ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。

それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。

そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。

* * *

コロナ以降、いちばんの趣味である散歩の時間が目に見えて減っている。かつては日々あちこちに取材や打ち合わせに出かけては、そのついでにやたらと歩いていた。積極的に体を動かす習慣のない僕にとっては、これこそが唯一の運動でもあり、最近はちょっと体がなまっている感じがする。

が、最近は、オンラインもまだまだあるけれど、実際に編集者さんと会って仕事をすることも増えてきた。ある午後、飯田橋での打ち合わせを終え、いい機会だからそのまま久しぶりに、神楽坂でも散歩してみようと思い立つ。そこそこ距離のあるこの坂を上って下りてくれば、それなりの運動になるだろう。ついでに遅い昼メシでも食べようか。

神楽坂下  神楽坂下

神楽坂といえば高校時代、この近くに友達の家があって、遊びに来てはよく無意味に徘徊していた。が、イメージどおりこの界隈に、高校生が気軽に入れるような店などない。それから現在に至るまで、数えるほどしか飲みにきた記憶もなく、まぁ、僕にとってはそのくらいの距離感の街だ。

坂のいちばん下にある雑居ビルの1軒に飲食店が数店入っていて、2階はちょっとした横丁のようになっており、いくつかの小さな酒場が並んでいた。その2階の雰囲気が好きで、何軒かには入ってみたこともあったんだけど、どうやら建物の老朽化により取り壊し予定らしい。寂しいことだ。1軒だけ、1階の「神楽坂飯店」という中華屋のみ営業していて、せっかくだから行ってみるかとも思ったけど、そんな理由で初めて行ってみたところで、感慨もなにもないか。いったんキープにしておこう。

その横にある「みちくさ横丁」も、やがて取り壊されてしまうようだ その横にある「みちくさ横丁」も、やがて取り壊されてしまうようだ

神楽坂を頂上に向かってずんずん歩く。表通りには、昔よりもずっと増えた印象のあるチェーン店、威厳のある老舗、いかにもハイソな気鋭店、昔ながらの商店などがランダムに並び、神楽坂らしい風景を作っている。

が、僕が入りたいのはもうちょっとこう、個人経営の庶民的な店だ。古い定食屋とか、洋食屋とか、中華屋とか。そこで横道もチェックしつつ歩いていると、さすが歴史の古い街。気になる店はちらほらあって、またしても「ここはキープだな」「こっちもキープか」などと、偉そうに選り好みが始まる始末。そんななか、坂の頂上近くの横道に、それはもうズキューン! と、完全に胸を撃ち抜かれてしまうくらい好みな店を見つけてしまった。

「上海ピーマン」  「上海ピーマン」
赤、白、緑で構成されたいかにも庶民的な雰囲気の看板が気になり、近づいていってみると、店名が「上海ピーマン」。まじか。中華屋の店名といったら「〇〇軒」とか「〇〇楼」とか、もしくはそれらしい漢字2文字とか、店主の名前をひらがなでとか、まぁ要するに、定石というものがあるだろう。ところがここは「上海」×「ピーマン」。なんてかわいいんだ。その上の「LITTLE CHINA」の文字も、ピーマンをあしらったロゴも、もうなにもかもがかわいい! 僕の心はすでに、上海ピーマンのとりこになっていた。

こぢんまりとした佇まいが素敵 こぢんまりとした佇まいが素敵

店頭メニューには酒類の記載がないが、看板に「SAPPORO」の文字があるからビールはまずあるだろう。せっかくの町中華なら一杯くらいはやりたい。それに、もはやこの店に入らないという選択肢は僕にないし。というわけで、おじゃましま~す。

店内はまさに、LITTLE CHINA。4人がけのテーブル席が4つと、その奥に厨房。柱で隠れた奥に、もうひとつテーブル席があるのかな? とにかくそれくらい。寡黙なご主人と親切な女将さんという、安心感抜群の布陣だ。

メニューは中華屋らしくかなり豊富。ラーメンだけでも14種類あり、基本の「正油ラーメン」は500円だ。定食、チャーハン類、セット類もいろいろある。うんうん。

ただ、さぞやピーマン料理がうまい店なのか? と思いきや、メニューを見る限りまったく推されておらず、唯一メニュー名にピーマンの文字があるのは「ピーマン豚肉味噌炒め」のみだ。これをいくべきか? 

......いや、ここはもうひとつの要素である「上海」のほうから攻めてみよう。だって上海メニューは、「上海焼きそば」と「上海セット」の2種類と、ひとつ多い。よし、「上海焼きそば」だな! それからサイドに、5個と10個が選べるのが嬉しい「餃子」の5個をいってみよう。酒はかなり豊富にあり、今日は目の前の壁に手書きで貼ってあった「レモンサワー」にしてみようかな。

「上海焼きそば」(700円)と「レモンサワー」(350円) 「上海焼きそば」(700円)と「レモンサワー」(350円)
すぐにレモンサワー、続けて上海焼きそばが到着。お、おお? こういう感じのものなんだ。というかよく考えると、僕の上海焼きそばに関する知識がそもそもぼんやりとしていた。海鮮や野菜の具材が入って、色の濃い太麺で、オイスターソース系の味つけで、みたいな。そもそも、それが正しいのかどうかもわからない。が、上海ピーマンの上海焼きそばは、そのイメージとはまったく異なるものだ。というかそもそも麺類として、あんまりみたことがないタイプ。

上海ピーマン流上海焼きそば 上海ピーマン流上海焼きそば

まず、麺が色白で、ストレートで、かなり細い。具はもやしとニラだけというシンプルさ。しかしながら、全体がてらてらと油でコーティングされ、妙にうまそうだ。

標高も高い 標高も高い

冷え冷えのレモンサワーでアップを済ませ、いざズズズとすすってみる。わ、なんだろう、味も味で、今までに食べたことのないタイプ。かなり上品な薄味で、それゆえ、舌バカの僕にはこれがどんな調味料で味つけてあるのかわからない。オイスターソース......なのかな? いや、隠し味程度に使われているとしても、そこまでの主張はない。まったくとげとげしさがなくて......中国醤油だったりするのかな。ごま油の香りがガツンと効いている、とかいうこともない。そもそも、こんなにてらてらと油に包まれているのに、まったくしつこくない。不思議な料理だな~。

あ、肝心なことを言い忘れていた。この焼きそば、かなり好きです、僕。ぷりぷり、ぱつぱつな食感の麺が主役で、その美味しさをひたすらに堪能するための料理というわけか。絶妙なシャキシャキ感の野菜たちが、その魅力を底上げしている。卓上には醤油、ラー油、酢、コショウと4種類の調味料があり、全体のバランスを崩さないよう、麺の一部に少しずつ、醤油以外をかけて味見してみる。すると僕の好みとしては「酢ゴショウ」がベストに感じた。よし、しばらくはこのまま味わって、残り3分の1になったところで、思いっきり酢ゴショウ! この作戦にしよう。

独特の細麺がクセになる 独特の細麺がクセになる

なんて、毎度めんどくさいことを考えながら、ズルズル、ぐびぐびやっていると、餃子も到着。

「餃子5個」(300円) 「餃子5個」(300円)

届いた餃子を見てなんだか納得してしまった。一見客の僕が言うのもなんだけど、妙に"上海ピーマンっぽい"のだ。 やわめの皮に、にんにくなどは使わず、キャベツがメインでねぎと豚肉(たぶん)のみというシンプルな餡が包まれている。また、皮がところどころしっかりと閉じられていないというか、ものすごくソフトな力で包まれていて、持ち上げるだけで開いてしまうものまである。ただ、そこがいい食感を生んでいる。餃子の皮をぎゅぎゅっと包まない優しさもあるということを初めて知った。そしてやっぱり、全体が油でてらてらしているのに、しつこくない。これはもう「てらてら上品中華」という唯一のジャンルなのかもしれない。

いよいよ上海焼きそばは残り3分の1。いざ、酢ゴショウどばー。レモンサワーもなくなった。ここで、食べてる途中に発見していた第3の"上海メニュー"こと「上海ロック」(350円)を追加。ラストスパートだ!

完成、上海トライアングル 完成、上海トライアングル

ちなみに上海ロックは、いわゆる「紹興酒ロック」のこの店での呼びかたらしい。そいつをぐびり。中華屋で飲む紹興酒って、たまに気まぐれに買って家で飲む紹興酒とまったく別ものだよなぁ。商品自体はそう変わらないはずなのに。上海ピーマンのてらてら上品中華にめちゃくちゃ合う。

ふと隣の席を見ると、常連らしきサラリーマンがチャーハンを食べている。そのチャーハンがお椀型が美しく、表面はやっぱり、てらてらと妖艶に輝いているのだった。次回は、あれにしてみようかな。

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