ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。

それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。

そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。

* * *

原稿の締め切りが重なり、珍しく遅い時間まで仕事が終わらなかった。といっても夜の9時くらいまでなんだけど、そもそも僕は朝型人間で、早ければ4時、遅くとも6時台くらいには起きて仕事を始めていることが多い。なので、だいたい早めの夕方にはその日のノルマを終え、さて、今夜はなにをつまみに一杯やろうかな、なんてそわそわしながら、駅前まで買いものにくりだすのが通例になっている。会社員時代の感覚で言えば、残業4、5時間、といったところか。  

なので、ふだんは僕が行くことも多い娘の保育園のお迎えも、家の夕飯も、風呂入れも、仕事終わりの妻にぜ~んぶお願いしてしまい、ひたすら家の近所に借りている仕事場で作業をして、へろへろになりながら終業。今日は昼にコンビニで買ったサンドイッチを食べただけだから、お腹もぺこぺこだ。  

ただし、"がんばった仕事後の一杯"ほどうまい酒はないので、ここは妥協したくない。今日という1日を乗り切ったごほうびに、なにかちゃんと美味しいものを食べ、それをつまみに、おつかれさまの一杯を飲みたい。妻子はそろそろ寝る準備を始めているころだろうから、たまの夜の外食だな。  

漠然とそんなことを考えながら、地元石神井公園の駅前まで向かってみることにした。9月の夜の、暑くも寒くもない空気を肌で感じながら、散歩がてらの道中に考える。なにを食べよう? そうしたら、思い出した。  

まもなく発売されるスズキナオさんとの新刊共著『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』のサイン本作りのため、1週間ちょっと前、ふたりで版元であるスタンド・ブックスを訪れた。スタンド・ブックスは石神井にある出版社なので、僕は気軽にふらっとだが、ナオさんは現在大阪在住であり、他の東京での予定と合わせて、なんとか都合をつけて。  

そのサイン本が、ありがたいことになんと600冊。さらに、各自の既刊本も合わせると、それぞれ1日で合計約800冊の本にサインをするという、なかなかない経験をさせてもらった。午前11時に作業を始め、1時間の昼休憩を挟み、終了したのが午後9時。きっかり8時間だ。

当然その日もへろへろになり、スタンド・ブックス代表の森山さんと3人、意地でもどこかで打ち上げをしたいと駅前へ向かった。運良くもつ焼きの名店「加賀山」のたったひとつの座敷席が空いていて、そこで飲んだ生ビールと、もつ焼きのうまさといったら......。  

ところで、僕とナオさんはふたりで「酒の穴」なんてコンビを名乗って活動しているから、似たもの同士という印象を抱いている方も多いかもしれない。が、お互いにしみったれた酒飲みであるということを除き、意外と正反対な部分も多かったりする。  

酒場での飲みかたにしてもそうだ。僕はどちらかというと、しっかりとつまみを食べながら飲みたいタイプで、肉やら魚やらのメイン的なものを選ぶのはたいてい僕。対してナオさんは「私は本当に、ちょっとしたものさえあれば」というタイプで、お新香とか、おひたしとかといった小鉢ものを選びがち。でまた、そういうものを「ほんとに足りる? 大丈夫?」という量つまむばかりで、満足そうにニコニコと飲んでいるのだ。  

ただし、ややこしいのはここからで、ナオさんは大変なラーメン好きであり、ラーメンであれば、飲んだあとでもわりと食べられるらしいのだ。対する僕は、シメという概念が希薄で、飲んだあとにラーメンを食べた記憶というのが人生でほぼない。  

森山さんもまたラーメン好きであり、その日の終盤はラーメンの話で盛り上がった。当然、話は石神井の名店「井の庄」に及ぶ。井の庄とは、唐辛子と魚粉を混ぜた「辛魚粉」を使った激辛のつけ麺、ラーメンが名物の、全国にその名を馳せる有名店。それが地元にあることは、石神井民の自慢のひとつでもある。  

その井の庄に、ナオさんは一度も行ったことがないという。それを聞いて森山さんは、「ぜひ、ナオさんに井の庄を味わってほしいなぁ」と言っている。しかもだ。井の庄のメニューで森山さんが好きなのは、代名詞たる「辛辛つけめん」でも「辛辛らーめん」でもなく、シンプルな「中華そば」なのだとか。  

そんな話がしばらく続き、「よし、このあと行きましょう!」という話になった。最初はナオさんも「別にもう腹は減ってないし、どうしようかなぁ」という感じだったけれど、「そこまで言われたら行きますか」と、最終的に話がついた。  

が、3人で10本頼んだもつ焼きのうち、都合、5本ぶんは僕が食べている。残りの3.5本を森山さん、1.5本(少ない!)をナオさん、というくらいの割合だろうか。はっきり言って、僕は絶対に、もうラーメンは食べられない。なのでひとり、コンビニでチューハイを買って近くのベンチで飲みつつ、ふたりがラーメンを食べるのを待っていることにした。  

心地よい疲労と、ほどよいほろ酔い感に包まれて夜空を見上げつつ、「今、ふたりは井の庄の『中華そば』を食べているんだよなぁ......」と考えていたら、なんだかおかしくなってきた。だってナオさん、大阪在住で、井の庄は初めてで、次にいつ来られるかもわからないのに、看板メニューの「辛辛魚(からからうお)」ものを食べないなんて! 昨年、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』という著書を出された氏だが、それにしたって"じゃないほう"にもほどがある。  

僕は石神井在住歴がもう長いし、妻がラーメン好きということもあって、複数回井の庄へは行ったことがある。ただしもちろん、毎回、辛辛魚ものを食べていた。つけ麺にはあまりなじみがないので、辛辛魚らーめんばかり。あれ、本気の本気で辛いんだよなぁ。店員さんが注文のたび、「辛さ控えめにもできますけど、どうしましょう?」と聞いてくれるんだけど、僕は辛いもの大好きなので、力強く「大丈夫です」と答える。

しかしながら実際に食べはじめてみると、その容赦ない辛さがひと口ごとに蓄積し、うまい! んだけど、ちょっとこれ、いくらなんでも辛すぎないかしらん......と、最後には泣きながら食べきることになるのだった。  

回想がずいぶん長くなってしまった。  

とにかくそういう意味で、なるほど、森山さんの推す辛さのまったくない「中華そば」は、めちゃくちゃ魅力的じゃないか! 急に食べたい! よし、決まり!  

昼夜のピークタイムには行列の絶えない人気店だが、タイミングが良かったのかすんなりと入店できた。入り口で迷いなく「味玉中華そば」、そして「生ビール」の食券を購入。店員さんに「生ビールのタイミングどうしましょう?」と聞いてもらうが、もうのどの"ビール欲し度"が限界だ。「先で大丈夫です!」と伝える。
 「生ビール」(550円) 「生ビール」(550円) 
すぐに届いた生ビールの、なんとみずみずしい存在感。とはいえ、ラーメンが届くまでは大切に飲まなければと、ゆっくりゆっくり、1/5ほどを飲みこむ。っふぅ~......これは、効くな......。  

「味玉中華そば」(970円) 「味玉中華そば」(970円) 
人気店らしいスピーディーさで提供された、これが井の庄で初めて対峙する、辛さなしの中華そばか。  

まずは試しにと、れんげでスープをひと口。......うわっ、うめっ! な、なんだこの高次元に完成された味わいは!  

まず香るのは魚介、それから動物性の、とんこつか? 鶏油っぽいうまさもあるような気がするけど......まぁどうせバカ舌、細かいことはいいや。とにかく、旨味は濃いがすごく上品で、だけど動物性の脂のこってり感がちゃんとある。それから、ほんのりとかすかに、ゆずの香りがする気がする。これがなんとも雅だ。すごい。辛さを廃して味わっても圧倒的な、井の庄のスープの完成度。思わずそのまま、5口、6口とすすり続けてしまい、はっと我にかえる。

存在感がすごすぎるチャーシュー  存在感がすごすぎるチャーシュー  
極太の麺 極太の麺 

絶妙な半熟具合の味玉 絶妙な半熟具合の味玉 
目の前にはまだまだお宝の山がザクザクだ。これを今から、ぜんぶひとりじめしていいんだ。うまいラーメンって、本当に、フルコース料理だよなぁ。  

まずは厚みも幅もものすごいチャーシューをじゅわりと噛み締める。僕の大好きな豚肉の香りと、脂身の甘み。それが絶品スープと絡み合い、チャーシューと一緒に自分までとろりととろけてしまいそうな、至福の味わいだ。  

口のなかで踊る、わしわしっとした硬めの極太麺もいいし、これまた極太のメンマも食べごたえ抜群。絶妙な半熟具合の味玉はもちろん、なるとまでがふわりとジューシーで絶品なのには思わず笑った。  
と、ぞんぶんに辛さのない中華そばを味わったところで、卓上の壺に入った唐辛子を足してみようと思いつく。するとこれが、単なる唐辛子ではなくてオリジナルにブレンドしたものなのだろうか? ピリピリと刺激的な辛みが加わるだけでなく、ゆずの香りがさらに増幅されたようで、またまたうまい!

辛みをプラス辛みをプラス
唐辛子粉が徐々にスープに混ざっていくと、中華そばが、辛辛魚らーめんのニュアンスに少しずつ近づいていく気がする。とはいえ、自分での調整が可能だから、あそこまで辛くなく、最後まで余裕で食べられる。これはお得だな。井の庄で辛くない中華そば。超ありだ。

辛辛魚っぽさも味わえてお得!辛辛魚っぽさも味わえてお得!
ただ、この原稿を書いている今、正直になにが恋しいかというと、あのひーひー泣きながら食べる、激辛の辛辛魚らーめんだったりする。  

まぁ、辛辛魚と中華そば、気分で選べる選択肢が自分のなかで広がったことだし、地元にあるからいつだって行けるし。ありがたいことだ。  

【『パリッコ連載 今週のハマりメシ』は毎週金曜日更新!】