ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
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大ヒット漫画&ドラマ『孤独のグルメ』の原作をはじめ、日本が誇る大作家として活躍中の、いや、もはや"偉人"である久住昌之先生と、おそれおおいにもほどがあることに、対談イベントをさせてもらった。西荻窪にある「今野書店」というお店が主催で、久住さんの新刊『勝負の店』の発売を記念したもの。
昔から久住さんの大ファンであるけれど、『勝負の店』もやっぱり最高におもしろかった。その内容は、久住さんが自らの足で街を歩き、この店は自分にとっていい店なのかそうでないのかと五感をフルに働かせ、いざ、勇気を出して入店し、実際に飲み食いしてみる。というもので、久住さんの真骨頂とも言える。
この本を読み、あらためて新鮮だったのは、久住さんほど未知の飲食店に挑む経験を積まれた強者は日本にそういないはずなのに、作中で、毎回ものすごく葛藤されている点。扉を開けた瞬間に常連さんたちにじろりとにらまれたらどうしよう......。個人店の大衆酒場にそんなイメージを感じ、だからこそ入りづらいと感じる方は多いと思うが、久住さんはいまだ、その純粋さを持ち続け、だからこそ、それぞれのお店での体験を最大限楽しめるのだろうと勉強になった。
また、イベント中にどうしても気になり、お聞きした質問に対する答えにも感動した。
「久住さんは、入ったお店の料理が口に合わなかったとき、やっぱりがっかりしますか?」
「うん。そりゃあ悲しいね」
僕は酒場めぐりをしていて、たとえば一般的な観点から言えばちょっとおかしな店に入ってしまい、まったく味のしないおでんなどが出てきたときに、「これはおもしろい!」と喜んでしまうほうだ。けれども久住さんは、あぁ、人生の貴重な1食があまり美味しくなかった......と悲しまれる。
よく考えてみれば、それこそが飲食店とまっすぐに向き合っている証拠だし、「なにかのネタになる」なんてうがった見かたでとらえてしまう自分のほうが純粋じゃないなと。自分は本当にまだまだだなぁと、初心にかえらされた。
とはいえ、僕も未熟者とはいえ一応同業者であるし、また、飲食店と勝負するのが最大の楽しみである男だ。それで思い出したのが、つい数日前にランチを食べた店のこと。
阿佐ヶ谷に用事があり、せっかくなのでちょっと早めに家を出て、昼メシを食べつつ軽~く一杯やりたいなと思って、ふらふらと街を散歩していた。JR阿佐ヶ谷駅から、地下鉄丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅へと続くアーケード商店街「パールセンター」を端とその終点あたりに、たこ焼きやお好み焼きなどをテイクアウト販売している店があった。
なんだかいい佇まいだなと思って近寄ってみると、焼きそばや、懐かしの「原宿チーズドッグ」、たこ焼きのたこを海老に置き換えたらしき「エビ焼き」なんてものまで売っている。さらに興奮したのは、店頭の「ランチサービス」ののぼりだ。どうやら2階が食堂になっていて、そこで飲食ができるらしい。見ると、ラーメン、そば、うどんに定食など、必要最小限のメニューが書かれた看板が出ている。
さぁ、勝負の時間だ。ドリンクメニューは見当たらない。つまり、酒類があるのかないのかわからない。けどな~、こんなにも酒に合いそうなメニューばかりを店頭で売っている店。ビールくらいはあるだろう。また、たとえばラーメンをメインで頼んだとして、気になるのがエビ焼き。それを下で頼んで運んできてもらって、酒のつまみに......なんてことも、きっとできるだろうな。よし、入るか!
細い階段を2階に上がってゆくと、窓の広い、広々とした食堂スペースにたどり着いた。4人がけのテーブルが数席、ゆったりと配置されている。家族経営なのかな。さっき1階にいたのがご夫婦っぽくて、こちらの担当はそのお母様だろうか。ひとり、カウンターのなかに座っている。そういえば店名がどこにも見当たらないが、調べてみると「らんふぁ」という店らしい。
メニュー表はなく、壁に貼ってあるのが全部のよう。それがものすごくシンプルで、こんなラインナップだ。
・カレーうどん
・カレーラーメン
・カレーそば
・ざるそば
・ざるうどん
・塩ラーメン
・焼肉定食
・焼鮭定食
・焼鯖定食
麺類はどれも税込み600円で、定食は780円。すべてに(小皿付き)の表記があり、小皿をかなり推していることがわかる。
さぁどうするかな。うどんとラーメンとそばが並んでいるということは、特にどれにこだわりがあるというようなこともきっとないんだろう。ならばふだんいちばん頼まないメニューで「カレーそば」、いってみるかな。と、女将さんに注文し、合わせて聞いてみる。
「こちらは、ビールなんかは置いてますか?」
「すいません、ないんです」
うおー! ないんだ! そうか~。いやいや、もちろんそのパターンもあるだろう。地元の人にリーズナブルにお昼ごはんを食べさせることに特化した店。いや~、でもな~、あんなにお酒に合いそうなメニューを1階で販売しておいてな~。そうか~......。
今日の僕は、久住さん流に言えばこの時点で、勝負に負けたわけだ。が、気持ちを切り替えよう。別に、酒がなければ食事じゃないわけではない(当たり前のこと言ってるな)。今日は純粋に、この店のカレーそばを味わって帰ろう。 そんな心がまえで待っていると、しばらくしてカレーそばが到着し、僕は驚いた。
というのも、まずは巨大などんぶりにたっぷり入ったカレーそばのボリューム。さらに、大プッシュされていた「小皿」の充実っぷりだ。
カレーそばの具は、厚切りのかまぼこふた切れに、ゆで玉子半分に、刻みねぎに、わかめ。それから小鉢は、玉子焼き、たくあん、きんぴらごぼう、ミートボール。いやいや、いやいや、いやいやいやいやいやいや、これはもうさ、最高に飲める布陣じゃないですか。あっちこっちをちびちびつついて、ビールの大瓶、3本はいけるやつじゃないですか。
と、言ったってしょうがない。それに、塩気抑えめでほんのりと甘いきんぴらや、みしっとした玉子焼きの優しい味わいは、癒しだった。きっと女将さんの手作りなのだろう。懐かしのお弁当味のミートボールも、ごく普通のたくわんも大好きだ。しかしひと口食べるごとに酒が恋しく、コップの水を"エア酒"だと思いこんで飲みながら食べた。
でもまぁ、ふだんから酒びたりの僕であるからこそ、こんな食事もたまにはいいなと思いはじめる。そうだよ、別に、酒は「主」で、料理は「従」ってわけじゃないんだよな。
そしてなによりも、メインのカレーそば。これがすごい。だしの味が効いたほんのりと甘めのカレー味で、そこに僕の大好きな豚肉の旨味が効いているような気がする。そのスープのなかに、茹でおきなのだろう、ふわふわと柔らかい麺がたっぷり。どんどん汁を吸い、食べても食べても、なぜか増えていくパターンの麺だ。最近めっきり少食になった自分には量が多いけど、しかしクセになる味わいで箸が止まらない。
そんなこんなで、すべての料理を平らげたらもう大満腹。どう考えても、600円でこの内容はとんでもない。
根っから酒好きな自分は、またこの店に来るだろうか? せっかく阿佐ヶ谷に来たからと、次はきっと酒のある店を探してしまうかもしれない。だけど、絶対にいつかまた食べたくなる、優しい優しいカレーそばだった。勝負に出なければ決して味わえなかった味。
そういう意味で今日、僕は勝負に勝ったのかもしれない。