステンレス皿もかっこいい。けっきょく、トルコライスの定義はわからないままだけど......(と思ってあとから調べてみたところ、とんかつ、ピラフ、スパゲティが一つの皿にのっていることを基本とするものの、広義では「1皿に多種のおかずが盛りつけられた洋風料理」らしく、つまり、店ごとにけっこう自由な料理のようだ)。
いざ、いただきます! と、まずはいつものように、かつのひと切れ目にしょうゆをかけてかぶりつく。さっくさくで、クセのまったくない衣に包まれた、ぷりんぷりんの鶏肉。なんて軽快なかつなんだ! すかさずごくごくと飲むビールに合いすぎる!
続いて、しっとりとしたケチャップライスをスプーンですくってぱくり。甘くて、ほんのり酸っぱく、ときにアクセントを加えてくれる玉ねぎの食感も素敵。
しばしそのハーモニーを堪能したら、無論、ソースどぼどぼタイムに突入。これまた華やかな酸味のさっぱり味で、この店のかつにばっちりだ。さくさくぷりぷりのソースチキンカツと、しっとりケチャップライス、そしてビールのループ。何度くり返しても幸せすぎる......。
と、気づけば夢中になって食べつくてしまっていた。けれども、しつこさのないチキンカツと絶妙に適量なケチャップライスのおかげか、揚げものでありながら、胃にもたれるようなことが一切なく、ただただ満足感だけが残る一食だった。あ~、幸せ。
この世には、"完璧な存在"というものが少なからず存在する。それはたとえば、崎陽軒の「シウマイ弁当」であったり、富士そばの「朝天玉そば」であったり。もちろん僕の勝手な基準ではあるけど、そのなかに確実に、日之出の「トルコライス」の存在は刻まれた。当初の「とんかつでゲン担ぎ」という目的はまったく果たせなかったものの......とてもいい出会いだったから、まぁいっか!