ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。
それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。
そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。
* * *
高円寺という街にはやたらと縁があり、特に20~30歳くらいまでの間はずっと入り浸っていた。なので、用事で久々に訪れるたびに散策しては、「あぁ、好きだったあの店も、あの店も、もうなくなってしまった......」と、わざわざ切なさ成分を、自分から補給しているようなところがある。
昨日もまたそんなことをしていて、ある1軒の洋食屋が目に入った。店名は「クロンボ」。そこまで古い店には見えないが、看板の味わいやメニュー構成は、どう見ても老舗。ふと思い出す。そういえば高円寺でよく遊んでいた時代に、みんなのたまり場と化していた友達の家。そこから見えるビルの2階に、今はもうない、同じ名前の店があった。当時は「いかに安く酒を飲むか」ばかり考えていたので、確か1、2回行った程度だったけど、いい店だったような記憶はある。
きっと、あそこから移転してきた店なんだ! 懐かしいなぁ。ちょうどお昼のピークタイムを過ぎた頃合いで、店にも余裕がありそうだ。よし、今日はここで、切なさ成分を補給していこう。
店頭のメニューを見ると、2大名物らしき「ハンバーグステーキ」のセットがライスとみそ汁つきで580円、「カレーライス」がみそ汁つきで550円と、安い。その他「チーズハンバーグ」に「ダブルハンバーグ」に、「チキンカツ」「クリームコロッケ」「カツカレー」「スパゲティナポリタン」、A~Eまで揃う「セット」と、どれもこれも気になる。
が、その横にあった手書きの「サーヴィスランチ」のボードを見つけてしまったら、もはや他のものを頼む気がなくなった。
なんてったって、サー"ヴィ"スランチだ。しかもよく見ると、赤、青、黒と3色のマジックを使い分けて書かれていて、星マークや「!!」のかわいさといったらない。それと達筆の文字との対比もいい。
って、文字の味わいにばかり見入ってしまったけど、ハンバーグとメンチカツとピーマン肉詰めとハムエッグの盛り合わせに、ライスとみそ汁までついているなんて豪華すぎる。まさに、サーヴィスランチ! 決まりだな。
ドアを開けると、白を基調としたピカピカの店内が気持ちいい。シンクからレンジフードまでこれまたピカピカに磨きあげられた厨房に、いかにも年季の入ったご主人が立っている。コック帽に白いズボンを履いているんだけど、なぜか青と白の太いボーダー柄のTシャツを着ていて、それを見た瞬間、深い理由はないけれど、「あ、高円寺だ」と思った。
券売機で「ビール(中瓶)」(500円)の食券を買い、ボタンのないサーヴィスランチは口頭で告げて現金で払う。「お兄さん、うちは初めて? なんだかややこしいシステムですみませんね」と、ご主人の物腰がものすごく柔らかい。
カウンターにひとりだけいた先客の前の皿をちらりと見て、僕が伝える。
「すみません、ごはんは半分でお願いします」
するとご主人。
「はい。じゃあ、よそうときにまた聞きますから、お好みを言ってくださいね」
先にやってきた瓶ビールは、昨今意外とレアな「ザ・モルツ」だ。ビールらしい旨味の濃いそいつをグラスに注いでちびちびとやっていると、ご主人の調理が始まる。
フライパンではなく、厨房にしつらえられた専用の小さな鉄板で、ハンバーグや目玉焼きを焼きつつ、横では揚げ物を揚げる。キャベツの千切りと、ゆでただけのパスタ、いや、スパゲティ。その上に料理を盛りつけてゆき、大きな缶からおたまですくったソースを全体に。最後に四角いハムをぺらり。ハムエッグ、そういうスタイルできたか。
続いてごはんタイムだ。ご主人は巨大なジャーを開けると、宣言どおり、「お兄さん、ごはんをよそいますからね」。と、しゃもじで少しずつ、「このくらい? もう少し?」なんて聞きながら、ゆっくりとごはんをよそってくれた。ほどよい量になり、僕が、「あ、そのくらいで! ていねいにありがとうございます」と言うと、ご主人は「いえいえ、こちらこそありがとうございます」と笑った。
目の前に届いたサーヴィスランチは、美味しいものだけを詰め込んだ、夢のようなセット。ハンバーグにメンチカツにハムエッグ。珍しいのはピーマンの肉詰めで、これもフライになっている。
ごはんからはふわりと甘い香り。卓上に「のりたま」があるのがまた嬉しく、最初のひと口めはのりたまごはんで食べてみた。
のりたまごはん、食べたのはいつ以来だろう。心が20代どころか、子供時代にまでタイムスリップしてしまいそうだ。
さて、いよいよセットのおかずたち! まずはハンバーグにかじりついてみると、もっとこう、なんというか、"チープな良さ"みたいな味を想像していたので驚いた。ぎゅぎゅっとした食感の牛肉に旨味がたっぷりで、大きさは小ぶりながら、どこか荒々しくすらある絶品なのだ。
そして、あぁ、懐かしい。これはまさに、10年以上も前に食べたあの味! ......なのかな? よく考えると、当時なにを食べたかも覚えていないんだもんな。けれどもやっぱり、どこか懐かしい気がしないでもないような......。いやもう、そういうことにしておこう。
ハンバーグ同様の方向性のメンチカツも、シンプルな味のハムエッグも素晴らしいし、とりわけ、ピーマンの肉詰めフライには、へぇ! とうなった。衣につつまれたピーマンがじゅわりと甘く、ほんのり苦い。それが、さくりとした衣と、肉、そして、見た目よりもキリッとシンプルな味わいのソースと、相性ばっちりだ。
帰り際、お会計のついでにご主人に聞いてみる。
「こちらって昔、南口のビルの2階にあったお店ですか?」
「いえ、違うんですよ。昔は阿佐ヶ谷や中野にも系列店があったんですけどね、今はうちだけになっちゃってね」
......あ、違うのか。そりゃあ、いくらがんばっても懐かしくないわけだ。無理やり懐かしがろうとした自分が恥ずかしい。
ともあれ、高円寺にまた行きたいお店がひとつ増えたのは嬉しい。こっちのクロンボにこそ、まだまだ末長く営業を続けてほしいものだ。