ある日、あるとき、ある場所で食べた食事が、その日の気分や体調にあまりにもぴたりとハマることが、ごくまれにある。

それは、飲み食いが好きな僕にとって大げさでなく無上の喜びだし、ベストな選択ができたことに対し、「自分って天才?」と、心密かに脳内でガッツポーズをとってしまう瞬間でもある。

そんな"ハマりメシ"を求め、今日もメシを食い、酒を飲むのです。

* * *

久々の出張取材で、小田原駅近くのビジネスホテルに宿をとった。

朝7時ごろに自然と目が覚め、見慣れない天井を眺めながら、ここはどこだったっけ......としばし考える。あ、そうだ、小田原にいるんだった。

身支度をするために体を起そうとするも、全身が完全にだるい。原因はわかりきっていて、昨夜のハシゴ酒だ。まぁ、それが仕事だったんだからしかたない。ありがたいことに取材の仕事は昨日で終わっているから、今日はフリーだ。10時のチェックアウトまでは、ここで体を休めよう。

ただ、どうしても急いで書いて編集者さんに送らないといけない原稿が1本あるんだよな。今すぐにでもとりかからなければいけないんだけど、なかなか気力が湧かない。うだうだうだうだと時間が過ぎていって、焦りばかりが募る。やっと意を決し、ノートPCを開いたのは8時半ごろだった。

けっきょく10時までに原稿は終わらず、その5分前に大慌てで荷物をまとめ、チェックアウトして目の前にあったカフェに飛びこむ。11時までかけてやっと、原稿を編集者さんに送ることができた。

時間の経過とたっぷりのアイスコーヒー、なにより、原稿が終わった解放感。それらの要素が複合し、気がつけば、気分も体調もすっかり良い。さぁ、数年ぶりにやってきた小田原の街にくり出して、メシでも食おう!

小田原の街並みはメルヘンチックだった 小田原の街並みはメルヘンチックだった

ただし、土地勘も店の知識もほとんどなければ、下調べもまったくもってしていない。ひとまずは駅周辺をふらふらと徘徊してみることにしよう。目立つのはやっぱり地魚を使った料理の専門店で、観光地でもあるから、昼飲みができることをプッシュしている店も多い。そのどれかに入るのが定石だろう。

こういう店とか こういう店とか

こういう店とか こういう店とか
こういう店とかに こういう店とかに

ただ、僕はこと食事や酒に関してはあまのじゃくな性格で、「さぁこれが名物でございます」と用意されたものを素直に受け止めることに、どこか抵抗を感じてしまう。というか、単刀直入に言って、もっと地元ならではの、入ってみるまでどんなものが出てくるかわからないような店を自分の足で見つけたい。要するに、めんどくさいタイプなのだ。

幸い、時間はまだ昼前。ゆっくりと納得いくまで徘徊しよう。これほどの大きな街。きっと古くから営業している個人店だってあるに違いない。

と、しばらく歩いていると、あまりにもドンピシャな店を発見してしまった......。

「定食屋」 「定食屋」

なんと、ひさしに「定食屋」としか書かれていない店。どうやらそれが店名らしい。開店するにあたり、なにかひとつでもこだわりを抱かなかったのだろうか。確かにわかりやすさは抜群だけど......いや、むしろここまで潔いと、逆にわかりにくさすらないか? 難解というか、なにかを問われている感じがするというか。

とにかく、今の僕にこの店以外の選択肢があろうはずがない。からりと戸を開け、入店する。

店内はL字のカウンターとテーブルが数席。感じのいい女将さんがおひとりで切り盛りされているようだ。メニューは740円の「野菜炒め」にはじまり、「カレーライス」や「チキンカツ」や「生姜焼き」や「アジフライ」など、いわゆる観光客向けではない、地元民重視っぽいラインナップになっている。日替わりのホワイトボードに魚系が充実していて、仕入れによって品ぞろえが変わるのだろう。「白身魚フライ」や「ぶり照焼」あたりもいいし、「鮪さしみ」は1500円、「天然ぶりさしみ」は1800円と、なかなかの高級品もあって気になる。どれもご飯やみそ汁などの一式がつくのだろう。

こういう店における僕の、特に初めて入った場合のチョイスはたいてい決まっている。「なるべく品数の多そうなメニューを選ぶ」だ。なぜって、酒のつまみにしたいから。というわけで、1300円の「おまかせ御膳」を選び、瓶ビールと合わせて注文。

「ビール」(580円) 「ビール」(580円) サービスの「里芋煮」 サービスの「里芋煮」
すぐによく冷えた瓶ビールと、サービスの里芋煮が運ばれてきた。とろりとクリームのような舌触りになるまで煮込まれた里芋がうまい。すかさずぐいっとやるビールが、当然うまい。定食屋、すでに、小田原に来たらまた寄りたい店になっている。

そこで女将さんに、注文したものの写真を撮っても大丈夫かを確認すると、一瞬けげんそうな顔になって言う。

「大丈夫だけど、あっちこっちに載せないでね。前にネットに『ごはんは何杯でもおかわり自由』なんて書いてあったみたいで、うちはそんなことないのに、3杯も4杯もおかわりして、『タダじゃないのか!』って怒ってたお客さんがいたのよ」

......なんて自分勝手な主張なのだろうか。そもそも、ごはんのおかわりがタダじゃないことに腹を立てるという行為に、恥ずかしさはないのか。そりゃあ、女将さんが僕みたいな客を怪しむ気持ちもわかる。それでもしばらく「それはご迷惑でしたねぇ」「でしょ? いいこと書いてくれるんなら嬉しいけどさ」なんてお話をさせてもらい、最終的に「『いいお店でした』ってことを記事に書かせてもらいたいんですけど」と聞くと、「それなら大歓迎」と言ってくださった。

ほっとしてなにかひと仕事終えたような気持ちになり、ビールをちびちびとやっていると、ご夫婦らしきふたり組、さらには、昼休みの建築関係の方々と思われる6人組がやってきて、店内は大盛況。いつのまにかお手伝いの女性もひとり増えている。まさに、地元の人気店という感じだ。

しばらく待った後、おまかせ御膳が到着。お盆の上に所狭しと並ぶ小鉢の数々が、なんとも壮観!

「おまかせ御膳」 「おまかせ御膳」
なかでも堂々のセンターに位置し、メインを張るのが「山かけ」だ。「自然薯」ってやつだろうか。箸でつかむとそのまま塊で持ち上げることができる粘り強い芋。その下に、たっぷりのまぐろの赤みが隠れている。

「山かけ」 「山かけ」

ただ、その周囲のメンバーたちもまったく負けていない。大きめにカットされた根菜の煮物にはよ~く味が染み、小皿の高菜もいい味で、この2種類がごはんのおかずとしては2トップ。その他、こっくりとしたポテサラも、だしがしっかりと香るオクラと山芋のあえものも、体が喜ぶほうれん草のおひたしも、濃いめのみそ汁も、正月気分プレイバックななますも、どれもこれもていねいな味わいでとことんうまい。このセットにかけた手間隙を考えると、気が遠くなるほどだ。

煮物の味つけがすごくいい 煮物の味つけがすごくいい 米がまたうまい 米がまたうまい
間違いなく新鮮なまぐろ 間違いなく新鮮なまぐろ
まるで小宇宙のようなこのお盆の上をあっちこっちつつきながら、ビールをぐいぐい。当然酒が足りなくなるから、「ウーロンハイ」を追加し、さらに心ゆくまで堪能する。

「ウーロンハイ」(420円) 「ウーロンハイ」(420円)
じっくりゆっくりと味わって、完全に満腹。ごちそうさまでした。 さて、帰りのロマンスカーの時間まであと2時間ほど。このあとは、小田原城でも眺めに行くか、それとも海まで足をのばしてみるか......。

いや、「定食屋」をあんまりにも堪能しすぎて、今回はもはや、小田原に思い残すことはなくなってしまったな。公園のベンチでも探して、ぼーっと昼寝でもして過ごすかな~。

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