コロナ禍でめっきり減っていたが、海外旅行解禁ムードの高まりで、今夏、タイ・バンコクを訪れる日本人旅行者が増加中。そこで、裏社会やスラムの取材を生業とする"バンコク通"丸山ゴンザレスさんに、今訪れるべきアングラ・ディープスポットを紹介してもらおう!
(この記事は、8月8日発売の『週刊プレイボーイ34・35号』に掲載されたものです)
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■夏旅なら〝裏バンコク〟へGO!
タイの首都、バンコク。この街に対して「親日的で日本語が通用する発展途上国の都市」だとか、「ノスタルジックなアジアの雰囲気」だとか、10年以上前の固定化したイメージを抱いていないだろうか。
この街の変化はとんでもなく速い。しかも、今、マリファナの家庭栽培解禁による〝グリーンラッシュ〟の真っただ中である。コロナ禍で観光客が減っていたが、マリファナという新たな観光資源が創出された。出入国の制限も緩和され、観光客も戻りつつある印象だ。
そのあたりのことは前回お伝えしたが、「この夏、タイに行くけどマリファナなんて興味がない」という人も多いだろう。そこで、世界中の裏社会やスラムを取材してきた筆者が、今行っておくべき、ちょっとヤバくて面白いバンコクの裏名所を紹介しよう。
■幽霊多発の〝名もなきスラム〟
午前中の強い日差しを浴びながら最初に訪れたのは、BTS(バンコク・スカイトレイン)のプルンチット駅から程近い場所にある〝名もなき優しいスラム〟である。
バンコクのスラム街といえば、最大の規模を誇る「クロントイ」が有名だが、それ以外にも無数に存在している。巨大都市のビル群だけでは塗り潰(つぶ)せない街中の隙間、エアポケットのような場所に目を向けると、〝名もなきスラム〟が無数に存在しているのだ。とくに運河や高架下、線路沿いなどに多い。
プルンチット駅から程近い場所にあるこの〝名もなきスラム〟はほかの所に比べて、とくに優しいスラムである。ここを発見したのは2018年頃、バンコク在住20年のライター、髙田胤臣(たかだ・たねおみ)さんと一緒にオカルト取材をしているときのことで、まったくの偶然だった。
「なぜにオカルト?」となるかもしれないが、タイは伝統的な精霊信仰や妖怪、呪物、怪談の宝庫であり、世界中から注目を集めるオカルト大国になりつつあるのだ。
この〝名もなきスラム〟にも、香港・タイ・シンガポールの合作映画『The EYE』で有名になった心霊スポットがある。1990年にタンクローリーが看護師寮に突っ込んで炎上する大惨事が起きた所だ。その事故以来、幽霊目撃談多発地帯となっている。
ちなみにオカルト方面の取材については髙田さんが著者となり、筆者が企画・監修を務めた『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)に収録しているので、興味のある人は参照してもらいたい。
さて、話を本筋に戻そう。〝名もなき優しいスラム〟に足を踏み入れると、線路と運河に挟まれた細長い一本道のスペースに、小屋っぽいものから割としっかり建造された家まで、さまざまな家屋が立ち並んでいるのがわかった。食堂、雑貨屋、洗濯屋などの店もある。
外部から来た人間に対しても、住民たちはとくに険しい雰囲気を出すこともない。挨拶(あいさつ)をすれば素直に返してくれる。このあたりの擦れてなさも、この場所の歩きやすさにつながっている。
そして、このスラム最大の盛り上がりポイントは、出口付近の運河に架かっている橋だ。ここを歩いていると名作映画『スタンド・バイ・ミー』気分を味わえてしまうのだ。
この橋は線路も兼ねているが、電車はほぼ来ないので、住民たちはここをバイクで走り抜けたりして、当たり前のように利用しているのが驚きでもある。
橋を渡りきると大通りに出る。ここがスラムのゴールだ。たいていのスラムは迷路化しているため、入り口から出口まではっきりとわかるこのスラムは、スラム歩きをする人にとって何より優しい。いずれにしても、スラムは生活空間である。そのことをわきまえて探索してもらいたい。
■UFOを引き寄せるショッピングモール
橋を渡って〝名もなき優しいスラム〟の探索を終えたら、すぐに「パンティップ・プラザ」に着く。正直言って、流行には乗れておらず、オワコン化が著しいショッピングモールである。
この場所が実はUFO目撃スポットだというのは知る人ぞ知るところ。これはバンコク在住ライターの女性から聞いたのだが、タイでも有名なUFO信奉団体のリーダーが訪れて、ここでUFOと遭遇したという。だが、今は状況がよくない。
昔は家電や電気部品などを扱う店も多く、そこから勝手に電磁波が出てUFOを引きつけていたというが、現在はコロナの影響と改装工事に伴う立ち退きで、テナントは8割近く出ていってしまった。
そこで今回の街歩きに際して、私は友人のUFO愛好家にアドバイスをもらってきた。彼は沖縄で独特な手段を用い、高確率でUFOに遭遇している。その手段とは、エロいことを念じた波動をUFOに送るというもの。彼いわく、「引き寄せの法則」らしい。
パンティップ・プラザで実践してみるも、とくに何も起こらず。おそらく私の念では足りなかったのだろう。この記事を読んだ皆さんが訪れることで念が蓄積したら、UFOが現れるかもしれない。今後に期待である。
■旧市街で売られる不気味な呪物の数々
都心部から西側の旧市街へと移動した。向かったのは王宮の裏手、チャオプラヤー川沿いのタープラチャン市場。ここはタイ伝統のお守り「プラクルアン」の市場としても知られているが、今回のお目当ては別のものである。
この市場では「呪物」が売られているのだ。大人気マンガ『呪術廻戦』でご存じの方もいるだろうが、呪いの込められた物のこと。オカルト大国であるタイには、日本で知られていない呪物が数多く存在している。
この市場には私も以前訪れたことがあるが、そのときは運河などから引き揚げられた古いプラクルアンを探してのことであった。今回は呪物を目的に市場内をうろついてみた。すると、プラクルアンに隠れて多くの呪物らしきものがあった。
まずは「クマントーン」。これは日本で言うところの座敷わらしである。子供の姿の人形で、タイの人々は精霊として信仰しているのだ。
ただし、呪物のクマントーンとなると一筋縄ではいかない。人形の素材に子供の骨を練り込んだり、人毛を使ったりしているからだ。そういった呪物は見た目にもまがまがしいオーラがハンパないので、素人目にも明らかなのである。
実際に私も、とある店舗にひっそりと置かれたクマントーンを見て、目が離せなくなってしまった。すすけた表面と微妙なシルエットが気に入って記念に買っていこうかと思ったが、値段を聞くと数千バーツ(日本円で4万~5万円ほど)だったので、正気に戻って撤退してしまった。変わったお土産が欲しい人には必見の市場になっているので、ぜひ訪問してもらいたい。
■幽霊が出る悲劇のホテル
さらにディープな名所に触れるなら、ラタナコーシンホテルがいいだろう。
このホテルは悲劇の舞台になった歴史がある。1973年、クーデターを武力鎮圧した「血の日曜日事件」が起きた当時、民主化運動の主体だった学生たちが逃げ込んだ場所であり、鎮圧の際に銃撃されて死亡した学生たちの死体置き場となったとも伝わっている。
見た目には立派で歴史のあるホテルのため、悲劇の歴史を感じ取ることはできないのだが、ここに以前訪れたときには、フロアの奥のほうに不思議な張り紙を見つけた。タイ語で「夜は使うな」と書かれていた(今回はその紙はなくなっていた)。
どうしてなのか。賢明な読者諸君ならわかるだろうが、「出る」のだ。張り紙のある場所は現在トイレになっている。筆者も入ったことがあるのだが、特筆するような体験は得られなかった。
だが、今回の取材に同行したバンコク在住カメラマンの明石直哉さんはデートでたまたま訪れた際に、彼女のほうが体験してしまったという。
彼女はこのトイレにいやな感じがしたが、ほかにないので仕方なく利用した。明石さんはここが心霊スポットであることは知っていたが、日中だったので黙っていた。しばらくすると彼女は怯(おび)えた表情でトイレから出てきた。
「隣からずっとトイレットペーパーを引き出す音がして怖かったんだけど、誰か出てきた?」
明石さんはトイレの外で待っていたが、誰も出てきていない。念のため確認すると、3つある個室はどこも空いていたそうだ。
■25年前のバンコク? 王宮隣接の闇スポット
さて、ラタナコーシンホテルまで来たら、裏手の道を散策してもらいたい。王宮に隣接するバンコク屈指の観光地にありながら、ホームレスと底辺売春婦の多さでは市内屈指でもあるのだ。
昼間から客をとることもあり、値段はホテル代込みで1000バーツほど。風俗の値上がりが止まらないバンコクではありえない安さである。
このエリアには、大阪・西成の泥棒市場的な感じで謎の雑品が路上で売られていて、好きな人にはたまらない風情となっている。
ちなみに、先ほどの明石さんはフォトウオークを主催していて、古い建物が多いこの場所で撮影しながら歩くそうだ。参加者の中には何年もバンコクに住んでいる人も多いが、ここに初めて来て衝撃を受ける人もいるという。
私はといえば、25年前に初めて来た頃のバンコクに少し似ているかも、と懐かしさを感じた。今では失われつつある、かつての猥雑(わいざつ)さの名残のようなものがここには漂っている。
■中華街の屋敷に生える「自殺のベンジャミン」
さて、最後はまとめてふたつの裏名所をお届けしたい。
ひとつはワチラ病院裏の通りだ。カオサン通りから車で10分ほど北上した場所にあるので、近いといえば近いが、旅行者が行くような場所ではない。
この場所は心霊スポットではあるのだが、幽霊に会えなくても不思議な風景を見ることができる。それは〝路駐が見られない道〟である。
バンコクでは、どこの道でも乗用車はもちろんのこと、タクシーやトゥクトゥクが路駐している。それが当たり前の風景なのだ。ところが、ワチラ病院裏の道では路駐が見られない。私が訪れた際にも路駐している車は一台もなかった。なんの変哲もないただの道なのに、だ。むしろ、路駐しやすいぐらいの幅があるのに、だ。
次のスポットに向かう際に拾ったタクシーの運転手に、この道のことを尋ねてみると、「昔は幽霊が出たけどね。今はいないんじゃない?」とさりげなく説の肯定と否定をかましてきた。
気を取り直して、もうひとつの裏名所「自殺のベンジャミン」に向かう。
旧市街の一角、ヤワラー(中華街)にある。ここはそれほどメジャーな観光地ではないが、日本人にはなじみのあるエリアだ。かつて日本人バックパッカーのたまり場だった伝説のジュライホテルや台北旅社などがあり、古い旅本には必ず登場した定番の場所だからだ。
私も何度も訪れたことがあるのだが、「自殺のベンジャミン」という存在を今回初めて知った。
教えてくれたのはライターの髙田さん。彼にもらった地図データを参照しながら、ヤワラーの表通りから複雑に入り組んだ路地の奥に進んだ。
古い屋敷から飛び出すように生えている木があった。これが目的のベンジャミンだ。人名ではなく、木の名前である。植物に明るくない私には、目の前にある大きな樹木がベンジャミンなのかどうかもわからない。
この木の横には、かつて海南人(中国南部・海南省の民族で移民として東南アジア各地へと移動した)が経営していた商人向けの宿があったそうだ。そこに宿泊していた人たちが何人もこの木で首を吊つったという。
時を経て宿はなくなったが、その後も首を吊るタイ人が続出したために、地元では木の名を取って、「自殺のベンジャミン」と呼んでいる。
現場に立つと悲劇を感じられる雰囲気はないものの、古い建物特有の郷愁のようなものが漂っていた。
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コロナ禍で営業が確認できなかったり、エリアが離れているため紹介しきれなかったりした場所にも、裏名所に認定できるものは多い(むしろそっちのほうが多い)。
軽く挙げるだけでも、ファランポーン駅前のゴザ居酒屋、マッチョ酒場、生肉が食える屋台、特定のメニューがオーダーされると火柱の上がる屋台などなど。私が魅了されるスポットは、地元の人からすれば日常風景の一部にしか見えないものばかりだ。
これらの裏名所は、新旧の入れ替わりの速いバンコクでいつまで残っているかわからない。これから訪れる人には、ぜひともその移り変わりの速度を含めて楽しんでもらいたい。ただし、裏名所は通常の観光地とは違うので、どこで何があっても責任は負いかねます。
●丸山ゴンザレス
1977年生まれ、宮城県出身。考古学者崩れのジャーナリスト。國學院大学学術資料センター共同研究員。『クレイジージャーニー』(TBS)に危険地帯ジャーナリストとして出演し、人気を博す。最新刊は村田らむ氏とのコミック『危険地帯潜入調査報告書』(全2冊、竹書房)
●バンコク裏名所を訪ね歩く様子はYouTubeチャンネル『丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー』で公開! ヤクザ、半グレ、芸能の怖い話、反社会的勢力などについて深掘りする"解説型教養バラエティ"。9月14日現在で登録者数は85万人超の人気チャンネル